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決して忘れていないのに

 とある事情で、再検査が先送りになった。DCIS術後関連ではなくて、消化器内科のほうだ。いまだ良性なのか悪性なのか白黒つかないものを抱えている。
 もともと、がん罹患がわかる前にも難病の疑いがかかるなど何度かしていたから、通常さほど動じることはない。けれど、検査が先送りになったことで珍しくナーバスになってしまった。

 論文を頭に入れよう。知識を増やそう。
 そう思い直して幾つか読み始めたり読み返したりなどしたが、逆に凹んでしまった。よくない。
 ネットショッピングのタイミングをうっかりし、ではジャムでも作ろう、そうだ終わったらアクセサリーでも。だが、すぐに出来上がってしまう。それなら書き物でも。それならば。
 相変わらず寝付けないのがネックだな。こういうときは「捗らなくてつまらなくなって飽きて眠くなる」が正解だと思うのだ。
 

 検査で経過をみて、増大や表面変化(いわゆる「悪い顔つき」)が認められなければ、また一年をのんびりと過ごせる。ただ、もし憎悪していたら話は別だ。確率はそう高くはないが、最悪の場合、DCISとは異なり予後の芳しくない病と真っ向から闘うことになる。勿論、治療には大きな費用もかかる。
 先が見えない中、状況を把握できない日々が続くのは正直、ちょっとつらい。折しもまわりじゅうが病や困難を抱えている。他者の重いうつとも向き合っている。なんとか無事に、仮に無事ではなくとも早く治療できる状態でいたい。

 とにかく、相談をしなくては。

 日程先送りは事務上の話だったので、一夜あけて主治医に見解を確かめる。折り返しの連絡があるまでは、もう喉が張り付くような気持ちだった。

 
 忙しい中、主治医の見解が返ってきた。時期的にも早く検査しようとの旨。
 やっぱり。
 ありがとうございます、と感謝とともに安堵したのも束の間、一気に違う感情が押し寄せてきた。
 ──早く検査したほうがいいものを、わたしは今も抱えているんだ。
 ──そうか、わたし病人だったのか。  
 忘れていたわけではない。忘れていたわけではないのだ、ただ突きつけられただけだ。別に悲劇ぶるつもりも深刻ぶるつもりもないが、ズンと響いてしまった。

 術後アフターフォローの経過観察や診察はあるが、微小転移なく5年を経たからほぼ命に関わらない。インプラントによるALCLの兆候もない。胸痛発作も、つらくても殆どはなんとかなる。脳神経外科は未破裂脳動脈瘤の経過がよく、開頭手術を免れた。潰れた首の神経は再生しないが、あの二度と治らないと言われたこっ酷い痛みと痺れは不思議とおさまっている。体質のあれこれは、今のところそれなりにコントロールできている。
 だが、これは違う。先がまったくわからない。取り越し苦労をする必要などないとはいえ、考えてしまう。


 こういうことをTwitterに零せば、またこちらの事情を知らない人から酷く誤解や曲解をされたり、再び非難される可能性に怖じ気づいてしまうだろう。目にした誰かに心配をかけたいわけでもない。呟きはもはや呟きではなくなってしまったようだ。タイムラインには、だから書けない。

 幾つかのおめでたいニュースが流れた。にわかに華やぎがタイムラインを彩る。誰かが嬉しいのは、とてもいい。気持ちが少し上がる。上を向く。誰かの笑顔や嬉しい話は、こちらにも反射して心をやわらかくする。

 わざわざ見にこなければ見られない、そんなnoteがちょうどいい。行き場のない気持ちを情けないライフログに綴ったら、また笑って日常を乗りこなす。浮かび続ける。


なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」