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【社会現象の解読風味】::「AKB商法」という言葉の使い方についての若干の違和感

違和感の源泉
それはAKB商法の終焉だの、AKB商法の行き詰まりだの、そうした言葉で(多分)検索上位に行こうとするニュース記事やblog記事が量産されているという現状である。
その97%(当社比。笑)はNGT48での一連の「事件」をきっかけに書かれている。あとは総選挙を行わないことに特化したものもあるけれど、基本、新潟でAKBは終わったねとでもいいたい記事がたくさんたくさんある。そうなのか?AKB終わるのか?

感じる違和感は2つ
一つは「AKB商法」という言葉の使い方そのもに関するものである。これはライターのさやわかさんが2013年にすでにがっつりまとめてくれているので、その本を参考にしてくれればいいのだが、その中でも指摘されているように「商法」という言葉そのもののネガティブさが多くのいわば「誤用」を生み出す可能性が強いという問題。
「〜商法」は、ほぼほぼ間違いなくその「商い」の主体を批判する枠組みで使われる言葉である。マルチ商法、デート商法、点検商法などいずれも法に触れたり、消費者を騙す意図のある場合に使われる。「AKB商法」にももちろんその意図があって使われ始めた言葉だが、一人歩きし始めると「AKBのイケナイところ」が全てこの言葉に集約されたり、あるいはAKBは消費者を騙して稼いでいるというステレオタイプとして機能し始めたりする。
「薄利多売のAKB商法」(どうやら原価ギリギリで写真集を作ることを言うらしい。それはAKBに限ったことではないだろうに)「若い男性の欲求を活用し多額の金銭を巻き上げるAKB商法」(これはすごい表現だと思う。もしそれが本当なら風営法どころかかなり数多くの法律に抵触しているのではないだろうか)「実力で勝負しないAKB商法の限界」(実力とは何を指すのだろう。握手会で並ばせることが実力ならちゃんとそなわっている。歌やダンスのことを指すのならばアイドルとは何かをもう一回考えないと)などなど、握手券をCDに添付することの批判のみならず、みなさん前田あっちゃんのおねがいも虚しく、AKB48のことが嫌いになったように思われるところが最初の違和感ポイントである。

次に違和感を感じるのは、AKBが登場し、SKEという妹分が生まれ、そこにももクロちゃんたちが活躍を始め、対局にはperfumeがいて、そして王者ハロプロが頑張ってきた、その流れや歴史がまったく振り返られていないことである。アイドル達の歴史は複雑で、前面に見えるAKBさんたちばかりではない。その後ろに仮面女子やディアステージのアイドル達を筆頭に、百花繚乱さまざまなグループが活動して行った複合的な市場なのである。AKBグループも48系だけでなく坂道系の活躍で多様化し、東アジアでの提携や進出なども重ねていくと、一筋縄ではない歴史がそこにはある。
そうした流れを無視して「AKB商法」とくくってしまっては、なにも本質は見えてこない。特に新潟の失敗はなぜ起きたのかということに、AKBがもうおしまいだから、という短絡的な答えの出し方をしても何も見えないし、誰も救われないし、なんの分析にもなっていない。ここにはかなり大きな違和感を感じる。

もとをたどると
元来「AKB商法」とは、ファン達が運営に対してある親しみを込めて口にした言葉である。たとえばメンバーの生写真を全員分揃えるためには、ありえない回数のガチャをまわさなければならない、とか、ちゃんとメンバーと話せる時間握手するには複数枚の握手券が必要になる、とか、応援や接触イベントなどの特典に対して運営が「無茶」を言ってきたような時、ファンのうほうから「やってくれるじゃないか、おい、AKB商法だな。その挑戦受けて立とう」というスタンスで使われた言葉である。ファンだからこそ使えた批判的な言葉なのである。それをファンでもない外部の「識者」が批判的に使う、しかも誤用して使う、という状況は、ある意味ではアイドルやファンに対して失礼であろう。

おそらくは特典でCDを買わせる方法論を批判し、CDの売り上げが楽曲の実力ではないということを金科玉条とし、この言葉を使う人が多いのだと思う(しかし日本が今、いまだに世界で最もCDパッケージの売れる国でいられるのは逆にこのAKB商法のおかげでもあるともいえる)。ただ、何枚ものミリオンを達成したAKBグループは、そのおかでげ多くの作曲家達の目標ともなり、楽曲コンペには数百の応募があるという。その中から選ばれるシングル曲は相当なレベルの楽曲になってきているのではないだろうか。AKB商法も楽曲のクオリティーという意味では成果をあげうる方法論である。

個人的感想
もしもAKB48にかげりが見られるのであるならば、あるいはNGT48の問題が大きな失敗だと思われるのなら、それはそれできちんと多角的に分析することがきっと必要だろう。ながらくそばにアイドルさん達が来てくれる幸運な状況を過ごせている僕の感想にすぎないのだが、これは「AKB商法の失敗論」で分析できる問題ではないようにおもえる。AKBがどこへ向かうのかは、SKE,NMB,HKTやAKBの各Teamのこれからの物語と大きく絡むし、乃木、欅や日向の動向とも無縁ではないと思う。そこでどんな物語が作られていくかの方が商法よりも大事なのではないかと思う。

「AKB商法の失敗論」の大半はNGT事件のせいで『かわいい女の子を使って男の子にお金を出させるビジネス』という枠組みだけで物事を見ているが、それはあまりに男性目線過ぎることも気になっている。そこには女の子にとってアイドルとは何か、という視点が欠けている。もしかすると今回の話、僕も含めて男性が語ることではないのではないか、とも思う。
(ちなみに私はAKBのファンではないです)

とてもぐうたらな社会学者。芸術系大学にいるがこれでも博士(社会学)。