あるシーン


 「本当の親よりも、そっちの親のほうが実の親みたいだ」
 と言われて、思わず涙ぐんでしまった。
 
 人目の多い待合室、ましてやすぐ隣にいるものだから、おおっぴらに泣くこともできなくて必死にこらえた。雑誌を探すふりをして立ち上がり素早く涙を拭った。
 思いが伝わっていることの安堵も、伝わっているからこそ悲しい気持ちも。
 ずっとそう思っていたよ、思っていたけれど言えなかっただけだ。言えるはずがない、そんなこと。
 
 わたしは彼に、自由とまっとうな医療へのアクセスをもたらした。しかしその過程は決して穏当とは呼べるものではなかったし、これで本当に正しかったのかと自問自答を繰り返していた。これでよかったのだと本人から言われていても、なおのこと。
 
 持ちうるすべての知識を使い、新しい知識を貪りながら道を拓き、それでも他により良い道があったのかもしれないといつも煩悶していた気がする。わたしじゃなければ、あるいは。命の危機を救ってもまだ、その疑念は足元にじっとりとまとわりついていた。
 イージーモードの温室育ちが超ハードモードにぶつかっていけたのは、その笑顔を何としてでも守りたかったからだ。逆だろう、普通は。
 
 「気を遣わないで、いつでもおいで」
 彼から聞く母の言葉は幼い日に同級生へ向けられたそれと等しくて、光のような何かがいたってまっすぐ届いたことに心が震えた。
 
 本当に救われるべきはわたしではないはずなのに、わたしが救われてしまった。ほんの少しだけ救われたけれど、根本的に何かが解決したわけではない。
 どんな表情をしたらいいのか、こんな時はなんだか困るな。何度か欠伸のふりをして、番号表示をただ待った。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」