金魚とみどりちゃんと貝貝
“流れ者”にペットはご法度ですが、せめて金魚くらいはと、離石の市場をブラブラしていたら見つけました。いかにも夜店の金魚すくい然としたありきたりの“雑魚”ばかりでしたが、1匹1元で10匹購入しました。ついでに小さな緑色のカメも1匹買いました。ビニール袋に入れられバスに揺られて我が家にやってきて、用意してあった鉢の中でみんな元気に、といいたいけれど、すでにその夜3匹が死にました。これは宿命で仕方ありません。夜店で買ったものは金魚でもヒヨコでも、数日間でまずは淘汰され、それでも生命力あるものはちゃんと生き残るのです。
ということで、金魚はまだまだどれが生き残るか不明なので名前はありませんが、カメにはさっそく「みどりちゃん」という名前を付けました。こいつはすこぶる丈夫そうで、きっとあと100年くらいは生きることでしょう。待望のペットがようやく我が家にやってきたわけです。(*楊老人のところから引っ越して、今は3人一緒に暮らしています。)
ところがです。実をいうと、みどりちゃんよりも先に、我が家にペットが住み着いていたのです。これにはまったくびっくりしました。
樊家山に帰って門を開けたとたん、「ワンワンワンワンッ!」と、小さな白い犬が飛び出して来たのです。もう噛みつきかからんばかりの勢いです。張老師が隣村の賀家湾でもらってきたもので、元々の名前が「貝貝」、子犬だとばかり思ったのですが、2歳の成犬で、メスです。
金魚とみどりちゃんとベイベイと、命あるものが私の生活圏に急に増えました。『一個都不能少』(=ひとつでも欠けてはいけない。日本では確か『あの子を探して』という題名で上映)。ひとつでも命が欠けないよう、一気に秋を迎えた黄土高原の片隅で、金魚の水草とみどりちゃんの餌とベイベイの小屋をどうするか、いろいろ思案しているところです。 (2006-09-27)
貝貝
ベイベイがウチにやって来たのは、私が松本の私立高校のスタディーツアーの添乗で瀋陽に行っていた先月の15日で、ちょうど半月が過ぎたのですが、今また状況が風雲急を告げる様相になってきました。
張老師も郭老師も自分で犬を飼うのは初めてだそうで、溺愛ともいえるほどのかわいがりようです。ベイベイもそれに十分に応えて、利発でかわいらしく、また前の飼い主のしつけがよかったのか、とても行儀のいい犬です。ところが、ものすごく寂しがり屋で、全員が外出しようものなら、「キャイーン!キャイーン!」といつまでも啼き続けて、けっきょく最後のひとりは外出できなくなるほどなのです。
帰ってきたときの喜びようも尋常ではなく、飛び付きや甘噛みも日に日にひどくなってきたので、前の飼い主にいったいどんな飼い方をしていたのか聞いてみようと思って、昨日ベイベイを連れて、隣村の賀家湾まで出かけました。
前の飼い主に聞いてみると、ベイベイは生まれてからずーっと部屋の中で飼われていて、寝るときはカンの上で家人と一緒に寝ていたという、まるまる大都会のペット暮らしをしていたのです。それであの異常な寂しがりように納得がいきました。私たちはもちろん外で、鎖に繋いで飼っていたのです。
で、帰ろうとしたら、その場にいた数人の家人が、ベイベイを連れて帰ってはいけないといい出して、私が繋いできた鎖をはずして、自分の家にあったヒモに付け替えて、鎖だけ私に返してよこしたのです。私はあっけにとられて、「この犬は張老師にあげたんでしょ?今彼は実家に行っているけど、帰ってきてベイベイがいなくなったら私の責任になるから返して欲しい」というと、「自分たちは彼にあげた覚えはない」といい出したのです。「じゃあこの2週間、どうしてほおってあったの?」「あげてないのにどうして張老師のところにいたの?」
