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とける

 消えたい気持ちにのまれそうになるのを抑えながら仕事をこなして、まだ明るい屋外へと出た。定時よりはまだ早い、体調がすぐれないためだ。
 こころとからだは繋がっているから、この仄暗く垂れ込めた気持ちも復調すればきっと晴れるのだ。そう思いながら、ハンドルを握る。いつもよりも強く。

 だが実際どうだろう。
 まだ今年の半分すらも終わっていないのに、パートナーはうつ病で職を失い詐欺に遭い、難病と心臓病も抱えて療養どころか状況は悪くなる一方だ。わたしは相変わらず持病と付き合いながら、コロナ後遺症にも悩まされ続けている。何の呪いだこれは。
 いつだ。いつまで我慢をすれば、どう歩けばトンネルの先に辿り着けるのだろう。着いてみたら色のない雪国で、寒さに凍えるよりほかないのではないか。

 うつ病の怖いところは先の見えなさだ。気がつけばもう8年も支えているのに、いまだに先は見えない。ゲートをキープし続けていられるのだからと言えば聞こえはいいが、ずっとこのままなのかもしれないと思うと何かに押し潰されそうになる。
 無感覚の中を泳いで不安の中を走っても、歌にも詩にもなりはしない。そこにあるのは繰り返す毎日だけ。

 好きなもので気分転換してくださいね。そう言われて掴んだ先にも世間の偏見は存在していて、サンドイッチのパンと具のようにかわるがわる楽しみと絶望がやってくる。闘病ライフログとしてはじめたTwitterやnoteの言葉はお涙頂戴と言われたり、根掘り葉掘りの材料にされたり。いまや他人と会うことにはうっすらとした恐怖がつきまとう。安心などどこにもない。
 では文字を読んだり誰かの話を聞こうとしても、やはりそこには無理解の壁があって何度となくノックアウトされる。これなら気楽に楽しめるだろう、そんな期待は無駄だ。そこにだって時限仕立ての絶望が息を潜めているから。

 ほんの少し息をつけるような時間を求めて彷徨って手に入れて、戻るところはいつだって同じやわらかい地獄だ。

 家に着いて冷凍庫をあけた。差し入れでいただいたバニラアイス。特別にハーゲンダッツね、とメッセージ。
 冷えたままでかたいそれに、木のスプーンを差し込む。折れそうなのはわたしも一緒だ。いつもの甘さがしみる。ぽろぽろと泣きながらアイスを食べる、みっともない大のオトナがひとり。
 食べ終わったらさっさと寝てしまおう。寝てしまえ。あとのことはもう知らない。知るすべさえも持ち合わせがないのだから。

 

 

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」