明日死ぬとしたら

明日死ぬ。
これはそういう前提で進む話だからそれを覆すことはできない。

不思議と無抵抗になる。
よくあるパニックものやデスゲームで皆が恐怖に慄くのは頑張れば助かる見込みがあるからなんだな。

人生の最後にしたいことって何だろう。
辞世の句を読むというのはやってみたい。でも句なんて詠んだことないから書き方もよくわからない。今際の際に黒歴史を作成するのは気が引ける。

だけどなにかしら爪痕を残したい気もする。

生物の本能として、死ぬとなったら産卵したり子孫を残すように動くものもいるが、残念ながら私はヒト科のメスで子孫を残すために十月十日かかってしまう。

しかしよく考えたら自分の子孫を残すことはできないけど、臓器提供的な意味で人には貢献できそうだ。これは子孫を残すよりもランニングコストもかからないし良い考えだ。持病もないし、今まで育ててきた身体が最大限無駄にならなくて嬉しい。死ぬ間際にはいろんな所を取り出してもらえるようにそういうのを請け負ってる病院に行こうと思う。(事前予約あるの?)

私は死ぬから何でもいいけど、これからも生きる遺される人たちが、あのやりとりが最後かいとモヤモヤするのは可哀想だから一応それっぽい別れの挨拶だけは身近な好きな人にはしておきたい。

あとは個人情報の処理はマスト!

でもここまで思いついた事は全部やりたいことじゃなくてやらなきゃいけないことだな。

自分のやりたいことっていうと、よくわからなくなってしまう。
そもそも私はあと80年は絶対に生きられない。あと80年で死ぬとしたらと、明日死ぬとしたらってさすがに全然違うけど、何がしたいんだろうと考えるとどちらもわからない。わたしは生きてて何がしたいんだろう?

ひとつ言えるのはできる限りご機嫌に生きたいということ。それは長期目標でも短期目標でも当てはまる。生きてる間はご機嫌でありたい。

だから最後の日も自分で作った適当なご飯とお酒を飲んで、面白い動画でも観て過ごすかもしれない。美味しい紅茶とお菓子で読書するのもいい。ちょっと人と話したくて電話くらいはするかも。天気が良ければ近所をお散歩でもしようかな。ひとんちの犬とか猫を勝手に愛でてコンビニでコロッケでも買って帰ろう。

私の人生が明日終わるとしても、80年後に終わるとしても。願わくばご機嫌に生きて、あとは死ぬだけなのだ。

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