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下着を置いてきてしまった



仕事を辞めかけた時、変なパワハラのようなものにあってメンタルがあまりよくなかった。失恋だか何だかも重なった。だから、小旅行程度の気持ちで少し遠く離れた男の子の家に遊びに行くことにした。

寺に参ったり、歴史的建造物を拝観したり、そんなデートが好きなのだ。何となくのデートスポットを巡るつまらないものじゃなくて、歴史上の人物の名前をさらっと出して、年号を正確に話題にして、ここが教科書に載っているあの出来事かなんて、そんな会話ができるのは案外同業でも難しい。ヤリチンの中に普通はいるはずがない。

教養のあるデートができる相手というのを、わたしは本当に求めていたし、素直にその時間は楽しかったし、その後するセックスというのも非常に味わい深いのを知っている。


別に運命だとかそんな風には感じないのだが、彼はずっとわたしの味方をしてくれるのだろうと思い上がっていた。味方にはなってくれてはいたのかもしれないが、彼なりにわたしへの危機感を持っていたのか、彼女ができたからなのかはわからないが、発言の端々にわたしへの配慮は薄れていくのをやがて感じて悲しかった。


一度、ふらふらと弱ったメンタルのまま家に邪魔しに行った時に、ランジェリーを置き忘れてしまったのだ。シャワーを浴びたあとに、用意していた新しい下着に履き替えてしまったので、酔っ払って脱いだ黒い下着はおそらく床に雑に置きっぱなしになっていたのだろう。抱かれる覚悟だったから、身につけていた下着も、新しく身につけた下着も、どちらも勝負下着に準じたものだったはずだ。

仕事が辛いと漏らして、たくさんのお酒を飲んだ。身体も頭もぽかぽかして楽しかった。歴史的価値のあるいいお酒を持っている、そのセンスがどこまでも好きだった。安心して寝てしまったら、布団を掛けられていた。抱かれるかなぁと待っていたけれど、彼は隣の部屋で襖を閉めて寝る準備を始めた。

目を覚ましたときはもう朝だった。シャワーを浴びて浴室から出てきた彼を見た。わたしが起きていることを知らずに、油断して裸で出てきたので驚いていて恥ずかしがっていた。一度、死ぬほど身体を見せあったくせに何を今更。女ができると、寂しい態度になるもんだなとその時悟った。どうやら今回は抱かれないのはわかっていたので、不貞腐れて布団を被った。抱かれないというのも安心感なんだなと、散々抱かない男を罵ってきたヤリマンだったけれども、そういうのも求めていっていいんだとこの時漸く感じることができた。


帰ってから、下着が足りないことに気づいて、手紙を送った。下着を返してくださいと綴った。

古風なやりとりを、許してくれる人だから、敢えて手紙を送った。あと、何か贈りたいものがあったのでそのついでだったと思う。だから手紙にした。郵送費のギフトカードを添えた。

しばらく返事はなく、数ヶ月後にわたしが送ったものより形式張った手紙が忘れた頃に届いた。下着は同封されていないようだった。



─下着は保管しておくので、いつでも来てください。返すものがないのでギフトカードは不要です。



読んだ瞬間に涙が零れた。

メンタルが不安定だったわたしに、居場所を彼は与えてくれた。いつでも帰ってきていいよというメッセージほど、その時わたしを安心させるものはなかった。

彼の言葉が好きだったが、好きだったが故に想像と違ったものをぶつけられた時に許せず、わたしは突き放したし、向こうも逃げた。最終的には大人な対応をしてくれた。味方だった。

下着はわざと置いたわけではないが、何となくその時はわたしは彼の選んだ言葉で、単純に少し救われた時期がほんの一瞬だったがあった。



ただ、下着は正直返してほしかった。もう、彼と会わないことはわかっていたし、会うかもしれなかったけれど距離があり何度も会おうとする相手でもないし、わたしはあの日抱かれなかったことで、もう用はないことはわかっていたし、他に彼女ができることもいることもわかっていたことだし。

わたしの勝負下着が一着減ったことで、金銭的ダメージがあったので、やはりわざとでなければ酔っ払って寝て忘れ物をするなどは二度としない。まぁ、抱かれに男の家に行くことなどないかもしれないけれど、下着は二度と忘れたくない。

あれだけ隙を見せた日も珍しかった。おりものシートつけたままの下着だった。洗って保管してるのだろうか。そのことが何度もよぎるので、保管しておくとしてくれたのも彼の優しさなのかもしれないが、逆にわたしに悔いを残させる手段だったのだろうとも思う。

ランジェリーをわざと置いて帰り、いつまでも残り香を嗅がせる強かな女性にはなりきれなかったが、彼の箪笥にまだわたしが喩え入っていたとしても、いつか彼の女に気づかれて捨てられてくれるだろう。その可能性があるだけが、わたしの居場所だ。幸せを与えるわけじゃない、ちょっぴり悪い女でいてやりたい。





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