船の国

Kは生まれてこの方
海と空しかみたことがなかった。
この海には船の国が浮かんでいる。
存在してからずっと船をもっていないKは
ただ浮かび海を漂っていた。
毎日することは空をみること
たまに背中のあたりがむずむずとすることがあったのだけど気にすることなく、空をみることに集中していた。
いつからかKの背中には3本の手が生えてきた。
上のあたりと、背中の中央と、腰のあたりだ
Kがあるとき海にある唯一の売店を思い浮かべると、手たちはいっせいに売店に向けて動き出した。
ゆっくりKの身体は進み、
はっと気づいたKはすぐに元いた空を思い浮かべた。
Kの思考と手たちは繋がっている。
そんな調子だから空想好きなKはいつからか
うかつに空想することもできなくなってしまった。
Kの容姿は丸い球体だ。
Kにはよく話をするばあがいる。
ばあは黄泉の国の仲介人をしており
そこでみる人間の話をKにきかせた。
「人間には足があって、下に生えている2本の足を使って大地を踏みしめて歩くのだけど
人間たちはここはふわふわしていているから、あの地球の堅い大地が懐かしいと皆そろっていうんだよ。」
Kもばあも丸い球体。
Kは自身の丸い球体に手と足が生えてきたのを空想して遊んでいた。
下向きに生えた2本の足。ぶらぶら横に付いている手。
3本の手たちはくすくすと震えだした。
振動がKにも伝わってくる。
今日の空は赤い。もうじき暗闇がくる頃だ。
船の国に住んでいるkは沢山の船は見ても
何かが乗っている船はまだ見たことがなかった。
売店のTの話によると
皆、船をおいて地球に降りていくのだという。
戻ってきたときのために船をおいていくのだけど
結局戻ってきたものは船にのってまた遠くの星にいってしまうのだとか。
魅せられて何度も地球に降りていく者
地球はこりごりだと違う星に行ってしまう者
様々だ。
船の国の売店にはよくイルカがくる。
イルカはとても話好きだ。
先日、イルカの大群にばったり売店で会ったときなんかは
1時間ぐらい話を聞かされた。
売店のTはイルカの話を聞こうとしないので、
結局Kに話しかけてくるのだ。
「このあいだ、船に乗ってるやつをみたんだけど
おめーみたいに丸くて白かったぞ!
横に4本の手が付いていて器用に船をこいでたぞ。
おれたちずっと後をつけていったんだけど
途中の滝のところで見失ってしまって
どうなったと思う?」
「知らないと」言おうと口を開きかけたときには、
もうすでにイルカが話し始めていた。
話を振っておきながら、まったく話を聞こうとしない。
Kは帰りたいと思った。
するとKの手が動き出して少しずつイルカから遠ざかり始める。
イルカはそのことにも気がつかず、話し続けている。
「その船は空高くとんでいたんだよ!あれにはたまげたなー
船は空を飛び消えていくものなんだなー」
イルカの声が遠ざかっていく。
⭐️
Kは船の国から1度も出たことがなかったし、 出たいと思ったこともない。
ただときおり空に浮かんでは消える船を見たときには、
どこに向かっているのだろうかと
思いをはせることがあった。
自分の知らない遠い世界。
そこには何があるのだろうか。
ここのところKは空想するのをとめられなくなった。
毎日することはただ空をみていること。
かわらず空と海だけがある世界。
ばあが言っていた。
大地を歩く人間のこと。
歩くってどんな感じなのか、Kには想像すらできなかった。
想像すらできないことはKの思考のすべてを支配した。
空を飛ぶところは想像できても、
大地を踏みしめて歩くところは想像付かない。
