12週と3日間~稽留流産を経験して⑤終

退院

13時過ぎに飲水の許可が出て、看護師さんが薬を渡しに来てくれた。
私はベッドで、旦那さんは椅子に座って気づいたら寝ていた。
抗生物質と子宮収縮止血剤。後者の薬の裏に、【妊婦、妊娠の可能性のある方 服用禁止】と赤字で書かれていて、心にグサッと来た。もう自分は妊婦ではないと再認識させられた。これから5日間、これ飲むたびに突き付けれられると思ったら、少し辛かった。

経過が良さそうなので、今日の夕方退院していいと許可が出た。でも、もうしばらく安静で。病棟内歩いたりしてみて、体調見てみてね、ということで、旦那さんと夕方まで病棟でゆっくりした。本当だったらコロナ禍だから、退院の時間まで外にいてくれと言われたのかもしれない。でも、先生も看護師さんも黙って見守ってくれていた。本当にありがたかった。
少しずつ手術前後のことを思い出して、旦那さんにペラペラ喋った。
そういえば、赤ちゃんと別れた後、またボーッとしていた時、血中酸素濃度が下がってきていた。「頑張って深呼吸してー!」と数回叫ばれたのを思い出した。うーん、まだ(手術室を)出られないなぁ…と言われて、「深呼吸ー!」と声をかけられた。今思えば、もうちょっと頑張って呼吸しろよ自分、と思う。でもその時は、手術が終わって、放心状態だった、許してほしい。

旦那さんの方はというと、今日、手術が失敗して、私が死ぬかもしれないと思っていたらしい。当初から、リスクの高い手術で、万が一子宮穿孔になったら、私も危険だと、輸血の承諾書やらなにやらいろいろ署名した。最悪の場合を想定した書類なのだけれど。
手術当日、旦那さんが家を出てくる時のこと。
玄関に飾ってある、結婚式のファーストバイトで使った宮島のしゃもじが、思いっきり落下したという。結婚式から1年半、そんなこと一度もなかったから、「今日、妻は死ぬかもしれない」と思ったらしい。
「なんでその話、手術の前にしなかったの!?笑」と言ったら、「言えるわけないやろ!笑」と言われた。そりゃそうだな。手術前の人に「あなた死ぬかもよ」なんて言えないよね。手術はとってもスムーズに進んで1時間程度で終わったんだけど、待たされる方も辛かっただろうな。待っててくれてありがとう。

点滴を押して病棟をぐるぐる回っていたら、また管理栄養士さんに遭遇した。「無事手術終わりました!今日退院できそうなんです、1食しか食べられなくて残念。」と声をかけたら、「よかった~。本当によかった!」と私の無事を喜んでくれた。亡くなった赤ちゃんがここに連れてきてくれなかったら、この管理栄養士さんにも、後ろのナースステーションにいる看護師さん達にも、会えなかったんだなと思った。ここは結構大きな国立病院、大変な病気で入院している人もいて、本当なら来ない方がいい場所で、私たちは出会わない方が幸せだったのかもしれない。でも私はここに来ることができてよかったと思った。優しい人達に、たくさん優しくしてもらった。旦那さんの優しさにも改めて気づいた。私も日常に戻ったら、もっともっと、もっともっともっと、人に優しくしたい。

18時頃、退院の手続きが終わって、病院を出た。なんてスムーズ。
昨日の21時から何も食べていない。「何食べたい?」と旦那さんが聞いてくれたので、お寿司をリクエストした。妊娠がわかってから、我慢していた生魚。食べていいんだ!と喜びたいところだけど、できればちゃんと出産してから、美味しいものを食べたかった。こんな早く、お寿司にありつけるとは。

流産の診断を受けてから4日間、いろんなことがありすぎた。
妊娠がわかってつわりが辛かった時と打って変わって、すごく体調はいいし、お寿司も美味しい。でもなんだろう、この感じ。空しいという言葉が1番合うだろうか。空しい。うん、空しい。健康に戻ったのに、なんなのだ、この空しさは。


その後

その後といっても、これを書いている今日は退院して2日後。
この3か月間、いったい何だったんだろうなぁ…と、やっぱり思う。
私達夫婦の赤ちゃんは、なんで私達のところに来て、なんで早々に帰っていったのだろう。
早くも私は普通の日常生活に戻りつつある。久々に自転車に乗って、近所のスーパーへ食材の買い出しにいった。ずっとつわりでできなかった自炊も今日から再開する。
自分の赤ちゃんが亡くなったというのに、こんな早く立ち直っていていいのだろうかと思ったりしたり。
でも、スーパーへの道の途中の公園で、子供が走り回っている様子を見たり、赤ちゃんを抱っこしているお母さんを見ると、涙が出た。
私も抱きたかったなぁ。でも、手術のあと、赤ちゃんに会えたのは本当に良かった。会えていなかったら、今日もずっと気持ちがふさがっていたと思う。でも、会えたから「あの子、ちゃんと生きてたんだもんな」と、妙に納得している。