察するところ、一度はあげたけれど、私が偶然連れて行って顔を見たら、かわいさがつのって、返して欲しくなったのだと思います。でも、だとしたら、正直にそういうふうにいうべきであって、「あげた覚えはない」などというのは違います。とにかく私の中国語ではラチがあかないので、その場は黙って鎖だけ持って樊家山に戻りました。で、郭老師に事情を説明すると、彼も私と同じ意見でした。ところが、実はちょっと違っていたのは、タダでもらったのではなく、張老師は5元というお金を払ったのだそうです。5元というと100円にも満たないので、それもスゴい金額ですが、ともかく売買関係が成立していたわけです。
郭老師はさっそく張老師に携帯メールを送りましたが、張老師の返事は、「休暇が終わって帰ったら、すぐさま公安局に訴える」というものでした。彼も特にベイベイに執着しているわけではなく、相手が「あげた覚えはない」といっていることにあるようです。今頃ベイベイは前のご主人のヤオトンのカンの上で、安らかに眠っていることでしょうが、この先事態がどのように進展するのか、大いに興味があるところです。 (2006-10-07)
帰ってきた貝貝 昨日の6時頃に離石から帰ってくると、郭老師が、「ベイベイの飼い主のおばちゃんが探していたよ」と、さもおかしそうに笑いながらいうので、「いったい今頃になってどうして?」と聞くと、待ってましたとばかりに話し始めました。
昼頃に郭老師が庭に出ていると、頭の上の方で「ベイベイ!ベイベイ!」と呼ぶ女性の声が聞こえたそうです。このときにすでに、「ははぁ、さてはベイベイがいなくなったな」と彼はピンときたのですが、時を移さずしてくだんのおばちゃんが真っ赤な顔をして、「日本人はいるかっ?」と怒鳴り込んできたのです。郭老師が、「離石に行っている」というと、「いつ行ったのか?」と聞くので、「きのう」だというと、彼女ははぐらかされたような表情になり、「どんなご用件ですか?」という郭老師の質問に、「何でもないっ!」と荒々しく帰っていったそうです。
「訴訟を起こす!」と息巻いていた張老師は、その後お父さんが入院したりしてそれどころではなくなり、けっきょく黙って元の飼い主に返した形になっていました。ところが、私がしばらく前に賀家湾に行ったときに、ずいぶん遠くにいたベイベイの方から私を見つけて、ものすごい勢いで飛びついてきたのです。それからもずっと私の後をついてくるので、おばちゃんがあわててヒモを持ってきて連れて帰りました。そんなことがあったので、てっきり私が黙って連れ戻したと思ったのでしょう。とんだ濡れ衣です。
ところが夜になって、今日は何時に電気が来るのかしらと、寒さにうち震えていると、なんだか隣の部屋で犬の鳴き声がするのです。もしや?と覗いてみると、やっぱりそこにはロウソクの炎に照らされて、なつかしいベイベイがちょこんと座っていたのです。聞いてみると、張老師が招賢へ買い物に行く途中、ベイベイの家の前を通るので、そこでピィーッと口笛を吹いてみたら、ベイベイがすっ飛んできたそうです。それで彼はベイベイを抱いてそのまま帰ってきたというのです。
ベイベイは今、大きな羊の腿の骨をもらって一心にかぶりついています。張老師の姿は村人に見られているから、明日にでもあのおばちゃんがまた赤い顔をしてやってくるでしょう。もしかしたら、“剛の者”のひとりふたりは連れてくるかもしれません。片やこちらのふたりも、「5元で買った犬だから、煮て食おうと焼いて食おうとこっちの勝手だ」と譲る気配はありません。さぁ、男も女もケンカ好きの中国人です。いったいこの先はどうなるのでしょう?私は巻き込まれたくないです。 (2006-11-28)
犬を抱いて暖をとる
“常夏”(暖房きき過ぎ)の離石から夕方帰ってきて、やれやれ電気があるわい、まずはご飯を炊こうと米を洗ったところでプツン!これでちょうど20日目です。今日は久しぶりに雪雲が去ったのでかえって気温は下がり、室温は7℃ほど(午後8時の外気温-7℃)。7℃といえば冷蔵庫の中です。どうしたものかと思案しているとベイベイがじゃれついてきました。ベイベイはその後おばちゃんがやってくることもなく、すっかりウチの住犬となって、みんなにかわいがられながら気ままに暮らしているのです。
