深呼吸して、飴をひとつぶ。
私のカバンの中には飴が入っている。いつも使っているリュックにも、手持ちカバンの中にも、小さいポシェットの中にも。どんなときも忘れずに飴を入れている。べつに喉を痛めやすいわけでも、甘いものが好きなわけでもない。「ピンチ」のときに、飴を舐めるのだ。この習慣は、たぶん中学受験のときから続いている。
小学六年生の冬。慣れないイーストボーイのきっちりとした服を着て、両親に受験会場まで送ってもらった。自分なら大丈夫。変な自信に満ちた子どもだったが、試験会場が近づくにつれてテンションは下がっていく。失敗しないかな。難しかったらどうしよう。不安なことを挙げればキリがない。
そわそわと鞄を漁っていたとき、私は気づいてしまった。本がないのだ。お守りがわりに持ってきた、大切な小説が。面接の長い待機時間に読もうと思っていたのに。今日はそれだけを楽しみにしていたのに。
急いで両親に戻ってほしいと伝えたが、もちろん家に帰る時間はない。朝早く、本屋が開いているわけもない。漠然とした不安も相まって、もう全部が嫌になってしまった。
もう家に帰りたい。受験しない。白紙で出す。かんしゃくを起こしたように泣いていると、父が近くのコンビニに車を停めた。怒られるかもしれないと身構えたが、父は何も言わず、母だけが降りてコンビニに入っていった。
「はい。舐めな」
帰ってくるなり、母は飴を差し出してきた。棒状のパッケージに詰められた、はちみつレモン味ののど飴。渋っていると、母はパッケージから飴を取り出し、口の中に突っ込んできた。甘いレモンの味。涙のせいか、少ししょっぱく感じる。
「どんなことにも終わりは来るから」
母はそれだけ言うと、あとは何も言わなかった。車を降りるときに、父からは「白紙で出してこい」と言われた。
本当にそうしてやろうか。鼻をすすりながら父を睨んでおく。口の中には、あの甘いレモンの味。不安はいつの間にかいなくなっている。まあ、大丈夫かもしれない。どんなことにも終わりは来るし。そう思いながら、私は受験会場へと歩き始めた。
結果として受験には受かり、「白紙で出すんじゃなかったのか」と父にからかわれる日々が訪れたのだが、このとき以来、私はよく飴を舐めるようになった。緊張したときや不安になったとき、むしゃくしゃしたとき。どんなときも、飴を舐めているうちに「大丈夫かもしれないな」という気持ちになってくるのだ。
「ピンチ」のときには、飴をひとつぶ舐める。社会人になった今でも、大切なおまじないのように、私のカバンの中には飴が入っている。
読んでくださりありがとうございました🌷