あともう一つ。実は妊娠がわかる直前、あまり見たくない夢をみた。
私の横に、手のひらサイズの赤ちゃんが横たわって寝ている夢をみた。
横たわる私と、私の横で横たわる赤ちゃんを、私は上から見ていた。
なんとなく嫌な感じがして、母子手帳をもらったときも、(これ、最後まで使い切れるんだろうか)と、心のどこかでずっと思っていた。
私がそんなこと思っていたから、赤ちゃんが嫌になっちゃって帰っちゃったのかなぁ…なんて考えて落ち込むこともあるけど、でもやっぱり、(こうなるからね)って受精卵の時点で決まっていることを教えてくれていた気もする。わからないけど、こればっかりは。なんかまたスピリチュアルな話になってしまった。

まだ小さい子供を見ると辛いし、またふとした時に思い出して泣くのだと思う。
さっきスーパーへ出かける前に、体調不良で休んでいると思っている同僚から「早く元気になってね♡」とメモ付きで、部のみんなで分け合ったお菓子の私の分を、わざわざゆうパックで届けてくれた。「来週出勤したら、これあなたの分ね!」とLINEをくれた時、私は「ごめん、入院になっちゃって。来週も出社できないと思うから、私の分も食べといて!」とお願いしてあったのに、わざわざ送ってくれたのだ。わざわざゆうパック。お菓子数個をゆうパック。こんな優しい人いるだろうか。箱を開けて、お菓子とメモを見て、またいっぱい泣いた。

これらもずっと泣くと思う。
この流産の辛さを乗り越えることは、一生ないと思う。
もし次また私達夫婦のもとに赤ちゃんが来てくれたとしても、この辛さは変わらないし、一生付き合っていく辛さだと思う。
実は親戚や知り合いにも、流産を経験した人を知っている。
その人達はみんな、この悲しみと空しさを乗り越えたのだろうか。
聞いてみたい気もしたけど、やっぱりいいや。
私は無理にこの流産の経験を乗り越えることはしないことにした。

私はこの経験をこの先も抱えながら、明日からまた仕事を頑張りたい。それと、この数日間で出会った人から、たくさんの優しさをもらった。だからその優しさを、これから私が出会う人たちに分けていきたいと思う。でもやっぱり(なんでこんな辛いことを経験しなきゃいけなかったんだろう?)とは思う。それでも、手術もうまくいって、今こうして生かされているのは、そういうことなんだと思う。私は強く生きて、これから出会う人に優しさを分ける。それが私の人生のミッションだと今は思える。なんか壮大な話になってきたな。

そして、その優しさを一番分け与え続けたいのは私の旦那さんだ。
家に戻って、手術の翌日久々にお風呂に入ったら、大量に出血してしまった。「術後まだ日が浅いから、血行がよくなるとこんなこともある」と看護師さんから説明されていたけど、フラフラになった私に、「横になってて!風呂は俺が片付けとくから!」と、血だらけのお風呂をすぐに掃除してくれた。どこまで優しいんだろう、この人は。この数日間、本当に支えられた。きっとこれからも支えてくれるのだろう。私も同じだけのことができるかわからないけど、旦那さんにいっぱい優しくしたい。彼に何かあったら、今度は私が全力で支えたいと思う。
一蓮托生だもんね、私達ね。本当に大切な好きな言葉ができた。


これを最初から最後まで読んだ人は何人いるだろう。
重い話で、一緒に辛くなってしまった人もいるかもしれない。
こんな悲しい思い、共有されたくなかったかもしれない、巻き込んでごめんなさい。
でも、私はこの数日間、こうして流産の経験を共有している人たちの情報提供を見てきて、早く気持ちの整理ができたし、支えになった。
もしどこかで誰かがこれを読んで、「私だけじゃない」「同じ思いしている人がいるんだな」と思ってくれたらいいなとも思っている。
どうして流産の辛さを、当人だけで抱えなきゃいけないのだろう。他人に話しちゃいけない空気があるし、私も話しちゃいけないと思っていたけれど、本当にそうだろうか。当人の気持ちの整理が少しできて、次のステップへ進めるのかもしれないなら、誰かに共有することもいいんじゃないだろうか。


自分のために書いてみてよかった。
今、不思議とすっきりしている。
明日から私は、強く、人に優しく生きていく。


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