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歳とともに、記憶のフォルダがいっぱいになって、いろいろあり過ぎる。

随分長いことここを更新していないので、「お~い、生きているのか?」というご連絡を何人もの方々からいただきました。生きています。フツーに元気です。

若い頃からソーウツのケがあって、1,2年に1回は発症します。持病なので、自分としては特に驚くにあたらず、毎日雨も降るし、ずっと部屋に籠ってYouTube ばっかり見ていました。

今朝は、エリザベス女王が亡くなったというニュースが流れましたが、私、実は女王をかなりの近距離で直接見たことがあるのです。あれは30代の後半頃だったので、今から40年近く前のことです。

ネパールに旅して、カトマンドゥの王宮近くをブラブラ歩いていた時です。王宮の正門が見える辺りでしたが、道路の両側にポリスの姿が散見されて、あれっ、何だろう?と思いました。一般市民の姿もポツポツで、誰か有名人でも通るのかな?と思って、私もその場に立ち止まってしばらく待っていると、黒い乗用車のひとかたまりがやって来ました。ほんの小規模の車列で、かなりゆっくりとしたスピードでしたが、その中の1台の窓が開いていて、きりっと正面を向いた、小柄でいかにも“高貴な”雰囲気の女性がひとり乗っているのが見えました。片側3車線くらいの普通の道幅ですから、畏れ多いほどの近距離だったわけですが、その時はそれが誰かはわかりませんでした。

宿に戻ってから、新聞でエリザベス女王のネパール訪問を知ったのですが、別にユニオンジャックの小旗が並んでいたわけでもなく、警護のものものしさも感じられず、要するに“平和な時代”だったのかも知れません。目線でとらえられたのはほんの2、3秒だったと思いますが、その時の第一の印象は、世の中には、同じ人間なのにあんなに真っ白な肌をした人がいるのかと驚いたことです。あれほど真っ白な白という色を見たことはなかった、というくらいに。あれから40年ほど経っているので、女王陛下もまだ50代、“女優さんのような”とてもきれいな人でした。

その後私はアンナプルナ峰麓のポカラに向かい、そこからダウラギリの麓まで、20キロほどのザックを担いで1週間かけてトレッキングしました。アンナプルナもダウラギリも8000m峰です。その美しくも険しいヒマラヤ襞を堪能しながら、あぁ“神々の座”というのはほんとうにあったんだなぁと、おおげさではなく、ほんとうに“むせび泣くような思い”でひとりジョムソンに向かったのです。

帰路は、高等学校の運動場程度の規模しかないボロいジョムソン空港から、20人乗りくらいのプロペラ機でカトマンドゥに戻りました。きっとパイロットのサービスなんでしょうね、ダウラギリピークに至る稜線ぎりぎりまで接近するアクロバット飛行で肝を冷やしましたが、その時の息をのむ光景は、文字ではとても表現できず、私の生涯版の記憶フォルダに今も大切に保存されています。

で、帰国して以降、私は日本での登山をぱったりと止めてしまったのです。それまでは、富士山を除く3000m峰はほぼすべて完登するほどの山狂いだったのにです。20代後半に、友人たちと一緒に木曽駒ケ岳に初めて登り、ガクガクの膝で下山して、もう2度と山登りはしないと誓ったはずなのに、膝の痛みが取れた1週間後に、あれはどこだったか、ひとりでどこかの山に向かっていました。その後はまさに憑かれたようにはしご登山に明け暮れていたのに、あのヒマラヤ襞を見た時に、“見るべきほどのことは見つ”と、まるで平知盛のような境地に至ったのでしょう。今じゃ、カンボジアのほんの2、300mの山の上にあるパゴダまでも歩いては登れませんが……。

女王陛下死去のニュースから話が飛びましたが、まさにリアルタイムでここを更新しているという証で。心配をしてくださったみなさん、ありがとうございました。またボツボツ書いてゆきます。

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