Kは意識をもってこの方、願いを持ったことなどなかった。
でも今は大地を踏みしめてみたいと強く願っていた。
一度でいいから体験してみたい。
そんなことを考えていると
背中の3本の手たちがまたクスクスと震えだした。
来る日も来る日もKは飽きもせず足について考えた。
そんなある日、真っ赤な服を着て、大きな白い袋を持った
ひげ面の老人が現れた。
その日もいつもと同じ空をしていて、
時折上空にきらりと光る物をKは見ていた。
いつもの船だろうと思っていると
いつまでたっても消えない。
むしろどんどんKに近づいて来ている。
リンリン
と鈴の音が聞こえると思ったときには目の前にその老人がいたのだ。
老人は角の生えた奇妙な靴を履いていた。
「メリークリスマス!」
老人はにこにこしている。
「黄泉の国で、ばあから貴方のところへ行ってほしいと頼まれてね。
今日はクリスマス。1年に1度願いが叶う日。
貴方の願いを叶えてあげましょう!
なんだっけ?足になりたいだっけ?」
「ちがう。足が欲しいんだ。足で大地を踏みしめたいんだよ。」
「そうだった。そうだったね。ばあから聞いているよ!
そんなのお安いごようさ!なんたって私はサンタクロースだからね。
でも大地を踏みしめたいとなるとどこかに生まれないと無理だな。
どこかの星に生まれたことはあるのかい?」
「そんなのないよ。1度もこの星から出たことはない」
サンタクロースは目を見開いてる。
「1度も?
これはたまげた!今時珍しいね!
そうだ。君にぴったりの星があるよ。
地球って言うんだけど、実に面白い星だよ。
よし!君はその星に生まれてそこでとっておきの大地を踏みしめるといいよ。
これは贅沢なプレゼントだな。で、足は何本がいいの?」
Kはサンタクロースの話す言葉についていけなくなっていた。
「ちょっと待って。生まれ変わらなくてもいいよ。足だけが欲しいんだ。」
「足だけが欲しいって言っても、踏みしめる大地がないんじゃ宝の持ち腐れってもんだよ。それともあれかい?君はこの世界から出て行くのが怖いのかい?
大丈夫。全然怖くないから。むしろ楽しいって。
毎日同じ事なんてないんだから。ここで一生空を見て、海に漂い空想だけをして生きていくのかい?」
陽気なサンタがそう言うと、Kはなんだかこの世界しか知らないことが
とてもつまらなく思えてきた。
「いいよ。地球に行っても。
足は何本でももらえるの?できるだけ沢山欲しいんだ。しっかり大地を踏みしめた感覚を覚えていたいから。」
「そうこなくっちゃ!だったらしっかり大地を踏みしめられる足を4本プレゼントしよう。
特別に、今の君の記憶は持ったまま、地球に連れて行ってあげよう。
戻りたいときには、命を絶つんだ。そうすれば元の世界に戻ってこれるから。」
そう言うとサンタは白い袋をKにかぶせた。
袋の中は通路ができていて、Kはひたすらトンネルを真っ逆さまに落ちていった。
🌟
Kは目に入る太陽の光で目覚めた。
なんだかとても身体が重い。
よいしょと起き上がる。
毛むくじゃらの手足4本には
ピンクの肉球が付いていた。
毛並みは真っ白
Kは猫として地球に生まれ落ちた。
立ち上がると4本の足はしっかりと大地を踏みしめている。
地面の暖かさがじんわりと肉球に伝わってくる。
Kはうれしくてひたすら歩いた。
初めてみる花はとても色鮮やかで
花たちはとてもおしゃべりだった。
大きな大木を見たときは、
見上げれば見上げるほど終わりがなく
とうとうKは後ろにひっくり返ってしまった。
そんなKを見て、木の枝にとまっていた
鳥たちは美しい声で笑った。

