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ボストンバッグと夏休み

両親が使っていた茶色のボストンバッグ、家族旅行ではいつも大活躍だった。

一見小ぶりに見えるのに、着替えや歯ブラシ、見事コンパクトに収められたたくさんのグッズが後から後から出てくる様は四次元ポケットのようだった。

今年偶然見つけた軽くて質のいい革の黒いボストンバッグを帰省のお供に、新幹線に揺られた。

夏休み初日、何年も会っていない旧友たちとの再会に心躍る一日。大好きな人たちと一緒にいると面白ミラクルがたくさん起こる。楽しい食事、近況報告、電車に乗って移動している間もずーっと笑って過ごした。なんだか昨日も会っていたんじゃないかと錯覚するくらい側にいることが心地よく、すっと馴染む。

夕刻になるとお盆のおまいり混雑はすっかり落ち着いていて、夕立のあとの駅前は想像していたよりもはるかに快適だった。バスに揺られること十数分。見晴らしのいい場所に建てられた美しいお墓に友人が眠る。会いに来られてよかった。でもやっぱり、もう顔を見ることや声を聞くことができないことを信じることはできなかった。

高校生の頃はなんで毎日あんなに笑ってたのかなと一人が言って、久々にこんなに笑ったと一人が相槌を打つ。部活がない日でも毎日隣にいた奇跡のような日々に思いを馳せる。

元気に現役を駆け抜けて、みんなで同じ老人ホームに入れたら、またみんなで毎日朝から晩まで笑い合えたりするのかな。今度は、あっという間に来るだろう遠い未来に思いを馳せる。

夏休み2日目、一人先祖の墓参りへ。
阪堺電車は古い車両、また思い出が蘇る。私を育ててくれた天王寺の駅周辺はすっかり様変わりして完全にアウェイだけれど。

外気温は37.4度、こんなに暑いとお花の水がすぐにお湯になってしまうだろう。久しぶりに擦ったマッチはロウソクに火が灯るまで何度もやり直した。チャッカマンを持っていたのをすっかり忘れていた…

炎天下、段取り悪いなりに一通りなんとか掃除を終えて、おじいちゃんおばあちゃんに挨拶をする。掃除もできる範囲でごめんねと心の中で謝ると「かまへん」という祖母の声が聞こえた気がした。都合の良い耳だ。

通っていた高校に程近い駅で復路の阪堺電車を待つ。変わらない門構えが見える。ちょうど私がこの高校に通っていた頃に父がお墓を建てた。休みの日に親子3人自転車で、父の仕事用の大きなバンに乗せてもらって、何十年何度も何度もお参りした。お寺もお墓も高校も変わらずそこにあるのに、今年のお盆のお参りは一人だった。

あべちかの甘党で休憩する。
ソフトクリームと寒天ってなんでこんなに美味しいんだろう。尋常じゃない汗で絞れそうな程濡れた服とクーラー直下の座席が容赦なく体を冷やすので、熱いお茶にホッとした。普段は新しいお店を開拓する方が好きなのに、この日はとにかく変わらないものが恋しかった。

買い物を済ませて帰宅すると、母がお迎え団子を拵えて和風パフェにして振る舞ってくれた。お馴染みのキツネの彫られたグラスに盛られたアイスやかき氷が郷愁をひんやりと満たしてくれた。

夏休み3日目、方々に用事に出かけた。午前中は近所だけだったけれど、私が結婚してから引っ越した実家の近くを自転車で巡ったのは初めてで新鮮だった。台風迫る曇天、とにかく蒸し暑い。

昼からは父の面会に。少し元気がないように見えたけれど、書いていった手紙を何度も何度も読み返しては「こんなん言うてくれんのん」と嬉し涙を流していた。私もちょっと泣いた。

舟木一夫さんの「高校三年生」を流すと嬉しそうに歌ってくれた。小さくなった体と美しい白い髪、覚束ない足取りだけれど、歌声にはハリがあり、好きなことは生命力を宿すと実感する。音楽の力はとても偉大だ。

導かれるようにいいタイミングで予定していたミッションをコンプリートし、台風に追われながら帰路に着いたが、最後の最後まで激しい雨に降られることもなく帰宅することができた。
横浜も大阪に負けず劣らずとても蒸し暑い。

大阪は好きだけれど、大切な人やものがありすぎて大切な時間がいつの間にか過ぎてしまったことに気づいてしまうから苦しい。どうやっても前にしか進めないのはわかってるのに、遡って屁理屈捏ねては、現実を受け入れるための赦しや言い訳を一生懸命探している。

郷愁にかられて別れの悲しみから逃げたいと思っている時は、隕石衝突とか全員一瞬で一緒に終わりみたいな最期を割と本気で願ってしまう。幸福な終わりなんてどこかにあるんだろうか。

