強い私で有り続ける

こんにちは、20卒ネオキャリア内定者のNatsumeです。フルネームはこのワールドワイドウェブに掲載するのがはばかられるので本当に勘弁して欲しいところです。本当に。(これからビジネス関連でSNS等を使うときに本名及び顔面が情報社会の海に投げ出されるかと思うと、気が気でなりません。)

閑話休題、
現在県内の大学で4回生として卒論に励んでいます。専攻は国際ビジネスマーケティングに分類されています。高校から大学にかけて文字・音・映像を作る活動を行っていました。具体的に言うと司会業を行い、記事を作り、本を作り、曲を作り、演奏をし、動画を撮り、編集し…エトセトラ。
いろいろ書きましたが、何かに優れた人間なのではなく、自分の頭の中身を人に伝えることが好きで、反応をもらうのが好きな人間です。自分の頭の中に誰しもある謎の感性を実際に形に起こすこと、人によってはクリエイトと表現される行程をなぞることが好きです。

自己紹介はこの程度にして早速本題に移っていきたいと思います。
今回のテーマは自分の夢や、興味関心がそそられる物。ということで夢、将来像について語っていこうと思います。


就職活動を通して得た自分の芯

就職活動の際に必ず聞かれる質問があります。

「あなたのキャリアプランを教えてください。」

どのような姿になりたいのか、何が出来る・やりたいのかをヒアリングし、その企業で将来描いている姿までのプロセスを提供することが出来るのか判断して採用のミスマッチを減らすためにある設問だと受け取り自分なりの答えを作って面接に臨んでいました。

そう、「答えを作って」「いました。」

……この書き方なんかものすごい誤解を生み出しそうな気がします。
設問の意図をくみ取り、自分の希望や動機を伝えられるような最適解を答えていたのです。大丈夫です、ちゃんと過去形です。

もちろん、面接の中で語った「自分の働く環境を良くするために社会の働く環境を少しでも良くしたい。」や「他者の意思決定に対して興味があり、そこに強いアプローチをかけられる人になりたい。」などは嘘ではありません。
私の説明能力不足や処理能力不足により本質とは少し離れ枝分かれした末端の回答となってしまったな、と今になって思います。
就職活動が終了した後、私は今何がしたくて、将来どう変化していくんだろう、私の欲求の本質はどこにあるのだろうと悶々と考えました。

「夢が出来たときにあきらめる要因になり得る種を徹底的につぶす。」、これが私の出した答えです。

やりたいことがあった時に自分の実力不足でそれにのめり込んでいけなかった経験が自分の中でずっと残っており、それが後悔につながり、劣等感につながり、自己肯定感をものすごく下げているなと気がつきました。そして自己肯定感が弱いとどうなるのか、常に漠然とした不幸にとりつかれるんですよ。それはもう呪詛のごとくつきまとい一挙手一投足・思考、すべてに暗い影を落とし続けるんです。恐怖ですよね。

そんな人生ごめんじゃないですか?

誰がなんと言おうが、私は私の人生ENJOYってモーニング娘。’19も表現していました。
私という人生私しか歩めないし干渉できないのだから私自身で勝手に幸せになっていくしかいけないんですよ。そのために邪魔する奴らは全員ぶっつぶして不利にならない伏線を張っておかないといけないなと、思いました。多少言葉が野蛮なのですが、これぐらい意気込みで私は私の人生楽しもうと思っています。

予想される障壁

さて本題、では私に降りかかってくる足手まとい達の要因を見ていきたいと思います。

将来したい事をやろうと思ったとき、それにお金を含む「ポジション」が関わってくるのであれば早急にその障壁を解消しておく必要があります。

スキルが足りないのであれば死にものぐるいで習得すれば短期間でクリアできるのに対し、他者評価が必要な物はそれを受け取り承認してもらうための時間がかかります。自分一人でどうにか出来る物と他者の力を必要とする物、優先度は後者の方が高いと私は思います。私が社会に出て真っ先にやるのはポジションを得るために目の前のことに全力で取り組み評価されることです。
他者の協力が必要となる「ポジション」「キャリアアップ」についてまずは取り組んでいくとして、次にそのポジションを得るために障壁になりそうな要因を考えていきます。(まだ仕事をしていない次点で、壁のことを考えるなんて捕らぬ狸のなんとやらのようにも思えますが、とりあえず話を進めていきたいと思います。)


まずは自己の分析から。
私についている大きめのタグは以下の通りです
・熱狂傾向:有り
・学部:文系
・思考回路:理系寄り
・コミュニケーション能力:人並み
・生物学的性及び性自認:女

この中で自分の努力だけではクリアできない環境に対してアプローチをかけなければ障壁になる物・なりかねない物、といえば悲しい事に一番下の「女」という部分です。
私が見てきた会社は管理職に女の人が普通にいる企業ばかりでしたが、実際日本にある企業を見ていくと、そのような企業はほんの一握りしかいない事が分かります。

