成長よりも成熟を大切にする時期があっていい
「成長」というのは、とても大切なことだと思います。
「成長」と聞くと、どんなイメージを持たれるでしょうか?
私は、右肩上がりに上がっていくイメージを持っています。
「成長したい」という気持ちは尊いことだし、資本主義社会では右肩上がりに売上が上がっていくことや、会社の規模がどんどん大きくなっていくことが求められます。
昨日こちらのイベントに参加しました。
テーマは、「NEWソサエティ:成長から成熟へ」
このイベントでテーマとなっていたのは、成長から成熟にどう転換していくか?ということ。
このイベントからの気づきを書いていきます。
果物でたとえると分かりやすい
このイベントのモデレーターをされていた金山淳吾さんが、果物にたとえられていて、わかりやすかったです。
たとえば、リンゴをイメージしてみてください。
リンゴは、ある一定の大きさまでは成長するけど、そこからは大きくはならずに、美味しくなるために成熟していく。
成長のフェーズも大切だけど、成熟のフェーズも大切。
ずっと大きくなり続けるリンゴは無いので、いまの社会ではもっと成熟に目を向けるのが大切。
これまで資本主義社会で、右肩上がりの成長をしてきた日本ですが、大量にモノを生産して、大量にモノを消費するには限界がきている。
幸せの価値基準が、お金を稼いで高いものを手に入れることの1つだった時代から、転換する時代になっている。
個人における成熟とはなにか?
社会における成長や成熟の話だけではなく、個人における成長と成熟で考えてみたい。
上へ上へ成長するのではなく、深堀りしていくのも成熟のひとつ。
私の場合、成長できてない自分に焦りを覚えることがあるのですが、いま自分が成長をする時期なのか、成熟をする時期なのか、と考えるといいかも。どちらか一方に分けられずに、混在していることもあると思いますが。
成長って、分かりやすいんですよね。
たとえば、英語のスキルが上がる(TOEICの点数が上がる)とか、昇進してポジションが上がるとか、給料が上がるとか。
でも、成熟って、ちょっと抽象的。
明確な客観的指標がないから、実感を持ちにくいし、不安にもなりやすい。
そう考えると、成熟は、客観的指標よりも主観的指標を大事にするってことなんですかね。
リンゴにたとえると、大きさは測れる(客観的)けど、美味しさはその人の感覚(主観的)によるものですよね。
たとえば、個人にとっての成熟で思いつくものは、
・人とのつながりや信頼。
・すぐには役立たないかもしれない知識や経験。
・休息。
・大切な人と過ごす時間。
とかですかね。
自分の心を豊かにする、満たされている状態をつくるものかなと思います。
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