森沢明夫『津軽百年食堂』を読んで

この物語の中で私が取り上げたい点は、大きく分けて3つある。
一つ目は、情景描写が素晴らしいこと。そして限りなく優しいこと。これは、他の森沢作品でも言えることだ。森沢明夫さんの作品と初めて出会ったのは『虹の岬の喫茶店』。Kindleのunlimitedで読み放題だった彼のその本に釘付けになり、夜が更けるのも構わずに一気に読みふけったことを覚えている。
個人的に、彼の作品の一番いいところといっても過言ではないのが、彼にしか表せない情景や、匂いの表現の仕方だ。本書にも、「鉄錆と食物の油が混じったような『東京の夜の匂い』」(pp.57).Kindle 版.や「レモン色の空」(pp.124).Kindle 版、「岩木山から吹いてくる蒼い風」(pp.150).Kindle 版など、筆者独特の感性で情景や匂いが描写されている。彼の眼を通して描かれる世界はなんだか、幸せオーラがかかっていて、優しい。それが節々の描写に現れているのが、私は堪らなく好きなのだ。

そして、この物語の中で、これらの描写と絡み合って良いメインディッシュとなっているのが、なんといっても蕎麦の出汁の描写である。
時代が行ったり来たりしながら進むこの話の中で、蕎麦の出汁の描写は何回かある。この蕎麦の出汁は、物語の中で重要な鍵を担っているのではないかと思う。この物語自体が、蕎麦屋の食堂を描いた物語であり、その味が守られていることに、主人公たちは誇りを持っているからだ。その中でも印象的だった部分は2回ある。
一つは、大森トヨが大森食堂の開店日前日に、蕎麦の出汁の味見をしている場面。
もう一つは、「お母さん、ちょっとお願いがあるんですけど……。津軽蕎麦の出汁のひき方、いつかちゃんと教えて欲しいんです。それまでは、あの…… わたし以外の女性には、教えないでください」(p.275). Kindle 版.と、七海が明子に伝える場面である。
時代が変わっても受け継がれていく味。その味の、はじまりと、最新地点を同じ物語の中で前後の章に入れてしまうとは、森沢さん天晴れである。

最後に、3つ目。上記でも少し取り上げたが、過去の記憶と現在を同じ言葉や情景で結びつけるのが上手な森沢さんのセンスが光っている場面がたくさんあることである。
例えば、主人公は高校生の頃、陸上部に所属していて、最後の大会でバトンを落としたことを引きずっているが、最後に七海とボートの上でキスをするとき、バルーンの空気入れは彼の手にしっかりと握りしめられていた。
他にも、「男女が二人でいるときにね、どっちかの頭に桜の花びらが乗ったら、その二人 は幸せに結ばれるっていう噂」「え、ホントにぃ?」(p.259) Kindle 版 ここの場面で主人公と七海がしている会話は、賢治とトヨが結婚前の会話と全く同じだ。
そして、この無数に散らばっている会話や場面の数々を、最後に法螺吹きのよっちゃんが作る「津軽の抽き出し」で物理的にまとめている。過去から受け継いだその抽き出しは、物語の最後の「現代」にも残っていることがわかる。

素晴らしい情景描写で、変わらない伝統の味を表現することによって、過去と未来を優しく繋いでいく。この森沢さんの「優しい」繋ぎ方には、やはり彼自身があとがきにも書いているような「赦し」が含まれているような気がする。この物語に出てくる人間は、全員が全員、完璧ではない。「なんか、みんな、色々あるんですね」(p.247) Kindle 版
と七海が言ったように、誰一人だって完璧に、上手には生きていけていなくて。それでもこの繋がりの中で「赦し」あって生きていっているのだ。
だからこそ、森沢作品はみんなあたたかい。少し傷ついて元気が欲しい時に読みたくなる著者第一位なのだ。生きることに切羽詰まって、周りの人にやさしくなれない時には、森沢さんが描く津軽に想いを馳せて、少しあたたかい気持ちを取り戻して自分を赦してあげたいような、そんな気持ちになる作品であった。

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