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しあわせになることに遠慮は無用だと思う

こんにちは、ナツミ(@natsumi_smile)です。
30日間noteを連続投稿するチャレンジ #note1000knock、 今日で17日め。

わたしは【自分を大切にする】をテーマにnoteを毎日書いています。
(マガジンはこちら。)

昨日は「やりたくないことをやめる方法」について書きました。

〜まとめ〜
1.まずはやりたくないことをリストアップ
2.やりたくないことをなぜやっているか考える
3.やりたくないことをやめたらどうなるかを考える
4.やりたくないことをやり続けたらどうなるかを考える
5.やりたくないことをやめた時間でやりたいことを考える
6.そのやりたくないことは、自分がやらないといけないことかを考える
7.やめる優先順位をつける
8.誰に何を言われようと、自分を優先する・自分の人生を生きるという「覚悟」を決める【一番大事!】
8.勇気を出してやめる宣言をする。

今日は、自分より他人のしあわせを優先しがちな人へ伝えたいことを書きます。


1.「自分を犠牲」にしていたら、人を大切にできない

「自分のことより他人のことを考えなさい」と小さい頃に教わった気がします。

あるいは、自分を犠牲にして誰かを助けた偉人の伝記か何かを読んで、「自分のことより他人のことを優先することがカッコイイことなんだ」と感じたような気もします。

昔は、それがカッコ良かったのかもしれません。

いえ、実際にカッコいいと思います。自分を犠牲にして誰かを助けるなんて、なかなかできることではありませんよね。素晴らしいことです。

でも、大人になった今、思うんです。

「自分のこともしあわせにできなくて他人をしあわせにできるんだろうか」「自分の犠牲の上に成り立つしあわせを他の人はしあわせだと思うだろうか」
「自分を犠牲にしたら自分を大切に思ってくれている人が悲しく思うんじゃないか」
「身近な人をしあわせにできない自分が他の人までしあわせにできないんじゃないか」


自分を犠牲にしてたら、人を大切にすることなんてできません。
その結果、人からも大切にされなくなります。

なぜって、自分を犠牲にすると言うことは、自分自身が自分に対して、「あなたには大切にする価値がない」と言っているのと同じです。
毎日毎日、あなたには価値がない、と言われ続けたらどうなるか想像してみてください。最初はそう思っていなくてもだんだん本当にそうかも・・と思えてきませんか? 自己肯定感が、どんどん下がっていくのが想像できますよね。

また、自分を大切にできないと、他人を大切にする術も見失います
逆に、自分を大切にしている人は、自分にするのと同じように他人を大切にできます。どういうふうに大切にされたら嬉しいか、わかっているからです。

そもそも、自分を犠牲にして我慢を続けている人を見て、他人はどう思うでしょうか。残念ながら、しあわせな気持ちにはとてもなりませんよね。


2.自分がしあわせでいれば、まわりもしあわせ

では、周りの人をしあわせにしたい、そう思ったら、どうしたらいいんだろう?

優しくする、何かモノをあげる、話を聞いてあげる、楽しいことを一緒にする・・・

どれもその瞬間はしあわせかもしれないけれど、持続しない気がする・・。

そう考えて、わたしが結論に至ったのは、
「わたし自身がいつも上機嫌でいること」でした。

わたしが上機嫌なら、いつもモノをあげるのは無理でも、優しくしたり、話を聞いてあげたり、楽しいことを一緒にすることは続けられると思いました。

でも、わたしだって不機嫌になるときがある。しかも結構ある。

じゃぁ、できるだけ上機嫌な時間を増やす努力をしよう。不機嫌になったとしても、それをネタにして笑えればそれでいい。
でも不機嫌を我慢はしない。不機嫌になった自分を責めることもしない。むしろ努力してる自分を褒めて自分の機嫌を取ろう。

楽しいこと、好きなことをたくさんして、毎日の小さなしあわせが、自分を上機嫌にすることにつながると信じて。


周りの人に「最近しあわせ?」なんて恥ずかしくて聞けないけれど、一緒に過ごす時間を楽しく過ごせているから、少なくともその時間はしあわせな時間なんだと信じています。


人は自分の鏡だと言いますが、自分がどんよりしていると周りにはどんよりした人が集まってきます。自分が上機嫌でいると、周りも上機嫌になっていきます。

自分がしあわせになることが周りをしあわせにすることだとしたら、しあわせになることに遠慮は無用です。

わたしはそう思っています。

サポートしてくれたら泣いて喜びます。