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宝物が入った引き出しが、心の中に増えていく

先日、グループプロセスフェスタに参加した。
参加に条件があるのでオープンに参加できるわけではないのだけど、プロセスワーカーのDayaさんのファシリテートのもと、グループプロセスを1日中がっつりやるよ!っていうマニアックな1日。

Dayaさんの場に参加させてもらうのは今回で3回目。

毎回毎回、本当に刺激的。
目から鱗が落ち続ける。
自分がうまく捉えきれずもやもやしていたことへの解像度が上がる。
とにかく、持ち帰りたいヒントや言葉がたくさんで、全部集めきれないのがもどかしい。

プロセスワークもグループプロセスも面白すぎて、大好きになってしまっている。

まだまだプロセスワークビギナーだけど、ビギナーの今、どんな学びをつかんでいるのか?どんなことを感じているのか?何がすごい!と思っているのかなど忘れないためにも書き残しておきたいと思う。

ジワッと体に染み込んだものは忘れない

今回のグループプロセスは3つのテーマで取り組んだ。 
・人種差別と戦争のこと
・お金のこと
・子どもたちのしぼり出すような声が大事にされないこと

グループプロセスとは、端的に言うと、あるテーマについてグループで語りながら深めていくこと。
深めていくプロセスでは、擬似的にロールプレイのように体験しながら深めていくこともあれば、みんなの考えや想いやその場で感じることなどを語り合いながら深めていくこともある。
テーマは参加したみんなから持ち込まれ、その場にいるみんなが語りたい!と熱があるものを選ぶスタイル。

私はグループプロセスに参加するたびに、自分にとって大切なヒントがたくさんそこにあると感じる。

グループプロセスに参加されているみなさん一人ひとりから語られることも、とても気づきや発見が多い。
なるほど、同じ経験や出来事を見聞きしても、そういう捉え方があるのか!とか、そういう立場からはこう見えるのか!など興味深い。

また語り合う中で、立てられるロール(役割のようなもの)そのものが、そうか!そういうロールが存在するから、ここでこういうことが起きるのか!とそこにあるシステムが浮き彫りになることで、新鮮な驚きやそこからさらに見えてくるものもある。 

Dayaさんが問いかける問いもものすごくパワフルだ。
まだ語られてない声を丁寧にすくい上げるような問いだったり、核心をつくような問いだったり、反対側に光をあてるような問いだったり、そこで語られていることを抽象化してみんなが捉えられやすくするような問いだったり。

そして、私が何よりも興味深いなと思っているのは、自分もいろんなロールになってみることと、そのロールになって感じたことが後で日常の別の場面で効いてくることだ。

グループプロセスの中で、それぞれのロールの立場に物理的に立ってみると、いろんなものが見えてくる。
相手側の立ち振る舞いや言葉のインパクトのリアルさが、ただ想像したり見聞きするだけよりも遥かに多くのことを教えてくれる。

時には、場に色がついてるように感じることや身体感覚も伴うこともある。

こちらのロール側はエネルギーが停滞していてグレーでもやがかかってるみたいだなとか、
なんか向こう側はエネルギッシュで黄色い炎が燃え上がってるみたいにイキイキしているとか、
人が並んでるのが圧迫感のある高い壁のように見えるとか、
なんか息苦しい胸が詰まってるみたいとか、
重力をすごく感じるとか、
ふわふわしてるとか。

とてもリアリティを感じるためか、感情ごと感じるためか、体感覚も伴っているためか、わからないのだけど、その場で感じた感覚だったり、体験した文脈だったり、感情だったり、取り巻く環境や構造などが、ジワッと私に染み込んでいく感じがある。

ジワッと染み込んだことは、後になっても忘れない。

日常の全然違う場面、特にちょっと複雑で一筋縄ではいかないような場面に、ふわっと思い出される。

「これはあのグループプロセスで体験したように二項対立で膠着した状況が今、起きてるのではないか?」とか、
「私の中のこの反応は、あの時の重力をすごく感じたのと似てる感じがする」とか、
「あの時のゴーストロールが現れていて、口が重くなっているのかもしれない?」とか、
ふわっと心の中で引き出しが開いて思い出される。

