中学生の頃の話①

さて、小6の終盤で酸素の生活になった私ですが、これから中学校をどう通うのか考えないといけません。

中学校は、家から3キロ強、とても歩ける距離ではありません。
私の母親は、ちょっと朝くらい送った方がいいかなと思って、私が高学年の頃に車の免許を取ってくれてたので、これがめちゃくちゃ重宝されました。

まず、私の母親は、中学校からPTAの本部役員になることになっていたので、
その用事のついでか何かで、3月中に校長先生、教頭先生らへんの人と話し合いをしてくれました。
母親が、1人で自転車で行ったので私はついて行っていませんが(酸素の扱いもまだ慣れてなくて、外出に手こずるのもあって・・・)、教頭先生も校長先生もとても良い方で、送り迎えを車でしたいと言ったら「来賓用の駐車場、どうぞ使用してください」、酸素をつけて学校通うんですが・・・「自分で操作できるなら付き添いとかは大丈夫ですよ」と公立の中学校でしたが快く引き受けてくださいました。
今思うと、めちゃめちゃ人に恵まれてたなと思います。

中学校では、1年生の時に宿泊学習、2年生は校外学習、3年生は修学旅行といった感じでイベントがありました。
1年生の宿泊学習の際は、機械の大きさがよくわからないとか、私たちも初めて学校行事を酸素をつけて参加するということで、頼りない担任は抜いて、学年主任、校長、教頭、母親、私、酸素業者の方の6名で話し合いの場が設けられました。
学年主任の先生は、「修学旅行とかどうしたの?」って聞いてきましたが、その時まだ酸素を使用してなかったので、こういった話し合いの場を設けることになりました。
で、話し合いの結果、機械は部屋へ、ボンベは保健室に置くことになりました。

1年生の宿白学習では、荷物を最大限減らしたものの、まさかの重くて持てないという状況に陥り、母親が学年主任の先生に当日相談したところ、学年主任の先生が「他の荷物もあるので車で行くから、乗っけていいよ」ってことで、乗っけてもらいましたw
私は、超最小限の荷物でみんなと同じバスへ!
一応言っときますね、担任には一切相談してませんw(ほんとに言っても無駄ってくらい頼りなかったのですw)
帰りは、なんとか他の子の力を借りて、荷物は自力で持ってきた気がしますが・・・
でも、まぁ、親の付き添いなしでなんとかこなせましたね。

2年生の時は、東京・神奈川校外学習ということで、自分たちが行きたいところをグループごとに回るといった感じでした。
まぁ、そんな広いエリア、野放しにするのは危険なので、グループには1台ずつPHSが渡されてました。緊急時に先生に連絡できるように(まぁ、10年以上前ですが、その頃もすでに公衆電話は少なかったのでね💦)
緊急時の対応もしっかりしおりに書いてありました。
で、学年主任はなんかあった時の連絡係として学校で待機、他の先生は一応それぞれがどういうルートで回るかとかは知っているので、大体グループの人がいる場所に散っているという感じでした。
中学校は駅から徒歩10分以上はあり、流石に歩けないので、この時は親の協力も仰いで、現地集合・現地解散にしました。
で、横浜中華街を回るというコースだったので、横浜中華街でグループの人との合流点を決めて、そこで合流できたら、私は親と離れてグループで行動。
で、帰り近くは少し回る予定だったので、その前の地点で親と合流し、一緒に回って、最後グループから離脱するという流れになりました。
グループの人たちも理解があったので、楽しく過ごすことができました。

3年生の時の修学旅行も2年生と同じようにグループ行動が主流でした。
大阪・京都・奈良・兵庫ならどこでもいいという条件。
ただ、1日目は大阪、2日目は京都に宿があるので、そこに17時までに帰ってくるという約束でした。
修学旅行は、新横浜の駅で集合だったので、そこまで親に送ってもらいました。
大きい荷物は事前に送っていたので、問題なし。
学年主任も慣れたもので、下見行く前に母親がお迎えで私を待っているときに「今度下見に行くんですけど、確認して置くことありますか?」と聞いてくれるほどに・・・。
私たちのグループは、車椅子の子と発達障害の子と私の3人グループだったので、先生たちの配慮もあり、タクシー移動をすることにしました。
車椅子の子は、介助の人をつけてもらい、1日目は奈良の東大寺へ行ってご飯を食べて大阪のホテルへ戻るというルートだったので、歩けない部分を流れのタクシーを拾ってカバーするということで落ち着きました。
で、2日目は京都を主に回る予定だったので、タクシーの貸し切りを事前に申し込み、事前にお金も払い1日ホテルまで回ってもらいました。
まぁ、グループ行動だったのと、発達障害の子のお母さんがタクシー代OK出してくれたから実現できただけなんですけどねw

3日目は、みんなでバスで清水寺、金閣寺を周るということで、とりあえずバスでみんなと行って、階段とかはスロープの方を副担任3人くらいと車椅子の子と介助の人でゆっくり登りました。
中学校くらいになると生徒に手がかからないのと、教科の数先生がいるので、割と先生には余裕があって、介助の人とかつけられなくてもどうにかなったりするんですよね。

さて、中学校の話はもう少しあるのですが思ったより長くなってしまったので、続きは次回ということで!

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