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記憶と放送、旦過市場に寄り添ったドキュメント72

放送と記録

放送はその表記、「放ち送る」のためか、電波に乗せればそれで終わり、あとは知らない。そんなイメージを持たれていることもあるが、実はそうではない。確かにラジオがマイクと送信機だけだった頃、あるいはマイクとカメラと送信施設だけだったテレビの黎明期には放ち送ることが作業の大半ではあった。しかしフィルムによる取材と放送、さらにはVTRの登場、そして現在のように番組がデジタルデータで編集され、送信されるようになった時代には、単に番組を放ち送るだけではなく、時代の記録・記憶としての役割も相当に大きくなったと言えるのである。
 写真には「記録」、「伝達」、「表現」の3つの機能があるとよく言われる。また映画にも時代の記録、文化の記録、生活の記録という役割が期待されている。フィルムや印画紙のように情報を定着させ、アーカイブ可能な媒体を持つからこその機能であろう。放送のように、その瞬間に受信装置の前にいなければ情報を受け取れなかったメディアでは、その「記録機能」はあまり着目されてはこなかったのかもしれない。

旦過市場によりそったドキュメント72

新しい番組スタイルに挑戦して始まったドキュメント72時間。すっかり多くの視聴者の支持を得るようになった。おどろくのは海外、特に中国から放送を学ぼうとする留学生の多くがこの番組の名前を上げ、あんな番組を作ることを学びたいと言ってくることだ。正面切ったジャーナリズムではないがこの社会をさまざまな角度から眺め、かつヒューマン・ドラマを含んだテイストが評価されているのだろう。クールジャパンはアニメだけではないのだなと思ったりもする。
 そのドキュメント72、2021年1月29日の放送「北九州 100年続く人情市場で」、これは旦過市場に密着し、お店の方やお客さんたちを取材している。大規模流通やフランチャイズでないと生き残れないのではという昨今だが、ここには個人経営の路面店を舞台に多くの人々の行き交う(まさに「交う」という表現こそがふさわしい)空間が広がっている。120軒も並ぶ市場はまさに「北九州の台所」。しかし建物の老朽化で再整備事業が始まるとあって、市場の雰囲気を名残惜しむ人たちも多かった。何も買わなくてもここが落ち着くという男性や、都会から大分に移住、買い物はここがいいというカップル、ここに根付き、また新たな人をさりげなく向かい入れる商店主たち。ここが実に多くの人々の居場所になっている様が描かれていた。


 しかしこの市場は、放送された後、再開発どころか二度にわたる大火で痛手を被った。元来密集する建物と川沿いで、その川に張り出すほど集積した店舗群という立地から、火災による大きな被害の心配も予測されていたからこその再開発計画であったと思われるが、その前に火事は起きてしまった。4月、42店舗を焼く火災が発生。その原因はまだ特定できていない。火災の復興も遅々としていたが、8月になったようやく焼け跡も片付いたその矢先、今度は45店舗以上を焼く火災が起きた。この火災では昭和14年創業の名画座、小倉昭和館も全焼した。4月の火災では難を免れ、ホールを地域のために開放するなど復興に尽力していたが、現在は近隣のホテルなどでイベントを開くなどしている。
 8月10日に起きた二度目の大火を伝えるニュースは全国に衝撃を持って伝えられた。そこでは多くの人々が「ああ、これで旦過市場はもう終わりかもしれない」という印象を抱いたのではないだろうか。旦過市場は1999年にも12店舗を焼く火災があり、2009年の九州北部豪雨でも浸水の被害を受けている。そこに今回の二度にわたる火災。全国ニュースの要約された情報のみでは「復興ほぼ絶望?」と感じられるのも無理からぬことだろう。
 ドキュメント72は、2022年10月9日、この旦過市場に密着した「北九州 100年続く人情市場で」を再放送したが、単なる再放送ではなく、現在の旦過市場を取材し追加して放送している。

 方法論としてはかつての新日本紀行(昭和40年代中心)のフィルムを4Kで甦らせ、これに現在のその地方の取材を追加する「よみがえる新日本紀行」や、「世界ふれあい街歩き」でコロナ禍でその街はどうなったかを追加取材したものと同様であろう。かつての取材結果をアーカイブとして活用し、さらに現状を取材することで時間・空間ともに立体的な展開となるわけだ。
 それのみならずこの放送では、あの商店主たちは今どうしているか、旦過市場はいまどう頑張っているか、その様子が大きな物語として見えてくる。日常のニュース報道だけではわからない、ありのままの旦過市場が見えてくるのである。放送したNHKの番組宣伝でも「エール・緊急追加取材」とあったが、アーカイブに追加して現状をしっかりと伝えたこの映像は、放送と同時に多くの視聴者に広がり、SNSなどでも瞬く間に旦過市場への「エール」となっていった。
 今起きていること(ここでは火災被害)を、アーカイブを活用してそこがどんな様子だったかを見せる。さらには現状と未来を取材で見せる。『アーカイブがあるからこそのタイムリーな展開』ということができるだろう。放送のパワーは「生」「旬」、つまりタイムリーさにあると思われがちだが、記録し続けること、街の記憶をアーカイブし続けること、古きを知ることも大きなパワーになるのだと実感した。

とてもぐうたらな社会学者。芸術系大学にいるがこれでも博士(社会学)。