この開かれた引き出しによって、その時に起きている一見捉えにくくて複雑だと思うことが捉えやすくなる。

それによって「私は今、こんな風に感じてる」と自分の感じていることを解像度高めに表現できたり、向き合っている相手が感じてることを想像して「違うかもしれないけど、こういうことを感じてるの?」と相手に確認できたりできる。

そうすると、「あ、そうそう!そういうこと!」という反応だったり、「いや、ちょっと違うんだけど、こういうことだと思う」とか。
当たっていても間違っていても、新たな流れが生まれたりすることもある。

つまり、グループプロセスの体験で得た様々なものが、私の心の引き出しに仕舞われて、日常で活かせるような私の宝物になってくれているということだと思う。
こんなに日常に活かされる学びって、本当にすごいことだ。

ああ、やっぱり、グループプロセスは、本当に得難い体験をさせてもらえる。
グループプロセスも、プロセスワークの考え方も、ディープデモクラシーの概念も大好きだ。
この引き出しがさらに増えたら世の中がどう見えてくるのか?にめちゃくちゃ興味がある。

なぜ怒りを率直に表現できないのか?

今回、もう一つ心に残っているのは、「あぁ、やっぱり怒りを率直に表現できない」ということに、またも直面したこと。
そして、怒りを率直に表現しないことで失ったものもこれまでたくさんあったんだろうなということも同時にぶわっと感じた。

この日のグループプロセスフェスタで、私にとって大切なテーマに関することが選ばれた回があった。
そのことについて話そうとした時に、うまく怒りを表現できなかった。
促されても、怒りの声がちゃんと出る感じが全然しなかった。

ちなみに怒りについては、10月のワールドワーク合宿で怒りをうまく表現できない私に気がついてはいた。
一方でダイナミック瞑想では、あれ?怒りってこんなに湧いてくるほど私の中にあったの?!という驚きもあった。
そんな体験から、怒りについて私は深めた方がいいんだろうとなんとなく思っていた。

ワールドワーク合宿の時に感じたことは下の『ロールスイッチって奥深い』に一部書いている。
10月から怒りについてのプロセスは始まっていたんだなぁ。

ロールスイッチって奥深い|きりん #note https://note.com/natsunokirin/n/n0d1eb710ef44

そんなプロセスの始まりがあった中で、なぜ怒りを率直に表現できないのか?について、私の中にあることをもう少し書いてみたい。

ワールドワーク合宿では、ロールスイッチの練習で、何度やっても頑張ってみても「うーん、怒りを率直に表現できない」というもどかしさを感じた。
その時、私の中でかなりホットなトピックなことだったし、ここ数年の中でもかなりモヤッとしてたことだったのに、そこにあるはずの怒りが全然うまく表現できなかった。

そして、今回のグループプロセスフェスタでも、直近でリアルに心を痛めていたニュースや自分の子どもが関わった出来事をシェアしようと思うのに、すぐに怒りに蓋をしてしまうし、怒りの感情が乗らない。

というか、恐らく、怒りの感情が乗らない以前の問題だ。

怒り自体は確かに私の中にあるはずなのに、うまく怒りを感じ取れない。

怒りがわきおこったその時の身体感覚的には、心がザワッとはするし、胸がギュッとつかまれたようになったりもするし、頭がカッと熱くなったり、胸のあたりがムカッとしたり、お腹がスーッと冷えて重くなったりはする。

でも、一瞬。
あっという間に去っていく。

そういう身体感覚を伴うことが起きると、その後はしばらく頭の中で気になって気になってぐるぐる考えているから、自分の中でネガティブな感情が確かに生まれていたということは、認知はできる。

でも、その感情はあっという間にものすごく他人事になってしまう。
自分の感情のはずなのに、自分のものにしていない感じ。

だから、なんかあるはずだけど鈍くしか感じ取れなくて、何か分厚い膜みたいものがあるみたいにうまく触れられない。
その結果、「んー、実はそんなに怒ってなかったかも?」「そんな気にすることじゃないのかな」みたいな結論づけをして早々に自分が我慢する・沈黙するという選択をして完了させてしまう。

(上で書いてる「認知はできる」とかの表現自体も、めっちゃ他人事じゃん!とツッコミたくなるし。)

そんなわけで、一瞬感じるネガティブな感情も巧妙に蓋をしてしまうから感じきることができなくて、結果的に怒りを表現すること自体が私の人生でまれ。
(家庭内でのちょっとしたイラッとかは言ったり、軽く怒ったりはするけど、本当に些細なやつ。)

