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【放送概論風味】2021八月テレビ

8月は毎年、終戦に合わせた番組が数多く放送される。新聞や雑誌などの特集も合わせこれを「八月ジャーナリズム」と呼ぶこともある。
8月はまず、ヒロシマ・ナガサキにはじまり、815の終戦記念日を迎える。と同時に多くの地方では月遅れのお盆。テレビでも追悼の意味も含めた番組が多くなる。

コロナ禍の2021は、さらにオリパラの開催もあって、かなり特殊な8月であった。7月後半から8月前半はそもそも実施するのかどうかも議論が分かれた五輪の特別編成。各放送局ともその対応に追われまくったことは間違いがないだろう。そのためか新たに番組を作る動きは極端に減少した。アーカイブの多いNHKでは過去の名作「八月もの」再放送が相次ぎ、民間放送では特段「終戦記念日」に合わせた大きな動きもなかったように思える。

そんな中で今年の「八月もの」で目についた3本を選んでみた。

まず8/11放送のNHKスペシャル「原爆初動調査・隠された真実」。
広島・長崎では戦後すぐ、米軍による大規模初動調査が行われ、そこでは科学者たちにより「残留放射線」の存在が測定され、時に長崎西山地区では黒い雨も含む「その後の被曝」の状況も詳細に分かっていた。しかし戦後も核開発を続けるアメリカは「高高度で爆発させれば残留放射線はない」という論理を貫き、これらの報告は「隠蔽」されていった。もしその詳細なデータが公開され、分析結果が共有されていれば、数多くのその後の被爆者を救うことも可能であったかもしれない。しかしそうなることはなく、未だアメリカの核開発はこの「高高度」論理で行われている。
これは広島長崎だけではない、同様に旧ソ連も、米が開発した核兵器を過小評価するために、またその後は自国でも核開発を妨げられないように核兵器による残留放射線データは隠蔽される。米ソの核実験でも、あるいはチェルノブイリでも、科学的調査のデータは政治的圧力で捻じ曲げられ続けていった。これが福島や、現在の世界のcovid-19で起きていないとは誰も言い切れないこわさもある。科学がいかに政治や軍事の前に無力だったかを番組は淡々と描き出す。
しかし多くの科学者たちが記録を残しているし、また証言をしてくれる。こうして隠された真実は地道かつ堅牢なジャーナリズムの力があれば必ず明かされるのだということも、この番組は教えてくれる。

次は8/28放送のETV特集、「玉砕」の島を生きて~テニアン島 日本人移民の記録~。
テニアンといえば、米軍が占領後はその滑走路を拡張し、日本本土爆撃の拠点とし、原爆投下機も飛び立った基地となった島である。もとはサトウキビ栽培のため、多くの日本人移民がそれなりの暮らしをしていた。サイパン島の隣である。そこでも沖縄と同じように米軍が上陸、陸戦となり、多くの民間人が巻き込まれ、日本兵により自決を迫られて多くの悲劇があった。番組は、フリーの映像ディレクターである太田直子さんが20年以上このテニアンの民間人遺族らに密着し撮影した映像から構成される。特に逃亡に逃亡を重ねた末、兵士に命じられて我が子に手をかけた母親のリアルな証言をじっくり引き出したところは圧巻。「あの兵隊さえ来なければ」というセリフとともに当時の様子が具体的に語られる。しかし彼女は末っ子の男の子を殺すことができなかった、とも語る。番組はさらに密着し、その母親が亡くなられたあと、娘さんが母に頼まれて弟を殺したことを告白する。あの戦争が残したものが、こうして今も続いていることに慄然とする。

最後は8/2 NNNドキュメント「残してください 被曝ポンプです」。制作は広島テレビ。
広島駅から路面電車でひと停留所。商店街の両側に朽ち果てたガッチャンポンプがある。そこに「残してください、被曝ポンプです」と手書きの札がかかっていることにある一家が気づく。そして小学生の娘さんが夏休みの自由研究として調べ始めると、その札はある被曝二世の方がかけたもの。かつて商店街で空襲の防火対策として設置したポンプで、被曝していることをつきとめた。
しかしそのポンプたちが再開発で消えようとしていることを知り、持ち主を探して保存活動をしていたのだ。娘さんはその話を絵本にまとめた。一家はクラウドファンディングでその本を出版。市内の図書館や学校に置いてもらい被曝ポンプのことを少しでも多くの人に知ってもらおうとする。その試みが新聞で報道されると、「私はあのポンプに救われた」とある被爆者が名乗り出て、新たな証言を始める。そんな小さいけれど貴重な物語だ。
どんな土地にも「記憶」がある。広島には76年前のヒロシマという大きな記憶がある。広島に生まれ広島に育つということはその記憶と向き合うこということでもある。76年という長い時の流れに、被爆の記憶も風化しがちであることが指摘される時代となった。また二世や三世がどう被爆と向き合うのか、被爆者からヒバクシャへというプロセスのあり方も問われている。この番組が伝えるのはさらに、二世でも三世でもない、しかし広島市民である次の世代、次の次の世代がいかにヒロシマと向き合うかという問題であると思う。ある一家の向き合い方を伝えることで、多くの広島市民・県民と考えていこうとする姿勢は、地域の放送局として、広島のテレビとしてなすべき仕事であると実感した。

とてもぐうたらな社会学者。芸術系大学にいるがこれでも博士(社会学)。