夏休み4日目、何もしないで自宅に引き篭もる。
何もしない日ほど贅沢な時間はない。
年末に買い替えたソファで徹底的にグダグダ過ごす。
家族、クーラー、ソファ、最高。
ここが巣、私たちの居場所だ。

夏休み5日目、新社会人の頃にお世話になった大切な上司先輩方に用賀の美味しい焼鳥屋さんに連れて行っていただいた。懐かしい名前が続き、ここまでの20年の変わらないもの、変わっていくものをひしひしと感じながら、今になって知るあの時の背景が謎解きの答え合わせのようだった。先輩方に大切にしていただいたように少しでも後ろの世代の皆さんの役に立てたらと襟を正す。店から出たら少し涼しい風が吹いて季節の移ろいを感じる。

夏休み6・7日目、長野の温泉へ。
ローカル線の景色は旦那氏の故郷に似ていた。オープンしたばかりの旅館と硫黄の香り。今まで旅をしてきた場所を振り返りながら思い出深い場所の話をした。旦那氏は南が好きだ。温泉の町を散策して訪れた国宝の塔は屋根がとても美しく、屋根裏の木がとても密に組んであって椎茸の笠にとても似ていた。建造物の美しさはだいたい自然のそれからきていると思う。

ローカル線で引き返した街はとても暑くて、外にいるだけで皮膚がひりついた。昭和の雰囲気を残す元気なおばあちゃんが切盛りするお蕎麦屋さんでざるそばを食べて、駅前で大好きな栗おこわをお土産に買って早々に帰路につく。いつか今日のことを思い出して、あそこは暑すぎたねと話す日がくるんだろう。そんな日々がずっと平和にぼちぼち元気に続いてくれたらといいなと思った。

すごく暑くて、地元駅から家までのたかだか10分の道のりが果てしなく感じる時、駅と家の中間地点にある喫茶店。コーヒーがとても美味しい。クリームたっぷりのアイスオーレをいただく。文字通り生き返る。遠方から戻った時、一区切りつけたい時、いつだってそこにあるお気に入りのお店のコーヒーをいただく、こういう瞬間が幸せだなと思う。

旅行のお供のボストンバッグは汗と暑さで持ち手が少しじっとりとしていた。モカ色も綺麗だったけれど、きっとすぐに変色してしまっただろうから黒にしておいて良かった。必要なものを入れて出かけても少し余裕があるから旅行先で買ったお土産を仕舞うのにもちょうど良かった。子供の頃に両親が使っていたボストンバッグにもよくお土産を収めていたように思う。あのボストンバッグは、家族旅行の歴史だった。私のボストンバッグもこれからきっと色んな景色に出会うんだろう。からっぽの時も思い出でぱんちくりんになるようにたくさん旅に出かけよう。

夏休みも終盤戦、8日目はお金の勉強会に出かけた。お金って本当は一生の付き合いのはずなのに自分から始めないと学ぶ機会が少ないんだよな…いざという時にお金で困ったり失敗したりしないように、姪たちに迷惑がかからないように、少しずつ勉強することにした。セミナーのあとお土産にシウマイをもらった。こういうマネーセミナーはどこから軍資金が提供されてるんだろう。

晩ごはんは待ち合わせた旦那氏と横浜でジンギスカンを食べ、服に染みついたラム臭をぷんぷん漂わせながらデザートに豆花を食べに行った。横浜駅周辺はたくさん人が居て賑やかで、買物の選択肢がたくさんあってすごく良い。日本も世界もどこへ行ってもその土地の良さがある。堪能して帰ってきたら改めて家が一番いい。

夏休み最終日、モンテセラピーのあと神社まで歩く。15分の道のりがとても辛い暑さで、とめどなく流れてくる汗でふらつきはじめた頃、神奈川県立図書館を見つけた。公立図書館とは思えないようなオシャレな新しい建物で、中には猿田彦珈琲のカフェまであった。神社に到着すると御神域の看板を通過した途端、ひんやりキリリと空気が変わった。風が気持ちいい。

神社で気持ちいい風が吹くと、式年遷宮からすぐのお伊勢参りの時にお宮の方から吹いてきたなんとも言えない心地いい風をいつも思い出す。向かい風ならぬ、迎え風、よくきたねと言われているような、小さい子供が大人の大きな手に頭を優しく撫でてもらっているような感覚。

図書館に涼を取りにお邪魔して、アイスコーヒーの出来上がりを待った。ホテルかと思うような自習スペースは満席で勉強したり調べ物をしている人で埋まっていた。汗だくで脱水気味になったボロ雑巾のような私が腰掛けた椅子がオシャレ過ぎた。気後れすることでコーヒーを飲む間ですら長居ができないこの仕組みは、ある意味いい図書館なのかもしれない。

なんだかんだで今年も夏休みが終わった。
来年の夏はもう少しお手柔らかな暑さだといいな。

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