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ロスタイム、ジャム

 光にかざしたジャムがすきだ。

 プレザーブスタイル、光を透かせば内包した果肉が琥珀に閉じ込められた何かのようにも見えるのがいい。

そのままはなんだか、ちょっとホラー

 ことばにも態度にもあらわせないような何かがあるたび、ジャムを煮るか野菜、とりわけ葱の類いを刻んでいるような気がする。
 今回はいちごとびわを白砂糖で煮詰めた。季節のリレーのような組み合わせ。
 

 なんとなく1年くらいかな。
 うっすら予感していたそれは、どうやら現実となってしまったようだ。
 思い返してみれば6年をゆっくり超えるだろう、ライブなどの外出に自由がなかった。いや、もっと前からか。相次いだ身内の事故や罹患が契機だったのだが、そのまま自分もがんやそのほかの病気になり、半身の痛みと痺れに苛まれながらコロナ禍を過ごし、何だかんだ療養を繰り返していたような気がする。
 治らないと聞いていた痛みが嘘のように消え、やっと思うように出掛ける決心のついた6月。でも実のところ、
 「これはロスタイムで、1年くらいでまた自由がなくなるのかもしれない」
 と思ってもいた。そこはかとなく、雪の日のようなほの暗さがちらつくあの感じで。
 
 自分の経過観察や確定診断より、まわりの抱える困難がやおら影を増してしまった。こればかりはどうにもならない。どんなにつよく祈っても、思うとおりにはならないものだから。焦らず焦らせずに、上手いこと支えていくしかないのだ。
 そんなときに自分のことを考えるのか、と嗤われそうだが、何年先のことかわからないうちに心許ない体力はさらに減るのだろう。諸々を乗りこなしたとして、気がついたら自分の再手術の頃合いになっていそうだ。そうしたら、また?

 いま決まっている予定はなんとかして楽しめるといいなと、呑気にも。未来は定まってはいないから。
 これから立てたくなるだろう予定を、ちらと横目で見やる。様子を見て、その都度に判断していくしかないだろう。絞って絞り込んで、その殆どは諦めだとしても、日々の中に喜びがないわけじゃない。と、思いたい。

 ドラマならばおそらく描かれはしないだろう部分をわたしは見ている。もしかしたらいつか消えたあの痛みのように、突然何もかもがよくなるかもしれないと願いながら。
 

 ジャムはいい。くだらないこと、詮無きことを考える時間を費やせる。閉じ込められた果肉たちにしても、美味しさを認めてもらえるだろう。多分。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」