最もわかりやすいであろう数値、GGIを見ていきましょう。
そもそもGGIとは、男女格差指数・ジェンダー・ギャップ指数は、国ごとの男女格差(ジェンダーギャップ)を測る指数の略称であり(1)経済活動の参加と機会(2)教育(3)健康と寿命(4)政治への関与の4つの観点から格差を調査したレポートです。世界の企業や団体が加盟する非営利の公益財団、世界経済フォーラムWorld Economic Forumが2005年から実施し、『世界男女格差報告書』The Global Gender Gap Reportにおいて毎年発表しているジェンダー格差指数界隈では若めのナウでヤングな統計です。
日本のGGIのレポートを見ていきましょう。

画像1

一目見るだけで⑴と⑷に大きな格差があることが分かると思うのですが、その中でも私が一番問題視しているのは⑴の女性管理職の少なさです。⑴内の他の項目と比べて圧倒的な差が出ていることが見て取れます。
ではなぜ、ここまで女性管理職が少ないのでしょうか。
お察しの通りM字カーブといわれる女性のライフイベントに依った労働人口曲線のイメージが社会から抜けきっていないからだと私は思います。

私はそんな社会にはびこる謎のイメージで自分の選択肢を減らされたくはない!私の人生だ!「雰囲気」なんぞに左右されてたまるかっつー話ですよ。

では何故そのM字カーブが是正されず、社会にそのイメージが定着してしまっているのか。
よく言われるのは男性の育児休暇の話ですが、そのような話は私以外の名だたる方々が説得力を持った肩書きで発信しているので置いておきます。

せっかくなんですから、思いっきり視野を変えてみましょう。

そもそも、何故人は子供を産んでいくのでしょうか?
(お父さん、お母さん、生んでくれてありがとうございます。私は二人の元に生まれることが出来て本当に本当に幸せです。嘘じゃないです。)

生物としての営みだから?それが幸せだから?
家庭を持ち、子供を産み育てて行くことが幸せだ、という価値観に一石投じたいのです。もしかしてその幸せの価値観、社会の刷り込みではないですか、と。

受け取り方によっては「こいつはそもそもM字カーブの谷を作るなといいたいのか?」と思われるかもしれません。確かに、単純に見ればそうとらえられるかもしれませんが、私の表現したい本質・目的はそうではありません。

家庭を持ち、子供をなし、後進を育てていく事、それ”だけ”が「良い選択肢」だと思っている状況を是正したいのです。「家庭を持つこと」と同じ土俵に立てる女性の生きる目的を作り出し、並べた上で自分の意思でどちらかを選択し、人生を形成したいのです。

私は家庭を持つこと以上にやりたいことが出来たときに自分を責めるような社会の刷り込みがあなたの中に存在しているかもしれないと一瞬でもなるような、そんな判断材料になれるような要因の一つになりたいのです。


あなたの幸せは本当に「あなた」の幸せなのか、社会における「常識」の幸せなのか、明言できますか?
幸せの形は様々ありますが雰囲気ではなく、選択して幸せになる人になりたいですし、そんな人が増えればいいなと思います。


以上のような人生を表現する際に「自立した女性」となってしまう現在、いずれはこの慣用的ともいえる表現が崩壊してすべてが「自立した人間」と表現される社会にしていきたいです。

まぁ、それも価値観の押しつけではありますが。

私はどうなりたいのか

詰まること、何が言いたいのかというと、私の生きる環境を私の暮らしやすいように変えていくために、「私」という幸せのサンプルモデルを社会の隅に置いておきたいのです。
自分のやりたいことに対して全力疾走して、自己肯定感をカンスト(カウントストップ)させてめちゃくちゃエンジョイしてる姿を自慢し続ける。そして他者のサンプルとなり価値観に影響を与える。結果、私が生きやすくなるり、私の思い描く幸せに近づいていきたいのです。
私は傲慢なので、私が私単体で幸せになる事も、私の周りの人間がちゃんと選択して幸せになっている事も両方ほしがります。
それでついでに、誰かの幸せのものさしの1ミリくらいを構成できれば私にとってこれ以上ない人間らしく幸せな活動はないでしょう。

最後に

平安時代に「賢しい」というネガティブな意味の言葉がありました。当時勉学、漢詩なんて勉強し、キャリアアップしようものなら男達から女のくせにと嫌われていました。男性の立場が上でそれに依存する事がよしとされていた故に存在していた言葉ですね。
令和元年ですよ、本当にいつの時代から男女役割分担とかいう価値観を常識として蔓延らせたまま放置しているのはもったいないですよ。
歴史の授業で学べることは「人間の本質はいつまでたっても変わらない」と良く言われていますが、数百年後の後輩達にこの時代をさして同じ事を言われていたらなんだか癪に障りませんか?

無論、この価値観を否定しているわけではありません、個人が選択したのではなく、それが社会の刷り込みとしてその人の価値観となってしまっているのであればそんな悲しいことはあってはならない、という話でした。
私は私の人生を、あなたはあなたの人生をENJOYした方が私は良いと思います。雰囲気なんかに決定させないでください。

ということでこのステレオタイプ社会に面をつきあわせてタイマン張って生きていくという斜に構えたような強気な記事になってしまいました。
おこがましいけど「夢」なので。「夢」くらいおこがましいことを言っていたいですね。