まれに、これはさすがに・・・と思って怒りを表現しようとするとなんか感情がうまく乗らないし、お行儀よく表現してしまうし、感情が他人事だから怒りの表現も他人事風味。
あるいは、自分の中の感情が怒りのはずなのに、いつの間にか哀しみに置き換わってしまって、怒りとして表現ができない。
それに経験値もなさすぎて全然言葉も出てこない。
最終的に、ロジカルに状況説明することに逃げちゃったりする。無意識に。

また厄介なことに、これが昔からそうなのだ。多分。

中高生の頃から「穏やか、落ち着いてる、精神年齢高め」みたいなことを言われて、ポジティブな評価として受け取り続けている。
そういう自分のキャラクターが、自分の価値だとも無意識に思っているのもありそうだから、尚更そのループからは簡単には抜け出せないのだろう。
なんだかややこしい。

話が変わるが、ちょうど誕生日を迎えた先日、「これからの1年のテーマは"抑圧"や"我慢"するだけではなくて、"解放"に向かいたい」とふと降りてきた感じがあった。
"解放"とは、主に怒りなどのネガティブな感情をしっかり感じた上で、扱ったり、表現できるようになりたいということをイメージしていた。

なので、今回のグループプロセスフェスタでの体験がつい最近降りてきた1年のテーマとものすごくリンクしていてびっくりした。
やはり今の私にとって大切なテーマなのかもしれない。

本当はそういう怒りのようなネガティブな感情を抑圧したり、ないことにしたいわけじゃない。

解放して、ちゃんとあるんだね、そうだよねって丁寧に感じきってあげたい。

その上で、外に表現するのかどうか?を選択したいし、表現するのであればどう表現するのか?を選択できるようになりたい。

それをできるようになることが、私の可能性やリソースを広げることになる気がする。

NVCの学びによって、感情のボキャブラリーは増えたけども、そもそもすぐ消え去ってしまって感じ取れないものを感じるのは難しい。
どうしたらいいものかな。難しいな。

動画がとても豪華!

ところで、怒りについて考えを深めてみようと思って、DayaさんがYouTubeにあげてくださっている怒りについての動画を2つ見たので紹介したい。

Dayaさんの経験から紡ぎ出された言葉や知恵がとても示唆にあふれていて、めちゃくちゃオススメ。
しかも無料。ありがたすぎる。

こちらの動画リストの方には、プロセスワークについてのベーシックな解説などを主に載せてくださっているので、プロセスワークってなんだ?って思った方はぜひ。

ちなみに、私も初めてDayaさんの合宿に行くという決断をする時に、やはり行くことへのためらいがあった。
初めてなのにいきなり合宿に飛び込むの、正直怖いんだけど・・・って。
でも、単発で参加できる場がないし、どうしよーって思った。

その時にDayaさんのランクについて解説している動画を見て、「めちゃくちゃわかりやすい!話し方や解説の仕方も好み。スッと受け取れる感じがある。」と思って安心できたのも、合宿に参加することへの背中を押してくれた一つだった。

やはりどんな質感の場なのかとか、どんなファシリテータのタイプなのかって自分の相性みたいなものもあると思う。

Dayaさんの場に興味があって参加してみたいけど、一歩踏み出せないんだよなーと思ってる人はまずは動画を見てみると質感とかを感じ取れて良いかも。

年明けに参加条件なしで参加できるDayaさんの場が2つあるので、プロセスワークの基礎に触れたい方や学びたい方は要チェック。
とくに入門講座の方はとても久しぶりの開催で、且つ、最近は定期的に開催しているわけではないそうだ。

【対面開催】Dayaのプロセスワーク入門講座・3Days (2024年2月) - https://peatix.com/event/3787334

【Dayaのプロセスワーク】未知への扉を開く ~ドリーミングの智慧につながる2日間~ - https://peatix.com/event/3789989


とにもかくにも、グループプロセスフェスタ、面白かったなぁ。

また来年も行きたいし、1年後にはもっと色んなものを感じ取れる自分になっていたいし、怒りについて私の中で変容が起きている1年後にしたいな。

来年の今頃はどんなことを感じているのか、今から楽しみ。

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