で、そのベイベイの体がとても温かいことに気がつき、カイロ代わりに抱いて少しでも寒さをしのぐことにしました。もともとが“お座敷犬”ですから、彼女もじっと抱かれていてとても具合がよく、これなら背中にもう一匹いてもいいなぁ‥‥なんて考えていたら、そのうちにベイベイも体温がとられて寒くなったのか、私を見捨てて暖かい隣の部屋に避難していきました。こうなれば最後の手段で、布団に入って待つしかありません。人民解放軍布団の中で待つこと数時間、10時半にようやく電気はやってきました。まずは首振りストーブをスイッチオン、それからご飯を作って食べ、インスタントコーヒーを飲んで、ようやくパソコンの前に座ったところです。
しかし、いくら我慢強い私とはいえ、こんなことをこれ以上はやっていられません。もしかしたらこの状態は、炭鉱労働者がいっせいに帰郷する春節まで、延々と続くかもしれないからです。火を焚いたところで、電気がなければ炊事もできないし、第一パソコンが使えません。それでさきほど、古鎮賓館の劉老板にメールしてみたら、磧口は電気があるというので、しばらくかの地に避難することを考えています。ひとつには、私が生まれて初めて会った日本人だという、日本とは縁もゆかりもなかった磧口一の“お調子者”の劉老板が、「中日友好文化交流センター」なるものを“でっちあげ”たらしいというので、一度“査察”に出かけなければならないからです。 (2006-12-06)
狗販子
今日昼ごろにベイベイの元の飼い主のおばちゃんが娘を連れてやってきました。私の部屋に入ろうとするので、「その件に関しては私は関係ないから、隣の郭老師と話し合ってください」と断りました。で、すぐに張老師に電話を入れると、授業中にもかかわらず、彼もすぐにやってきました。その後30分以上、あれこれ声高の話し合いが続いたのですが、けっきょく、賀家湾へ帰ることに決まったようです。話し合いの内容については、私には聞き取れません。当事者の張老師が承諾したようです。最後は私の膝の上にいたベイベイは、紐につながれて帰って行きました。濡れ衣を着せられた私には、まったくひとことのあいさつもなしです。
道理としては、5元で買い取った犬ですから、断ることはできたのですが、なぜ張老師が承諾したのかはわかりません。ベイベイがいなくなってから、今度は郭老師と張老師の間で、長いこといい合いが続いていました。張老師は昼間はいないし、夜はベイベイは彼らの部屋で寝るので、けっきょく一番長くベイベイと一緒にいるのが郭老師ということになり、彼は返したくなかったのです。おばちゃんに「それじゃああんたは狗販子と同じやり方じゃないか!」とののしっていたようです。
中国語では犬のことを「狗」と書きますが、狗販子というのは、狗を売ったら、しばらくすると自分のところに帰ってくるようにしつけておいて、帰ってきたらまた他の人に売るという商売で、日本でも落語の世界にあったような気がします。
当然のことながら、私は初めから樊家山にいる間だけのつきあいだと決めていました。ちょっと早過ぎたけど、一緒に来た娘の方がとてもかわいがっていたような風情で、これも縁の切れ目かなぁとあきらめかけているのですが、郭老師はなんだかとても寂しそうです。どうやらベイベイを再度取り戻す策を練っているようでもあります。この先も、私たち3人は、山を下りるたびにベイベイの家の前を通ることになるので、まだまだ更なる展開があるのかもしれません。 (2006-12-23)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?