「学校に行かない」が腹落ちするまでの4ヶ月
4ヶ月前、子供たちの夏休みが終わる直前まで、私たち4人家族はごく普通の生活をしていました。
4ヶ月を経て、どのように子供たちが不登校になっていき、そして課題に気づき、受け入れたのかを振り返ります。
発端は夏休み最後のコロナ感染だった
夏休みは、共働きの子育て家庭にとっては1年で一番しんどい時期かもしれません。私も多分にもれず、夏休み前から小一次男の学童のことや、学童に行っていない小四長男とどう過ごすかなどを考え、祖父母の協力も得ながら夏休みをなんとか過ごしていました。
私自身今年はとても仕事が忙しく、お盆の週になんとか休みを取るために前の週は予定が詰め詰め。夫も個人事業をやっており、やはり忙しい毎日。でも、お盆の週は休みを取ろうと必死でした。
なんとか合わせた夏休みの1週間は子供たちと充実した時間を過ごしたのですが、その後しばらくして、夫がコロナに感染。仕事をしながら看病と家庭内感染予防と家事と全てワンオペでやっていた私も感染し、結局のところ全員でコロナに感染しました。
こればかりは本当に仕方ない・・・
今はしんどいけど一時的なことだから頑張るしかない・・・
そう思ってなんとか毎日を生活していたのですが、、
夫も私も日頃無理をしていたせいか心身共にダウン。一方の子供たちは、(幸いなことですが)感染しても元気で、家の中は荒れ放題、ゲームもYoutubeもやり放題。
夫はこの状態がどうしても受け入れられなかったようです。日頃の子供たちへの不満、私への不満も爆発。
私は私で、この状況をなんとかしようと思いながらも体力、精神力が持たず、どうにもならない。
そして、自分達が何をしてしまったのかよく分からず、ただ泣き続ける子供たち。
何かが壊れてしまった・・・
そう感じてしまいました。
思えばたくさんの違和感があった
幸いコロナ感染そのものはなんとか過ぎ去り、次男は始業式から、長男は1日遅れで学校に登校できるようになりました。
やっと大変だった夏休みが終わった・・・
ほっとした束の間。
はじめに状況が変化したのは次男。朝の登校で、わざと遅く歩いて集団登校の集合に遅れて行こうとしたり、集合できても私からどうしても離れなくなったり。集団登校班に迷惑をかけるのもどうかと思い、仕方なく私が毎日後ろからついていきました。しかし、ついて行っても今度は学校に入らない。
そんな日々が続く中、長男はただ淡々と、仕方なさそうに登校をしていました。しかし、元気がないように見える日が続き・・
9月の半ばごろ、「頭が痛い」と言って学校を休みました。
翌日から、長男の五月雨登校が始まることになります。
もし、この夏の事件がなかったとしたら、
夏休みを楽しく過ごせていたら、
この状況はなかったのか。
おそらく「ノー」です。これまでも違和感はたくさんありました。
一つ一つは小さなことだったかもしれません。例えば、、
宿題を嫌がることがあった
ゲームやYoutubeをやめられないことで私たち親とたびたび衝突していた
泣きながら下校してきたことがあった
友達と遊びたいと言わなくなった
突然泣き出したり、感情がコントロールできないことがあった
こういったことがあるたびに、話もしましたし、なんとかしてきました。
でも、”なんとか”してきた、というのが正直なところだったのかもしれません。
まさか、という思いと共に、どうにも防ぐことのできなかった自分が悔しく、苦しい思いでした。
五月雨登校、そして、次男も
多くの方がそうであると思いますが、長男が学校へ行けなくなり、必死になって行けない原因を探したり、励まして学校へ行くことをサポートしようとしたりした初期。
行けない日も、いける日もバラバラで、でも、「学校へ行く」ということを前提として、毎日「行ける?行けない?」といった辛いコミュニケーションが続いていました。
五月雨登校は2ヶ月ほどあったと思います。この間、長男は自分自身も「行けるのではないか」という思いだったのでしょう、「明日はいく」「保健室なら行く」「2時間目だけなら行く」など、かなり辛いと思われる中最大限にできることをしていました。
私も正直、「学校へ行く」が前提になっていましたから、こう言った言葉に期待してしまいます。
明日は行けるのだろう、1時間なら行けるのだろう、などと。
なので、行けなかった日は長男も私も深刻なまでに落ち込んでしまいました。
そんな中、朝の集団登校はできずともなんとか学校に行っていた次男。
次男が通えていることだけが心の支えにもなっていたのですが。
ある日、衝撃の一言。
「なんでにぃにが学校休んでいるのに、自分は行かなくちゃいけないの?」
「にぃには休めていいな!」
・・・
これに答えられる理由があるでしょうか?