2本足の人間たちはポツリ、ポツリとしかいない。
大きな人間たちはみな疲れた顔をしている。
覇気がなく、生きる喜びを謳歌しているのは今のところKぐらいだった。

初めての大地を堪能し、
歩き疲れてしまったKは木陰でひと休みすることにした。
木漏れ日が心地よくてそのままKは眠ってしまった。
目が覚めた時には辺りは真っ暗だった。
初めて感じた寒さにKは動けなくなった。
夜は少し肌寒い。
見上げると満点の星空。
Kが住んでいた星もあの星のどれかに違いないのだけど
Kにはどれだか見当もつかなかった。
月の出ていない星の綺麗な夜空だった。

「わあーねこだ!
君一人なの?かわいいね」

少年はKに話しかけている。

Kは返事をしたかったのだが、
泣くことさえできなかった。

「おいで」
そう言って少年はKを膝の上に抱き寄せた。

「久しぶりに猫を見たよ。
君は新入りかな。最近は爆撃も落ち着いて来たから
少し安心だね。」
少年はKの頭に軽くキスをした。
少年の膝の上がとても暖かくて
Kはずっとゴロゴロ言っている。
いつのまにか深い眠りについた。

気がつくと朝になっていた。
少年の姿はどこにもない。

Kの身体からはかすかにミルクの匂いがして来た。
少年の匂いだ。
この匂いにKは深い安心感を感じた。

次の日の夜も少年はKに会いに来た。

「ねこ!今日は君にご飯を持って来たよ。」
そう言って少年はポケットの中から
ハムとチーズを出した。

「ほら、お腹空いているだろ。」

Kはお腹が空いている感覚がわからなかった。
けれど、チーズを目の前にし、匂いを嗅いだ時
とてつもない空腹を感じ
ギュルルルとお腹がなった。
そのあとは夢中で食べた。

「落ち着いて食べなよ。ほら、ミルクもあるよ。」

少年は小さな瓶にミルクを入れて来ていた。

コップがない代わりに
少年の小さな手にミルクを出し、
それをKは少しづつ
残さずに飲み干した。

お腹を満たしたKは少年にお礼を言おうとしたけど
口だけが動くだけで、やはり声が出なかった。

「君は声をなくしたんだね。
でもここでは鳴かない方がいいから。
きっと神様が君に声をくれなかったのは君を生かすためだよ。」

そう言って少年はKを撫で
昨日と同じようにKを膝に乗せた。

少年の名はアレックス。年は7歳。
緑色の大きな目が優しくて、長いまつげと黒い髪はくるんとカールしている。
笑顔がとびっきりかわいい少年をKはとても好きになった。
アレックスも真っ白でふわふわしているKを一目で気に入った。

アレックスに会えるのはいつも夜だった。

その日はいつもよりも寒くて
次の日からはまた爆撃が開始されるというので
アレックスはKを自宅に連れて帰った。

両親はKを戻してこいと言った。
「軍に見つかったらどうするんだ。猫は鳴くだろう。」
「この猫は鳴かないよ。声をなくしているから。絶対に鳴けないんだ。」
Kは声の出し方が分からないので、ずっと鳴けないでいた。
あまりのアレックスの必死さに両親も根負けし、
「わかった。じゃ、一言でも鳴いたら、戻してくるんだよ。いいね?」
「やったー!ありがとう!パパ、ママ。」
息子の久しぶりの笑顔を見た両親も思わず笑みがこぼれた。
Kはラーという名前になった。

「それにしても、なんてかわいい猫なんでしょう。」
ママはKを抱き寄せた。
「猫なんて久しぶりに見たな」
そう言ってパパはKの背中を撫でた。
Kは嬉しさのあまり
ゴロゴロが止まらなかった。
「嬉しいのね。いい子ね。」
ママの声はとても優しくて
パパの目はアレックスにそっくりだった。

パパとママの穏やかな笑顔を久しぶりに見たアレックスは
Kを思いっきり抱きしめた。

アレックス家は一日の大半を地下で過ごしている。
昼間は警報が鳴り、爆弾の落ちる地響きがあたりに聞こえてくる。
この町の大半の人間は皆爆撃で亡くなってしまった。
土地を奪われ、息を殺すような生活を余儀なくされ、
それでも生きているだけましだと、誰もが思っていた。
生きる喜びなんてない。
明日も生き延びれるか毎日恐怖との戦いだ。
ラーは青い空ではなく、薄暗い地下の天井を見上げる事が多くなった。
それはアレックスのそばにいたかったからで、
地下でも踏みしめた大地はちゃんと土のにおいがして、
夜には満点の星空をみて過ごした。
ラーはとても満足だった。
アレックスがいて、パパとママもいる。
大地がある。
爆撃の音も落ち着いて来た頃、
パパは仕事をしに遠い所へ行くことになった。
出発は夜だ。
パパの他にも町の男たち数名。
皆生きていくため、家族を養って行くために出稼ぎに行く。
「それじゃ。行ってきます。アレックス、ママのこと頼むぞ。
男の子なんだから、強くなるんだぞ。あきらめるな!最後まで。」
ママは昨日からずっと泣いている。

