見出し画像

新米課長の子鹿日誌 2 私の思うマネジメントって

マネジメント。いろんなところで使われる言葉ですよね。

「私の思うマネジメント」について、
どう思っているのか、と、強く、問いかけて頂いたことがあります。

人の口を介して、とても感情の乗った言葉で、そのメッセージが私に届けられた、ということは、よほど強烈に意識すべきことだと受け止めました。

今の感じ方を書いておきます。


部下の仕事を止めない、進められない障害を除く手助けをする

マネジメントとは何かと聞かれたら、「メンバの仕事を止めないこと」、これをまず一番に採用しています。
元は本で読んだ言葉。

どの本だったか覚えていないのがツライですが、部下にとって必要・嬉しい・やり甲斐なのは「仕事が進むこと」、上司の役割は部下の仕事を止めない・進められるように周囲を整えること、という主旨でした。
自分自身、「部下」を長年やってきて、仕事を止める上司(預からせて、といって、戻ってこない人とか)は、たしかに困る〜と納得。
と同時に、「うっかりするとやりかねない」とも思ったので、これをまず真ん中に。

メンバのできることには手を出さず、悩み事の相談、他チームや他部門との調整、予算やリソースのやりくりといった「詰まったところを流す」イメージを持つようにしています。

なんとかする

これも上と似てるけど。
マネジメント = management.  元の manage という英語の動詞の訳で好きなのが、これ。

「なんとかする」

だから、
マネジメントは「なんとかすること」
マネージャは「なんとかする人」

中身を何ら言ってくれない、限定しない。一種乱暴なこの表現は、マネージャがやるべきことの幅の広さを端的に表していると思う。

難しい課題でも「なんとかする」のが仕事、って、すごく面白い、思考の巡らせ甲斐のあるポジションだと思います。

自分のエネルギーの中に入れる

これはマネジメントという言葉で話すのにちょうどいいかは、わからないですが。
意識の感覚のお話です。
そして長くなりそう。

人から教えてもらって採用している感覚で、またそれもいつか詳しく書けたらと思いますが、

「他人も自分」

そんな考え方がありまして。

「他人は自分の鏡」と近しいかもしれませんが、私の中では、ストレートに「他人も自分」という方がしっくりくる・向き合いやすく感じます。

同じ組織で、それも自分が「長」のつく役回りをもらっている組織で、働く仲間。
ひとりひとりを自分から切り離した「他人」と思うのではなく(同時に純然たる他人ではあるんだけど)、自分の一部としてその存在を受け止めていく。

薄く広い意味では全員のいる空間を自分の意識下に置くように(あくまでイメージ)、

より本質的には、一人ずつ、順番に、その人が自分の一部であることを完全に受け入れていく作業(これまたイメージ)。

「他人も自分」モードが発動できているときは、部下からの不満や批判や要望に対して「これ、ほんとに数ヶ月前までの自分と同じ人か」と思うような、器の大きい対応ができる自分が出てきて、誰より自分が驚いているところです。

いつか見返そう

今日はここまで、マネジメントについて書いてきました。
今考えていることの6割くらいは書けたかなと思います。

組織によって人によって育った環境によって影響を受けた本によって、マネジメントが何をすることなのかという定義は、本当にさまざまあることと思います。

私自身の認識も、これからまだまだ変わっていくのかもしれません。
その時に、今日書いた内容が、自分の目にどんなふうに映るのか。
それをまた楽しみに、今後の生活を送っていきたいと思います。

良かったらあなたの思うマネジメントというのも教えてください。

今日も読んでくださってありがとうございました。


(2021/11/19:ん―、長かったな、と思ったので、少し間引きました。その部分は、また改めて書いてみたいと思います)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?