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「さようなら全てのエヴァンゲリオン」を見た

アマプラで「シン・エヴァ」が観られると聞いて先日視聴。
そしたら今度は「さようなら全てのエヴァンゲリオン」がおすすめされたので昨日今日で視聴した。

私とエヴァの付き合いは私が大学生の頃から始まるので、もう15年くらい前。大学生の頃住んでいた一人暮らしのアパートで、夜な夜なアニメを追って、旧劇を観て。なんだかよくわからないんだけどそれが面白くて、解説とか感想とかのサイトを巡った。(けど、結局よくわからなかった)
大学生くらいになると、進路の悩みだとか家族の悩み、自分とは何かというようなアイデンティティーの悩みもなんとなくひと段落してしまって、大体のことは「わかった」ような気になってしまう。依然として悩みが存在していても、「まあ悩むものだからね。答えは存在しないけれど、探し続けることが人生だから」みたいに開き直ってしまうというか。
そんな中で、「なんだかよくわからないけど面白い」ものはいやに魅力的だった。思えば私が大学時代に文学にハマっていったのも、そのわからなさを追いかけていたのかもしれない。

ちなみに大学時代にパチンコも覚えたので、エヴァにはその節でも大変お世話になった。いちいちギミックが熱いし、やっぱり有名どころの台詞やシーンが多いから、赤とか金とかで囲われてそういうのが展開されると当たる当たらないは置いといてアドレナリンがどばどば。カヲルくんが異様に好きになるし安心感はんぱない。いや、それはいいんだ今回は。

新劇場版は序破Qどれも映画館に観に行った。たぶん大勢の人がそうだったと思うけれど、破では燃え上がりQで突き放された。確かになんだかわからないのが面白いとは言ったが、これはわからなすぎる。シンジくんがとてもかわいそうなのだけはわかる。あと、頼みのカヲルくんの核心に迫るシーンが、「やりがあればやりなおせる」って誰がうまいこと言えって言ったみたいな方が気になって、心の中でどう処理すればいいかわからなくなった。でもまあ、最後の部分でちょっと安心して、完結篇を待とう、それで少しはわかるはずだと思った。

「シン・エヴァ」については改めて書くかもしれないし、書かないかもしれない。私は結局ずっとにわかのようなものなので、深い考察とか独自の切り口なんてものはない。ただ最後の方はなぜか泣いていた。ほんとは映画館で観たかった。映画館のスクリーンで観ることを前提にしている作品だと思うし。でも世間はコロナ禍で、私は初出産を終えてほやほやの赤ちゃんをかかえる新米お母さんで、どうしても映画館に足を運ぶ決断ができなかった。アマプラで観られたのは本当にありがたい。まさかこんなに早く観られるなんてね。

今回このドキュメンタリーを観て、私は初めて庵野監督の人となりを知った。ほら、本当ににわかだから。勝手なイメージで、もっと鬱々とした細くてへろへろでぼさぼさな感じの人かと思っていた。そうしたら、なんだか茶目っ気のある芸術家肌の人だった。ほんわかしてた。思ったより。
ひとつひとつのシーンにこだわりまくっているのが伝わってきた。私があの場面にいても、何がよくて何が悪いのかわからないだろうな。脚本が上がって来てもなんだかよくわからなくて、でもここでわからないって言えなくて「ああいいの上げてきましたね…」みたいな顔しちゃうだろうな。「シン・エヴァ」、息子がぐずり出したりしつつ観てたので、こだわりのシーンを流し見てしまっていたわ、ちゃんとじっくり観ないとな、と思った。

創作に関してあれだけ打ち込めるってすごい。本人も何が正解かわからないのに、違うということだけ分かる、というのはなんとなく想像できるけれど、とてつもなく怖いことだと思う。だって何回試しても正解に辿り着かないかもしれない。どうやったってゴールしないかもしれない。誰が助け船を出しても、それに乗るかどうか決めるのは自分で、なんだかどうにも乗る気になれない。それはとても怖いことだ。でも、進むんだもんな。周りもそれについていくわけだし。
モヨコさんが話しているところで、「(庵野監督は)すべて投げ出して飛び出したとしても、その先でまたしれっと書き始めているんじゃないか」というようなことを言っていて、もはや庵野監督がエヴァンゲリオンという話を書き進めようと決めているわけではなくて、もう宿命として組み込まれてしまっているからどうしようもなく創作してしまうのではないかと思えてきた。創らなくては生きられない、生きていると創ってしまうというか。

私も創作に憧れをもつ一人だけれど、あんな姿を見せられちゃあひれ伏すしかない。自分の中のいろんなものを投げ打って、注いで、削って、捧げて。そうやって創ったものが形になって誰かに影響を与えていく。

本人は作り終えたものに頓着しない。それがまたかっこいい。私だったら何度も眺めちゃう。しばらく惚れ惚れしてる。

ドキュメンタリーに映った姿がすべて真実だとは思わないし、むしろ結構虚構かもしれない。最後の次の仕事に進む庵野監督の姿を見て、私はほっとしたのだけれど、その安心のために振る舞っている可能性もある。あんな人生を注いだ大作を作り終えた後、その人がどうなってしまうのか、多くの視聴者も心配しただろうから。

とにかく早々にもう一度「シン・エヴァ」を観たい。そういう気持ちにさせることが狙いの番組だと庵野監督自身も語っていたし。そこはまんまと乗せられてもいいと思う。きっとなんだかよくわからないところはまだあるのだろうけど、15年もその面白さに触れていられることはありがたい。次に見たときには、私が前回流した涙の意味くらいはわかるといいな。


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