今夜は月がとてもきれいだ。
ラーは夜の散歩に出かけた。
お気に入りの碑石の上で
パパの乗った車が小さくなるまで眺めていた。
月に照らされて、青白く光る車。
それがパパを見た最後になった。
パパたちは国を守るため、多額の金額と引き替えに兵隊として内戦のもっとひどい地域に送り込まれあっけなく亡くなった。
ラーは月明かりのきれいなあの晩を思い出していた。
ずっと泣いていたママ。
泣くのを必死にこらえて、噛んだ唇が青くなっていたアレックス。
町を出て行った沢山の男たち。
この地球(星)はとてもかなしい色をしている
みな疲れた顔をして、毎日死と向かい合わせの恐怖の中で生きている。
あっけなく亡くなっていく命。
毎日人と人が殺し合い
終わらない戦い。
真っ青な空を堂々とみることもできない
地下の生活。
くだらない。くだらない。
ラーは叫びたかった。
でも声の出し方が分からない。
泣き崩れるママに
「大丈夫だよ。僕がついてるよ」
と言いたいのだけど
強くなろうと必死に涙をこらえているアレックスに
「僕の前では泣いていんだよ。
僕が守ってあげるから。」
と言いたいのだけど、声が出ない。
ラーはママにぴったり寄り添い
アレックスに沢山ほおずりをした。
アレックス、
君の笑顔が大好きだよ。笑って。

冬も深まる頃、クリスマスを迎えていた。
崩壊した町に少しずつ明かりがともり始め
昼間はしーんと静まりかえっていた町にも活気が戻ってきた。
誰もがもう争いは終わったのだと思っていた。
空はどこまでも青く、遠い砂漠に蜃気楼が見える。
この日は近所の人たちとクリスマスパーティーをすることになった。
近くでとれた野菜を持ってくる人や子羊をもってくる人もいた。
ラーは明るい町の様子を眺めていた。
遠くにアレックスが笑っているのが見える。
天気がいいので、お気に入りの碑石もいい具合に暖まっていた。
うとうと、ラーは夢を見ていた。
いつかの真っ赤な服を着たサンタが出てきた。
「やー!楽しんでるかい?
今年はどんな願いを叶えて欲しい?」
相変わらず、角の生えた靴を履き、妙に明るい。
「僕はアレックスの笑顔を見るととても心がぽかぽかするんだ。
願いは…いつまでもアレックスが笑顔で過ごせる町にしてほしい。ただそれだけだよ。」
サンタはずっとにこにこしている。
「わかった。君の願いを叶えてあげよう。
その代わり、君には元の世界に戻ってもらうよ。ばあから君を連れ戻すように頼まれていたんでね。それでいいかい?」
ラーは深くうなずいた。
アレックスが笑顔でずっと過ごせる町になるのならそれでいい。

お気に入りの碑石の上、身体の冷たくなったラーがいた。

「ラーは本当よく寝るね。
この石の上がお気に入りなんだね。」
そう言ってアレックスはラーの頭を撫でた。

何かが変だ。

「ラー!どうしたの?ラー!?」

アレックスは反応のないラーの身体を抱き、どんどん冷たくなる身体を温めた。
「お願い目を覚まして。」
ぽろぽろと涙がラーの身体に溶けていった。
太陽は燦々と輝き
碑石だけはいつまでも暖かくそこにあった。
⭐︎

Kはゆらゆらと海に浮かんでいる。
長い夢を見ていたような、見ていないような
何かを忘れているような、忘れていないような。
ぽっかり開いた心の穴を見つめていた。
今日も空はいつもと同じ空で、海はとても穏やかだ。
変わらない空を眺めていると
真っ赤な服を着た老人が目の前に現れた。
「メリークリスマス!
君の願いを叶えに来たよ。」
老人は角の生えた妙な靴を履いていた。
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