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【社会現象の解読風味】::SKE48はアイドルじゃない、という話

先日、僕が『マイスター』と読んでいるフォトグラファー/ライターが久しぶりに研究室にやってきてくれてしばらく話をしていた。彼のつくるSKE48についての記事は、良くも悪くもファンのサイドに立っていて、顕在的潜在的ふくめ彼の記事の熱さに心を打たれている読者もきっと多いはずだ。

その彼が言う。「今、SKEはアツイです。オキドキ、パレオのころのあの盛り上がりが戻ってきています」と。
いや、これは困った。オキドキにパレオと言われたら、それは僕的にはSKE最高潮である。あの大きな波が再び来ているのか。これはしばし名古屋から目が離せない。

ここしばらくどう見てもSKEは不遇だった。全国ツアーもないし、後輩である難波や博多や新潟や瀬戸内やアジアのチームの陰に隠れて「そういえばSKEなんてのもあったよな」という印象を持たれていた。
48グループの先陣を切って2012年、TIFにも参加して大きな話題となったのはSKE48だった(あのときがオキドキ!だった)。「顔が崩れても踊り続ける」「汗の量は半端じゃない」という言葉とともに、本家AKBとは一線を画したパフォーマンス、松井珠理奈・松井玲奈というW松井の個性がせめぎあったWセンター、突然のエイベックスへのレーベルチェンジ、須田亜香里を代表に加入したてのメンバーが次々ヒロインに化けるなどなど、もしや本家AKBを抜き去っても行くのではないかとまで噂されるほどの存在でもあったあのSKE48。

渋谷のSKEショップは早くに閉店してしまったが、今年の4月には名古屋のSKEカフェも閉店と聞いた。あれ?どうしたんだSKE?という印象がここ2〜3年、僕の中にはあった。昨年の総選挙ではSKEが1位2位となったものの、なにやら素直におめでとうと言えないモヤモヤした状況のまま。SKEの輝きはどこへ行ったのだろう。僕はそう思っていた。

昔、僕の知人が名古屋に転勤になった。しばらくして東京本社が戻って来いと言ったのだが彼は断った。何回か戻れと言われても、戻らなかった。彼は転職して名古屋の会社に就職した。その理由の大半がSKE48だった。
それだけの力が当時のSKEにはあった。AKB48の「妹分」として作られたチームだが、それだけにAKBとは何が違うのかという差別化が最初からあれこれと明確だった。その一つが「汗の量」であるし、絶対的センターを置かないことでもある。グループの性格が明確であることは、ファンが「なぜ好きなの?」と聞かれた時にしっかり答えられる状況を作る。それはすなわちハマるイイワケとして力を発揮する。
しかもこの性格がパフォーマンスや頑張りの側面で強調された。AKBや他の追随するアイドルグループと違い、女の子のルックスや可愛さではない側面が強調された。そのことが、まだ一般的でなかった女性アイドルグループを推すことへの抵抗をかなりやわらげた。AKBに関心があっても躊躇していた人々にSKEは大いに支持された。

もう一つが、ホームタウン「栄」である。もちろんAKBも秋葉原なのであるが、彼女達は単に秋葉原に劇場があるだけで、もとより秋葉感はほとんどない。アキバと名乗るが全国区のタレントだという位置付けが最初から与えられていた。AKBはアキバどころか東京だけのアイドルという印象も少ない。
だがSKEは初期から名古屋を強く強く意識している。大須で撮影されたあのバンザイVenusのMVは、まさしくSKE48のキラーコンテンツだったと言える。名古屋ローカルのラジオやCMに丹念にとりくみ、地元のアイドルとしてきちんと愛される土台を作った。

おそらく、これらの取り組みは、AKB48とSKE48をどう差別化して両立させるかというプロモーション的な必要から生じた取り組みだろう。だが、その後のアイドル文化の展開は、むしろSKE48的なるものの方に進行してゆく。全国区メディアでの露出を目指すのではなく、しっかりと「界隈」に愛されてゆく存在としてのアイドルという方向だ。
AKB48という光の存在の影としてのSKEと当初は言われたが、実はそうではない。SKE48こそが光であり、AKB48はその影として存在した。初期の2グループの成功はそこにあるのだろう。

だがAKB48はその後いくつかの妹グループをつくり、そして、乃木坂・欅坂というあらたな対立軸を作り出す。特に坂道系は真の意味で48系の影という設定であり、坂道かAKBかという選択肢を作り出した。こうなるとSKE48の果たしてきた役割は48グループとしては失われる。あたかもAKBの幾つかあるチームの一つかのような存在となってしまう。それがここ最近のSKEの不遇を作り出していたように僕は思っていた。

だがわれらが『マイスター』の話を聞いて、そうではないことがよくわかった。名古屋を中心とするSKEファンは、そう簡単にSKE48を見放したりしなかったのだ。それはおそらく、しっかりと地元と向きあってきたSKE48に対する地元から返される熱量だろう。今は他のグループとの関係などではなく、SKEそのものの魅力とパワーが動き出しているのだと考えてもいいかもしれない。
なおかつそのパワーの源は、もとよりSKEに課されていた「アイドルであるためのアイドル的でないもの」を具現化するその過程の中で培養されてきたものだ。AKBの対立として存在し、48ではない他のアイドルグループとの接点として存在し、拡散するAKB集団の軸として存在し、いま歴史をもつSKE48それ自身として存在しようとしている大きな光。それがSKE48の本質だ。

マイスターと僕とで一つの結論に達した。SKE48はアイドルではない。それを超えた何かなんだね、と。

とてもぐうたらな社会学者。芸術系大学にいるがこれでも博士(社会学)。