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黄土高原の冬支度

収穫の秋とともに、私たちのところでは次から次へともらいものが増え、これは冬場に向けて保存法を考えなければなりません。

一番多くもらうのはもちろんナツメですが、ついでリンゴ、かぼちゃ、豆、さつまいも、じゃがいも、大根などなどです。じゃがいも、かぼちゃはよく日に当ててそのまま土間にころがしておけばいいらしく、大根やカブは土に埋めました。さつまいもは干しイモにしようということで、鍋で茹でて櫛形に切り、庭のテーブルに並べました。乾燥して日差しがきついので、あっという間にできあがりそうです。

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背負っているのは大豆。貴重な商品作物です。

ニンジンの葉も細かくきざんで神様(庭の真ん中に小さな祠のようなものがある)の上に干してあります。切干大根も作る予定。で、マキ割りや水汲みはもちろんのこと、こういった“冬支度”もすべてグオ老師がするのです。私がやるのはせいぜい干しイモをたまに裏返すのと、猫に食べられないように番をすることくらいです。猫が干しイモをたべるのかどうかは知りませんが。

いくらなんでも悪いなぁと思って私の仕事を探したのですが、実にすばらしいことを発見しました。樊家山の人たちは、誰も大根の葉っぱを食べないのです。あんなにおいしくて栄養価の高いものをどうして捨ててしまうのかわかりませんが、私が畑で拾っているのを見て、「なんでそんなまずいものを食べるのか?」と不思議がられる始末です。私はこれでさっそく漬物を作ることにしました。以前野沢菜の切り漬を作ったことがあるので、それと同じ方法でまずは小ビンに作って2人に試食してもらったところ、とてもおいしいということで、あらためて大量に作ることにしました。

誰も食べない。みんな捨ててます。
私のために持って来てくれたじいちゃん。

まずは村を廻って大根を作っている家を探し(作っている家は意外に少ない)、収穫の時には葉っぱだけほしいので知らせてくれと頼むのですが、これがなかなか簡単には通じません。でもまぁ半分くらいはわかってもらえたでしょう。後は連絡を待つのみ。おいしくできたらみんなに配って、樊家山で“野沢菜漬もどき”を流行らせようと思っています。   (2006-10-15)

月餅
今年は10月6日が中秋節、中秋の名月でした。この日が近くなると、世話になった人や親しい人同士で月餅を贈りあうのがこちらのしきたりですが、都市部に行くとかなり前から“月餅商戦”が華々しく繰り広げられます。日本でいうバレンタインデーのチョコレート商戦に似ています。各メーカーや高級ホテルなどが、競って趣向をこらし、中には月餅の餡の中に金の仏様が入っているものまであって加熱気味です。

そこへいくと樊家山は静かなもので、それぞれが家庭で自分の家の月餅を作って近所に配ります。もち粟の皮に、餡は黒砂糖にせいぜいゴマと松の実でも入っていれば上等な方です。直径が10cmほどもあるかなり大きくてやや固い月餅がフツーです。これをかならず偶数個あげるのが決まりで、私は一度に2個か4個もらいました。それがたまってきて、今だに10個以上あります。日持ちはするのでまだまだ大丈夫ですが、はっきりいってちょっと食べ飽きました。

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大豆。ロープ1本と1枚の布で40キロくらい担ぎます。

にもかかわらずです、昨日離石に行って街を歩いていたら、あちこちで売れ残りの月餅を売っているのです。見てみると、確かに私が太原で1個3.5元で買ったのと同じ月餅です。それがなんと1個1元。日本でもバレンタインが過ぎるとチョコの安売りをしますが、せいぜい半額、それがこちらでは1/3以下です。心根卑しき私は、よせばいいのに、8つも買ってしまったのです。そしたら店員が次々袋の中に入れるので、8つでいいというと、「あぁお客さん、ひとつ買うとひとつおまけが付くんですよぉ~!」

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麺の材料として売ります。

中国では一般的に見かける方式で、「一買一贈」というやつです。日本だと1つが半額になったりするのですが、中国は2つで1個の値段になるのです。その方が商品のハケは確かにいいのでしょう。私はずっしりと重い袋をぶら下げて樊家山まで戻りました。そしたら実家に帰っていた張老師もしこたま持ち帰っていて、もう部屋中月餅だらけです。ほんと、できることなら日本のみなさんにお送りしたいです。           (2006-10-16)

蜂のケンカ
すごく珍しいものを見ました。蜂のケンカです。ウチの庭にもハエはめちゃ多いのですが、蜂はほとんど見たことがありませんでした。ところが、私が“野沢菜もどき”を漬けるときに入れようと思ってリンゴの皮をテーブルの上に干しておいたら、それに蜂がやってきたのです。最初は1匹。そのうちに新たな蜂がやってきて、なんだか戯れているようだったので、交尾かしらと思っていたのですが、よく観察してみるとそんな甘いものではなく、激しい縄張り争いだったのです。

