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わかりあえなくても

どんなに綺麗事を並べ立てたところで、どうにも合わない人というのは、やっぱりいる。

今振り返ればわたしはとても未熟だったし、そのくせ実力も何もないのに若さからか多少はちやほやされてはいて、見逃されているところも随分と多かった。
それはそれは目障りだったのだろうと思う。今、「その頃のわたし」が目の前にいたら、わたしだって、あまりのひどさにやっぱり面倒くさいなあと思うかも知れない。

でもわたしはわたしで、どうしようもないなりに必死だった。飛び込んだ世界で右往左往もがきながら、溺れないように必死だったのだ。実際のところ、本当に水面でジタバタもがいているような毎日だった。その記憶に嘘はない。
そんな中で、体調の変化があった。息苦しさは決してわたしを離してはくれなかった。

体調不良を手厳しく断罪したのは、わたしの苦手な、ある先輩だった。仕事の出来る人だった。好き嫌いのはっきりした、人付き合いを厭う人だった。
多分にご迷惑を掛けた部分もあったとは思うが、何がなくともことあるごとに冷たく聞こえよがしに詰られるのは、わりとオプティミストなわたしでも流石に堪えた。それは絶え間なく続き、見かねた上役や他の先輩方が何度も気遣ってくれた。救いだった。ありがたかった。

その人がどうしても手に入れられないものを、わたしが持っていたと知らされるのは、少し後のことだ。プライベートな話で、当時は全く知らなかった。
もしかしてその人にとってわたしは、面倒くさくて嫌いという以上に、本当に見るのも辛い存在だったのかも知れない。
そういう類の断絶が、わたしのあずかり知らぬうちに、でも存在していたらしい。
 

 ◇ ◇ ◇
 

だからといって、露骨に袖にするのが合理的だとは思わない。それとこれとは別の話だ。人に教える立場を幾度か経験してきた今ならば、こればかりはほぼ間違いないと言える。

でも、わたしが気付けていれば回避出来たものが幾つもあったのではないか、もっとそのために出来ることがあったのではないか。知らぬ間に傷つけてはいなかっただろうか。
年を重ねて、そう思うようになった。

どうしたって人と人だから、本音と建前、現実と気持ちが相容れないことはある。それを抑えて生きていくことが、難しかったのかも知れない。
当時は全く考えもしていなかったことがある。
他人の体調不良を許せない人が、自らのそれを素直に受けとめ許せるはずがないのではないか。
もしそうだったとしたならば、きっととても辛い思いをされたのではないだろうか。

勿論これは全部勝手で不躾なわたしの想像に過ぎず、全然違うと憤慨されたかもしれない。でも。

その人とわかりあえることは、もうない。その人はもういない。

 
◇ ◇ ◇
 

わたしが苦手で、正直言うとまったく好きではなかったその人も、誰かの愛する人だった。
わたしとはわかりあえなくても、その人もまた愛されていた。そのことを、随分と長く忘れていたような気がする。
そしてそれを思うとき、なんとなく、苦い思い出が僅かばかり和らぐような気持ちになるのだ。
だからこそ、ご自分を責めてしまってはいなかったか、どうしてもそれが気にかかってしまう。

あの時その人から見えていたわたしは、どんな風だったろう。その人の世界ではきっと、ヒールだっただろうな。
せめて、成長して格好いいヒールになりたかった。

なつめ がんサバイバー。2018年に手術。 複数の病を持つ患者の家族でもあり いわば「兼業患者」