失敗ショートトリップ
土曜日、昼下がりの盛岡に到着した。
曇っていて小雨も降っているので、昼とは思えないほど空気がどんよりしていた。この日の東京の最高気温が20度を超えるのに対して、こちらは6度しかない。この気温差に怯え、しっかりと防寒をしてきたのであまり寒く感じなかった。
駅の北口から大きな公園のある方面へと歩く。
振り返って駅の方を見ると、そういえば何度も来たことがある場所であることを思い出す。
盛岡に来たのは3度目か4度目で、はじめて一人旅をした時にも訪れた町だった。
その時は駅の近くでわんこそば店がないかと探したけれど、結局やめて駅ビルの飲食店でいくら丼を食べたり、今はなき盛岡バスセンターを見に行ったりしたのだった。
コロナ禍になる前に行った旅では、朝にホテルから歩いて福田パン(盛岡で有名なパン屋さん)に行った。
後ろに並んでいたおじいさんがパンの注文をするやいなや、近くの冷蔵庫からさっと缶コーヒーを一本取り出して飲み、できあがったパンを受け取ると同時にお金と飲み干した缶をカウンターにコンッと置いた。この一連の流れがうつくしくて見惚れた覚えがある。
帰り道に旭橋から、白い山々と足元を流れる北上川を眺めた。肺を満たすつめたく澄んだ空気と、かかえたパンの重みにわたしはすみずみまで満たされた気持ちになった。盛岡みたいな町に住みたいと思った。
そんなちょっとだけ思い出のある町。
30分ほど散歩して、お店の外観からなんだか可愛らしい喫茶店 リーベで休憩。スパイスミルクティーを注文した。
メニュー表に「カップがかわいい!」と店員さんからの一言コメントがあったので選んでみた。運ばれてきたポットとカップが2段重ねになっていて、花柄のカップが本当に可愛らしかった。
チャイティーを少しマイルドにしたような味でじんわりとあたたまる。
店に入った時、テレビで「ずん喫茶」が流れていた。(ずんの飯尾さんが喫茶店を巡る最高の番組) BSテレ東の番組なので、わたしはいつもTVerで観ている。リーベではBSを流しているわけではなさそうだったので、岩手はずん喫茶が昼下がりに民放で流れる素敵な町なのねと癒された。
たぶん2階席が有名なのだろうけれど、混んでいるようでわたしは1階で本を読みながら1時間くらいお茶をさせてもらった。その間、出ていく人も入ってくる人もみんな若い人たちばかりだった。
意外に思ったけれど、このレトロ可愛い雰囲気が盛岡の人たちから人気を集めているようで、わたしもGoogleマップで調べて惹かれてやって来てしまった旅人だった。
お会計の時、店員のおかあさんの笑顔がやさしかった。
リーベを出て、仕事で同じく東京から来ていた知り合いの方と別の喫茶店でお茶をした。知っている人に旅先で会えると、なんだかいつもより嬉しい。
実は今日、盛岡まで来るのにすごく苦労した。本当は東京から2時間ちょっとで着くはずなのに、途中下車をしすぎて6時間くらいかかってしまったのだ。その方はわたしが閉所が苦手なことを知っていて、今日あった話を聞いてくださった。
高校生の頃、学校に行くために乗っていた電車が駅と駅の間で緊急停止した。人がみっちり詰まった満員電車で、全く身動きが取れないまま20分くらい閉じ込められた。
背が低いので人混みに埋もれて息がしづらかった。扉を一枚隔てたところに外の景色は見えているのに、いつになったら外に出られるのかわからないと思うと強い不安に襲われた。動悸と冷や汗が止まらなかった。
それでも電車を降りて学校に行くと不安だったことも忘れて、次の日からも満員電車に乗って卒業まで学校に通った。
その後は特に交通機関でのトラブルに遭うことはなく、深夜バスや新幹線や飛行機にもたくさん乗っていたが、ふとした瞬間に「あと○時間もここから出られないのか」という考えが過ることがあった。それに気づくと、少しだけ息が苦しくなったり冷や汗が出たりもしたが、寝ることに集中したり音楽やラジオを聴いているとすぐに気が紛れた。
しかし旅で乗り物に乗る回数を重ねていくうちに、乗っている途中ではなく、乗る前から乗り物が自由に出入りのできない密閉空間であることを意識してしまうようになった。
満員電車のような身動きがとれないところだけではなく、長時間自分の意思で出られない場所も怖くて緊張する。
日常生活で、部屋やお店などで何時間も過ごすことはできる。それが飛行機や新幹線や深夜バスでも同じことだと頭ではわかっているけれど、自分の力で外に出られず、なおかつそれが公共の場であることがものすごく怖かった。
なのでここ数年は、一生乗らないと決めた満員電車以外は、深夜バスや飛行機、新幹線、フェリーは「なんかいまならいけそうかも!」といった、ふんわりしたその時の調子と、座席によっては問題なく乗れるので、自分の心を騙しながらやり過ごしてきた。