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壁に掛かっているのはタバコ。

ミツバチでもアシナガでもなく、なんか中くらいのけっこうきれいな蜂でしたが、お互いに一直線に滑空してきて、バチンッ!ガツンッ!と頭と頭で激しくぶつかり合って、まったく“空中戦”そのものでした。5、6回ぶつかり合った後に、どうやら体の大きめの蜂の方が勝ったみたいで、もう1匹はどこかへ飛んで行きました。しかししばらくするとまたやってきて、再び熾烈な空中戦が始まったのです。

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今の時期樊家山ではどの家でも庭中にナツメが干してあって、甘いものならいくらでもありそうなものですが、どうやらナツメは彼らにとっては固いのかもしれません。それでジューシーなリンゴの実が残っている皮の方に魅力があるのでしょう。そんなことならと、少し離れたところにもリンゴの実を削って少し置いてみました。

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不思議ですねぇ、どうしてわかるんでしょう。戦いに敗れた方の小さめの蜂がじきに見つけてやってきたのです。それで今は2匹はケンカすることなく別々に蜜を吸っています。実は隣村でリンゴを生産している人から1袋、20キロ入りをもらったので、私たちでは食べきれず、まぁ蜂たちとも仲良く分け合って、平和に共存したいと思っています。     (2006-10-18)

 一分銭一分貨 
中国には「一分銭一分貨」ということばがありますが、安く買ったものにはやはりそれだけの価値しかないという意味です。当然中国人もその意味はよぉ~~くわかっているはずです。なのに、なのに、どうしてこう“安かろう悪かろう”に涙しなければならないのでしょう。もちろん、すべての Made in China が劣悪だといっているわけではありません。日本製品に負けない優良な商品だってたくさんあります。問題は、そういった価格の張るいい品物は、取得水準の低いこの地方には廻ってこないということなのです。

去年30元(1元≒14円)で買った(これしかなかったから)電気ストーブからジリジリ異様な音が響くようになったので、やっぱり新しいのを買うことにしました。これから先は四六時中使うことになるので、今度は高くても安心して使える“ブランドもの”を買おうと思い、財布に300元を入れて離石の電器屋に出かけました。

1000元以上する大型の立派なやつは別にして、今年は扇風機の形をした首を振るのが流行のようです。適当なやつを指差して値段を聞くと「60元」。私はう~んとうなりました。これは値切れば50元くらいなので、無事に春を迎えられるかどうか、とても心配です。ところが店の人は、高くても品質のいいものを、という私の心の奥底からの呟きをどう読み違えたのか、それとも私の身なりがよほどみすぼらしかったのか、「お客さん、こっちにもっと安いのがありますよ、40元」。‥‥私は黙ってその店を出ました。

結局3軒目の店で、80元のやつを65元で買い、ついでに先日ショートした“電器湯沸かし器”も8元で購入しました。6本目だか7本目だか、もう忘れてしまいましたが、1ヶ月の“使い捨て電器湯沸かし器”だと思えば、さして高いものではありません。今新しい電気ストーブは、私の足元で真っ赤な顔をしてゆっくり左右に首を振っています。とにかくこの冬、この一冬でいいので、Made in China のメンツにかけて頑張ってほしいものです。(2006-11-09)

人類最初の文化の習得を 
首振りストーブはギーギーぐぅーんぐぅーんと、赤い顔して頑張ってくれているのですが、これで何とかなるかというと、そ~んなに甘いものではないのです。それは停電です。

しばらく前までは調子が良かったのですが、樊家山は今日で5日続けて停電しています。しかも決まって夕方6時ごろにブツンッ!と切れて、夜中の12時近く、ウトウトし出した頃にパッと回復するという、まったく人をバカにした停電の仕方です。しかし、停電といっても台風や地震のような自然災害が原因ではなく、どこかで大量の電力を必要とするので、樊家山のような“どうでもいい”農村部の電力は情け容赦なく切り捨てられるのです。きっとどこかでこういう時間帯に突貫土木工事でもやっているのでしょう。

5日目の今日は、朝起きたときからずーっと停電で、夕方6時きっかりに来ました。それっとばかりに急いで米を洗って電器釜のスイッチをいれ、電器湯沸かし器でポットに湯をわかし、電気調理器で珍しく手に入ったチンゲン菜の胡麻和えを作り終え、あぁ電気はやっぱりありがたいわぁ、とため息をついたところで7時きっかり、プッツリと切れ、その後ろうそくの明かりでひとり寂しくご飯を食べました。

暖房も炊飯も、すべて電力に頼っている私としては、停電されたらお手上げです。そのためにはもちろん、大量のろうそくと共に、“非常食”は常に用意してありますが、食の方はともかく暖の方はなんともならず、けっきょくしこたまふとんを引っかぶって寝てしまうより仕方ないのです。お上に楯突かない村人に習って、いい加減に火を起こすという人類最初の文化を、私もまじめに習得しなければならなくなってきたようです。  (2006-11-13)



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