ここから次男も五月雨登校が始まります。
五月雨で学校へ行くことになんの意味があるのか
兄弟二人が五月雨登校をするというのは、やってみて、本当に精神的にも体力的にもかなりきついものであるということがわかりました。
毎日メンタルの状況も違います。状況を見ながら、慎重に声かけ。
兄弟同士で「お前が行け!」「そっちが休むならこっちも休む!」などと兄弟喧嘩も毎日。
周りから見るとさぼっているように見えるので、身近な人のちょっとした一言に傷つく。
仕事を調整し、時に合間をぬって送り迎え・・・などなど。
それでも、二人同時に登校できた日が1日だけあり、二人で仲良く帰ってきて、「行けたよ!」「楽しかった!」などと報告してくれたこともありました。泣きました。
でも、そううまくいくことではありません。
後から気づくことですが、彼らの不登校はそれほど表面的なものではないので、一度いけるようになったからどうこう、というものではないのです。
この2ヶ月程度、さまざまな登校スタイルがありましたが、その中でどうしても、「学校に行きたい」と兄弟たちは思うことができなかったようです。二人は次第に、
「学校へ行けない」
↓
「学校へ行きたくない」
↓
「学校へ行かない」
と強い意志を持って、学校へ行かない、と言うようになりました。
ここまできて、私もようやく気づきました。
彼らは、今、学校へ行くことになんのメリットも感じていない。
彼らは、今、学校へ行くことで、ただ神経をすり減らしているだけ。
彼らは、今、自分達で、学校へ行かない、と言っている。
で、学校に行ってほしいのは誰か。
親である私のエゴでしょう。
1時間だけでも学校へ行かせて安心しているのは、親。
他の子供たちと同じことをすることで満足しているのは、親。
私もかなり深いところで、ようやく、決断をします。
親として腹を括り受け入れる
ここまでくる過程で、子供のこともそうですが、私自身も否応なしに自分のこれまでに向き合わざるを得なくなりました。
思えば、子育ての過程では良かれと思って子供たちにたくさんの提案をしてきました。
XXやってみない?
XXがいいと思うよ?
などと。
XXしなさい、XXはダメ、なども命令的なことも多数。
彼らと対等に、そして彼らが本当にやりたいことに、耳を傾けてきたのか。
長男は、この不登校を境に、私が勧めた全ての習い事をやめました。
いらないこと、やりたくないことは、キッパリと「やらない」と言うようになりました。
ぐうの音も出ない。彼らを信じるしかない。
「学校へ行かなくていいよ」
3ヶ月経って、ようやく言えました。ごめんね。
それから長男は完全不登校中、次男はたまーに行っていますが、ほぼ完全不登校中です。
不登校自体が問題なのか
不登校とは、非常に表面的な状況の一つに過ぎないのだと、今、思います。
学校へ行くことは一つの選択肢であり、それが自動的に決まっている。
親がそれを当たり前だと思っている。その当たり前を子供に押し付けている。
そういうことが真の課題なのだと思います。
だから、この課題は親である私が向き合い方を変えないとどうにもならないことなのだと、気づかされました。
さて、ここからが大変です。
気づいて、腹を括ったのはいいとして、ここからどうするのか。
たくさん、実験と失敗があることと思いますので(既に実験と失敗を色々していますので)まとめていきたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?