本音が世界を救う
ことあるごとに感じてきたことだった。
大抵人生の転機のようなときに起こる。
本音・本心で生きることをいつも大事にしてきた。
本音が言えずに失敗した2019年より後からは特に。
社内で社長に心の奥底で思っていた本音を言えずに、会社のプロダクトないしはチームがうまくいかなくなったことがあった。
それまで言えていた本音が、その時の私には、どうしても言えなかったことがあった。
私には、その会社のプロダクトや仲間が人生の全てだったので、本音を言うときに仲間や生きがいを失うリスクがあった。
それまでの社会人人生では、それほどチーム全体を信頼したことが無かった(したいと思えなかった)から、本音という本音を人に言ってきたことが多かったけれど、その会社からは失うことへの恐れを如実に感じるようになった。
プロダクトがうまくいかなければ、私は私の生きる意味を失うし、
組織もうまくいかなければ、私は私の居場所で心の拠り所を失う。
だから、本音をぶつけることにそれまで以上に抵抗を感じていた。
しかし、本音はたいていそのプロダクトを改善していったり、会社の組織としての在り方を再定義させてくれたり、とにかく会社にとってはプラスなことばかりだと思う。
しかしそれを言うハードルが高かった。
私は、本音を切羽詰まった場面でしか言うことができず、間違った伝え方で、誤った伝わり方をしてしまった。
伝え方さえ間違わなければとずっと悔やんでいた。
けれど、ずっと、あの時本音をどう伝えるべきだったのか・どうやって伝えていたらあんなことが起きなかったのか、がずっとわからなかった。
だからずっとSF(ストレングスファインダー)や組織の在り方、メンタルモデル、無意識について講座を受けたり、もっともっと自分自身を知りたくてお寺や断食へ行ったり、対話の場としてオープンダイアローグをやったりして、深堀に深堀ってきたのだと思う。
二度とあんなことを起こさないためにも、自分をもっと知りたくてきっとそうしていた。
今は、自分自身については本音が言えなかった理由も色々と明瞭になってきて、段々と在りたい私に近づいてきたように思う。
"言いたいときに言いたいことを言う"
この当たり前に見えることが、数年前の私には、すごく難しいことだった。
その瞬間に感じている感情を司ることも難しかったから、"言いたいことがある"という自覚もなかった。それに、体験の積み重ねで感情を感じるということが難しくなっていた。
本音を言えずにもどかしくなる心情はよくわかる、言いたいのに言えないし自覚したいのに自覚できない、無意識下にしまわれてしまうから。
けれど、この何が真実なのかわからなくなるような時代に生きているから、せめて信じられる自分の確たる指針として「本音・本心で生きる」とかそういうシンプルなことがこれから必要なんじゃないのかと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?