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「インストラクターはわたしの天職です」韓国在住絵梨さんに聞く「教える」魅力

「インストラクターはわたしの天職です」
小学生のときに「先生になりたい」と決意し、一歩ずつ知識と技術を蓄え夢を叶えた女性がいる。現在、韓国在住のヨガ・ピラティスインストラクターの川村絵梨さんだ。

川村絵梨(かわむらえり)
大阪府出身、韓国在住。幼いころからクラシックバレエを習い、10代でジャズダンスを始める。高校卒業後19歳でダンススタジオで講師として働き始める。20代はダンス、ピラティスのインストラクターとしてキャリアを積んだ後に28歳で結婚を機に渡韓。現在はオンラインを中心にヨガやピラティスのインストラクターとして活動している。
SNS https://www.instagram.com/moon__morn/

背中を押してくれた大人たちのおかげで、今のわたしがある

「来週からレッスンの30分前に来て。前のクラスのアシスタントをお願いしたいの」。

小学校高学年のとき、通っていたバレエ教室で「将来はバレエの先生になりたい」と宣言した。すると恩師が小さな子ども向けクラスのアシスタントに誘ってくれた。

「思えば昔から『先生になりたい』と話すわたしを、周囲の大人たちが応援してチャンスを与えてくれていました。高校卒業後はダンスと、当時興味のあった服飾を学びに専門学校へ通いました。20代半ばのころに恩師に声をかけてもらい、通っていた専門学校の姉妹校で1年間講師として授業を持たせてもらったこともあります。背中を押してくれた先生たちがいるから、今のわたしがいます」

「先生になりたい」と思うようになったのは、幼いころに通っていたバレエ教室がきっかけだった。教室へ行くと、教室で飼われている犬や猫たちがいつも出迎えてくれた。教室内にはバレエの華やかな衣装がズラリと並び、その光景に幼心にときめいた。ずっとここにいたいと思うほどその空間に魅了されたという。

思春期にジャズダンスと出会い一時バレエから離れたものの、将来の夢は変わらず「先生」。ダンスを教える仕事がしたいと、高校を卒業すると絵梨さんは動き出す。

「高校を卒業したばかり、しかもダンス大会のタイトルを保持している訳でもない。そんなわたしを雇ってくれるダンススタジオはなかなかありませんでした。それでもあきらめず、思いつくダンススタジオすべてに電話をかけました。その中でひとつだけ、高校を卒業したばかりのわたしをアルバイトとして雇ってくれるスタジオがあったんです。そのスタジオで念願のインストラクターデビューをしました」

身体のことを学んだら、なによりも自分の身体に変化を感じた

ダンスのインストラクターとしてデビューした後は、インストラクターとしての幅を広げるためにピラティスの資格を取得した。その後、妊娠悪阻、産後鬱に悩む友人、更年期障害に悩む母の姿を目の当たりにしたことがきっかけで、女性の身体のケアによりフォーカスしたエクササイズや知識を伝える活動がしたいと思うようになった。ヨガのインストラクター資格、マタニティヨガ、アーユルヴェーダ、植物療法、アロマなど、次々と資格を取得し学びに没頭していった。

「わたしの元に来てくださる生徒さんひとりひとりの悩みに寄り添おうと、知識や技術を身につけてきました。驚いたのは、なによりもわたし自身の身体が変わっていったことです。ホルモンバランスや月経などの勉強をする前は、今よりも体重が10キロ以上重かったこともあったんですよ。現在では体重維持や月経に関する悩みとは無縁になりました」

「こんなはずじゃなかった」渡韓直後の不安定な心を支えてくれたのは、ヨガ哲学だった

日本で順風満帆にインストラクターとして活動する絵梨さんに転機が訪れる。韓国男性と結婚したことにより、結婚と同時に韓国へ移住することになったのだ。28歳のときだった。

絵梨さんはそれまで海外で暮らした経験はなかったという。韓国へ行ったのも結婚前に旅行で2度ほど。渡航前は移住に大きな不安はなかったと話すが、実際に韓国生活が始まると1年ほどはホームシックに悩んだという。

「もともと人生で一度は海外に住んでみたいと思っていたんです。だから韓国への移住にも前向きで。それでも実際に行ってみたら言葉はわからないし人々のコミュニケーションの仕方も全然違う。文化の違いがある中、夫の親族と調整しながら結婚式準備をするのはとても大変でした。『こんなはずじゃなかった』『もう日本へ帰らせてほしい』そう泣いてなんども夫を困らせてしまいました」

そんな絵梨さんを救ってくれたのが、ヨガインストラクター資格を取得した際に勉強したヨガ哲学だった。

「ヨガ哲学は、自分の中にあるネガティブな感情を否定するのではなく、発想の転換を提案してくれるんです。韓国生活への不満を感じたときは、ヨガ哲学の本を取り出してヤマ、二ヤマ(※)の項目を読み返しました。『不満はあるけれど、何不自由なく韓国で生活できていることは事実。そのことに感謝できているかな?』『日本に執着しすぎてないかな?』など、読みながら自分に問いかけることで、自然と心が落ち着いていくことを感じました。次第に、『これを乗り越えられたら自分の成長に繋がるのでは?』と前向きに考えられるようになっていき、今では韓国で穏やかに暮らせるようになりました」

(※)「ヨガの八支則」という8つのプロセスの中で、もっとも基本となる一番目と二番目の項目。ヤマは「してはいけない5つのこと」、二ヤマは「するとよい5つのこと」。

インストラクターとしての幅を広げるために学んだことは、なによりも絵梨さんの心と身体に変化を与えていった。

こんなに贅沢な仕事はない

高校卒業後19歳で始めたインストラクターとしてのキャリアは10年を超える。多くの生徒たちとの出会いを経験した。

かつて勤めていたダンス教室ではキッズクラスを担当していた。あるとき、生徒の少女がファッションデザイナーになりたいと話しているのを聞いた。

「どんな服をデザインしているの?と尋ねると、『わたしのポートフォリオ持ってくるわ!』と。ポートフォリオってどんな立派なものだろうと思っていたら、かわいいお洋服がいっぱい描かれたお絵かき帳でした(笑)それ以来、毎週レッスンの前と後はその子の描いた絵を見せてもらう時間になったのですが、その時間が楽しくて。子どものころ、先生がわたしの夢を応援してくれたことを思い出しました。当時の先生とわたしの関係が、教え子との間で再現できていると感じ、憧れていた先生に近付けたようで嬉しくなりました」

韓国に住む絵梨さんは、現在日本人向けにオンラインでヨガやピラティスを教えるほか、月経に関する相談会などを行っている。将来は日本で自身のスタジオを持つことが夢だという。

「いつか小さくても自分のスタジオを持つことが夢です。高校を卒業してから10年以上教える仕事を続けてきましたが、この仕事の魅力を年々強く感じます。「教える」という立場ですが、なによりも自分自身が成長できるんです。人に教えるにはまず自分が深く理解していないとできないですよね。臨機応変な対応力や表現力も求められます。素敵な生徒さんたちとの出会いもあって、その上生徒さんたちからは感謝もされて…こんなに贅沢な仕事は他にはありません。インストラクターはわたしの天職だと思っています。これからも生徒さんたちひとりひとりの悩みに寄り添える、引き出し豊富なインストラクターになりたいです」

幼いころに通っていたバレエ教室の空間が大好きだった絵梨さん。将来絵梨さんが開くスタジオは、かつて幼かった絵梨さんが魅了されたように通う人に愛される空間になることだろう。

インタビュー、文/夏野稜子

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