(ちなみにいま現在の調子的に、深夜バスは乗れない、飛行機は数ヶ月後なら乗れるかもしれないけどいまは無理そう、新幹線は各駅停車のみ、フェリーは3時間までならいけるかもしれないという状態。調子が悪いと地下鉄のホームや鳥居がたくさん連なってる神社とか、雨の日の室内とかも緊張する)
今日は新幹線のはやぶさで東京から盛岡に向かった。東京、上野、大宮は駅間が短いので良かったが、大宮から仙台までは1時間10分ほどノンストップで進む。わたしはそれが怖かった。
別に、各駅停車だろうと特急だろうと、目的地まで降りないのは同じだからどっちに乗っても変わらないことはわかっている。だけど、万が一密閉空間への不安が襲ってきても仙台にたどり着くまでは絶対に逃げられないと思うと、1時間10分の駅間はあまりにも長い。
不安なので一旦大宮で降りて、やまびこ(新幹線の各駅停車)に乗って少しずつ盛岡に向かうことにした。
仙台が終点だったので乗り換える必要があったけれど、次の新幹線にもなんとなく怖くて乗れない、乗ってはみるけど発車前に降りてしまう、ということを繰り返していたら、仙台から1時間半くらい出られなかった。
帰ろうかと思ったけれど、盛岡までたどり着けなかったらいよいよトラウマになってしまう気がして、盛岡までは行った。
そして喫茶リーベに行ったところまではギリギリ人間のかたちを保っていたものの、今日一日のダメージが頭にこびりついていて、ついに心が折れてしまった。
今日は全然食べていないから何か食べないとと思って頼んだホットサンドが信じられないくらい喉を通らなかった。びっくりした。ホットサンドはおいしかったし可愛かったから、余計にかなしかった。
新幹線に乗れなかったショックによるものなのか、どうしてこんなに食べ物を受け付けないのか、どうして乗り物に乗っていないいまも謎の不安が自分の周りにまとわりついているのかわからなかった。
たぶん、すごく様子がおかしかったと思う。
喫茶店で話したり笑ったりしている瞬間だけは楽になれたけど、とにかくわたしはずっと変すぎた。
喫茶店で解散した後、一人になってまたしばらく不安で落ち着けなかったが、ホテルの布団に寝転んでラジオを聴いているとましになってきた。面白くて笑っている時は大丈夫になれることがわかった。
ママタルトとオードリー、細かすぎて伝わらないモノマネ選手権、さんまのお笑い向上委員会、いろいろなバラエティ番組に心からありがとう。
翌朝に目覚ましが鳴って、まぶたを開ける前から緊張している感じがした。覚醒した頭がすぐにいまの状況を思い出していた。なぜこんなに緊張しているのかわからなかった。
緊張しながらもなんとか部屋を出る準備を済ませて外へ出た。雨かと思ったら雪が降っていて、歩道の植木にもうっすらと白が積もっていた。
旅で盛岡に来ていることを思い出して、朝からとても冷え込んでいることが嬉しかった。旅を楽しむ心が残っていることがわかって安心した。
本当はこれから山田線に乗って宮古に向かい、そのあとも憧れの町に行く予定だったけれど、あまり元気ではないので朝早くに帰ることにした。
2泊3日で東北を旅する予定だったはずなのに、実際は盛岡に時間をかけて行って、喫茶店を2軒回り、ラジオを聴きながら布団にくるまり、8時間くらい寝ただけのほぼなにもしない旅になってしまった。
でも喫茶店に2軒も行けたし、帰る前に盛岡駅で駅スタンプ押せたし、かもめのたまごも買えた。これ以上は気の持ちようだけでやっていくのは無理そうなので、帰ったら病院に行く決意ができた。
旅はうまくいかなかったけど、たくさん旅をしていればこんなこともあるのかもしれない。
全て自分の心の中で起こっていることなので、わたしの心が弱いのが原因だと思ったこともあったけれど、むしろこちらは抗うことのできない不本意な不安から様々な交通手段を封じられている被害者だと思う。
何にこの気持ちをぶつければ良いのかわからないが、こんなに旅も移動も大好きなのにいろいろと制限されて、よくもこんなふうにしてくれたなと怒りたいくらいである。
それでもわたしは旅をやめるわけにはいかない。
旅が大好きだし、行きたい町が全国に山ほどある。どうにかして新幹線ののぞみやはやぶさ、飛行機、ゆくゆくは深夜バスに乗れるまで回復したい。寝台列車にも絶対に乗りたい。元気になったらこの旅をリベンジしに行きたい。
各駅停車の新幹線に乗って家に帰る。今日は落ちついた気持ちで新幹線に乗ることができた。
新幹線が動き出すと、白色の密度が濃くなり、雪と曇り空につつまれた岩手の町が見えた。
花巻や北上では吹雪の様子が車窓から見えて、こんな寒い町を散歩するためにやって来たのに、何もできずに帰るのかと思うととても切なくなった。
なぜか昨日からわたしは東京を過信していて、東京にたどり着くだけですべて救われる気がしていた。行きたい場所はだいたい遠いところにあったけれど、東京にはふるさとがあった。
盛岡駅からやまびこに乗って3時間。氷点下の町を散策するための厚着姿のまま戻ってきた街は暑苦しかった。