意味のないもの、目的のないものは必要なもの
こんばんは。ナッスーミです。
最近タロットができてませんでした。仕事が忙しくなってきて、全くそんな時間や余裕がないんですよ。誰かが待ってくれているというものではなくとも、毎日やっていたことがやれないとなると、なんとなく気になります。でも仕方ないです。本業のくらしが第一ですから、そっちをやっていく他ありません。
限られた時間の中で、自分の時間を探しては、その日その日で自分のやりたいことをやっています。その中で最近一番、時間を割いていると自負しているのが、ゲームです。私はあるシミュレーションゲームがめちゃくちゃ好きで、これは大学時代に出会ったものなのですが、出会った当時は、そのゲームをプレイすることがまるでフルタイム残業つきか!?というくらいに一日じゅうやってました。ハマってしまって、寝るのと食べること以外は、ゲーム。夏休みだったので、授業もなく、文字通り一日中やってました。一旦こうなると何もできなくなるのが怖くて、何年もこのゲームをやっていなかったのですが、この間ふとしたきっかけで、やってしまったのです。するともう週末だけではなく平日の夜までやってしまうこともしばしば。
そうすると、睡眠時間も削られてしまって、毎日9時間は睡眠が必要なこの私が、7時間で連続10夜くらい過ごしていたのです。自分でもビックリです。自分はロングスリーパーだと信じて疑うことがなかったのに、こんな「睡眠不足」の状態で、何日も行けるなんて。。。
人間というのは、非生産的なことであればあるほど、楽しいのだなと実感しました。そして、そういうことをやっていると、意外と疲れない。逆に生産的なことを頑張ってやっていると、すぐに疲れるものなのだなと思いました。だから、睡眠もたくさん必要です。
私の日々の生活の中で、「意味のないこと」「生産性のないこと」「目的のないこと」はほとんどありません。仕事はお金や自分の健全な生活のため。ご飯は家族が食べられるように。洗濯は着るものがあるように。掃除は気持ちよく暮らせるように。トイレットペーパーはなくなる前に補充。子供の学校のプリントに目を通すのは、親子共々当日、戸惑わないように。
仕事や家事や子育てに関する細かい全ての用事は、全て、意味があることなのです。
その暮らしの合間合間で、「意味のないこと」の代表であるゲーム。おそらく、これがなくても何の支障もありません。音楽やアートも含めた娯楽にさえ、私たちは知らない間に意味を求めます。この本を読んでどういうことがわかったのか。映画の言わんとしていることは何か。少なくとも私は、そういう意味を求めてしまっています。
このゲームに関しては、私は全く何も求めていません。ただ、楽しい。楽しいことが目的。思えば、そんなシンプルなアクティビティというのは私の生活において、これ以外ない。そして、その目的のなさが教えてくれたことは、そんな物の必要性でした。
やっていて全く意味のないこと。子供たちはきっと毎日やっています。忙しい大人は、ともすればすぐ忘れがちです。効率性を求めて、目的や意味、意義を必ず全てに探そうとします。そのほうが、やっていることに理由づけができるからでしょうか。それとも、そうやって学校で教えられて、社会でもそう求められるからでしょうか。いつの頃から、私はこういう人間になってしまったのでしょうか。
ゲームのような意味のないことと、仕事や家事のように意味のあること。意味があるから、偉いのか。意味がないから削いでも良いのか。忙しい生活の中で、全く持って意味のないことをやってみると、ふと、知らない間に追われていた自分が浮かんできます。
意味のないことに、意味があるのです。
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