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自転車を漕いでミスドへ

2022年10月30日(日)

以前はよく自転車に乗っていたけれど、一人暮らしを始めて駅へ徒歩で行けるようになってから随分と乗る回数が減った。
たしか最後に乗ったのは夏で、漕ぎ始めた瞬間にパンクしていることに気づいてアパートの駐輪場に戻して以来、ずっとそのままにしていた。
すぐに空気を入れに自転車屋さんまで行けば良かったのに、自転車を押して歩いていくのがめんどうだったから、わたしは自転車に乗らない生活の方を選択した。

しばらく経ったある日、自転車のカゴに新聞が捨てられているのを発見した。
それを見てとても腹が立った。わたしは人の自転車にゴミを入れる人が一番嫌いだ。
人の持ち物にゴミを捨てようとすることが信じられないし、回ってきたゴミの処理が強制的に課せられるのも最悪だ。ゴミをそのあたりに置いていったら自分もポイ捨てをしてしまったことになるので結局わたしが捨てることになるが、知らない人のゴミのためにゴミ箱を探している時間ほど、無駄かつ怒りに満ちたものはない。

むかつくし嫌なので、長い雨が降っても、するどい日差しが降り注いでも、わたしはきたないスポーツ新聞がカゴに入ったままの自転車を放置し続けた。


重い腰を上げ、ようやく外に出ることができたのは14時を過ぎてからだった。今日、わたしはついに自転車の空気を入れにいく。

溶けない名前の新譜を聴きながら自転車を押して歩いた。1曲目の最初の音から「溶けない名前の音だ・・・!」と思ったし、また新しい曲が聴けることがたまらなく嬉しかった。はじめて聴くのに耳ざわりが良くて安心感がある。ふわふわした轟音の波が押し寄せてくるのがきもちよく、ようやくカゴにあった他人のゴミだってちゃんと捨てられたし、いつのまにか自転車へのモヤモヤまで溶けて消えていた。

4曲入りのEPを一周したあたりで自転車屋さんが見えてきた。ここで空気を入れさせてもらう。ぐったりとしていたタイヤが目に見えてふくらんでいくのがわかって、いままでごめんねと思った。

自転車は徒歩の何倍も速くて快適だった。
近所だけどいままで通ってこなかった道をでたらめに漕いでみようと思った。道路沿いの大きなドラッグストア、スーパーマーケット、その店に入っていく人々。ごく普通なのに、見慣れていない町並みを塗りつぶしていく気持ちで走った。
入り組んだ住宅街や小さな公園、ゆるい下り坂、そのどれもが知らなくてわくわくした。自分の街が広がってゆく感覚があった。

やがて、家からは離れているけれど馴染みのある町にたどり着いた。

たどり着いたこの町にはミスドがある。

自転車とミスタードーナツの相性が良いと思っているのは、わたしだけだろうか。過去に「自転車を漕いでミスドへ」という、そんなに趣がない自由律俳句を作ったことがあるくらい、ずっとそう思っている。

高校生の時に、ミスタードーナツから「クロワッサンドーナツ」という新商品が出た。名前通りクロワッサンとドーナツのハイブリットで、形はドーナツだけど生地はすべてパイになっている。表面は砂糖やチョコでトッピングされていて、しかもクリームまでサンドされているからカロリー的に悪魔の食べ物である。

ある日、友だちとわたしはまだ食べたことがなかったクロワッサンドーナツが食べたくなりすぎて、「明日は絶対自転車でミスド行こう!!」と約束をした。次の日の放課後、友だちとふたりで学校から最寄りのミスタードーナツまで自転車を漕いでクロワッサンドーナツを買いに行った。そしてまた学校に戻ってクロワッサンドーナツを食べた。
ふつうにおいしかったけれど、あまりに期待していたから、パイとクリームとシュガーコーティングのくどさはなるべく感じないよう努めた。
わたしたちがわざわざ学校に戻ってきたのは、このあと自習をしなくちゃいけないからで、ドーナツを買いに行くのに体を動かし、糖分をぞんぶんに摂取したのはたぶん脳的に良かったんじゃないか、きっとそうだっただろう。

時は流れ、いまは「コク深キャラメルパイ」らしい。
オールドファッションとハニーチュロとココナツチョコレートを買った。2つしか買わないつもりだったのに3つ買った。ポン・デ・リングを買うのを忘れた。

1時間ほどの近所探索から帰宅してお茶を淹れた。ドーナツを食べるのなら、わたしの場合は断然紅茶だけど、緑茶が飲みたいから緑茶にした。
ドーナツを食べ、茶をすすりながら「やっぱりミスドと自転車って合うなあ」なんて考えていた。ただ今日の出来事と思い出がすこし重なっただけなのに。だけどドーナツと緑茶はまったく合わなくて悔しかった。

ハニーチュロとココナツチョコレートを食べおわった頃、朝食はホットケーキだったし、もう夜なのに今日はあまい炭水化物しか摂取していないことに気づいた。