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毎日が、あなたの誕生日のように

「あたかも今日が、相手の誕生日であるかのように」
これはジョン・キムさんの著書の一節で、わたしの好きな言葉です。

わたしたちにとって誕生日は、年に一度の特別な日。だけど本当は、毎日が誕生日と同じぐらい特別である。今日、いまここにいられること、誰かと時間を過ごせることは、当たり前ではない。

わたしはいつも人と会うときは、心のどこかで「今日が最後になるかもしれない」と小さな覚悟をしています。それは年齢に関わらず、いつどこで何があるかわからないし、それにお互いが「また会いたいな」という気持ちで行動に移さなければ、実現しないことだからです。
今日あなたに会えるのが最後でも、後悔しないように、その時間を一分一秒大切に過ごしたい。忘れないように心に刻みたいと、いつも意識しています。

人生で限られた時間、時間がいのちであるならば、誰かが自分のために使ってくれる時間は、相手のいのちそのものです。
相手が変わらず存在してくれること、同じ景色を見て笑い合えること。それだけで心から尊い気持ちになり、相手の誕生日を祝うように、その存在と時間に感謝したいと思うのです。

花が美しいのは、その刹那的な生命力と無垢な存在感に、わたしたちは惹かれるのだと思います。
満開の花も数日後には散りゆくことを、わたしたちは知っているからこそ、いま目の前で咲き誇る花の美しさ、いのちの輝きを一心に感じる。そして花自身は、その美しさを意識するわけでも、散りゆく運命を悲観するわけでもなく、ただこの瞬間に花開かせることに懸命であり、それこそが花が美しい理由だと感じます。

今日も明日も、毎日があなたの誕生日のように。

それはもちろん、自分自身にも言えることです。今日が自分の誕生日であるかのように、自分を大切にすること、日々を大切に生きることを意識するだけで、小さなよろこびが輝きを増し、世界がもっと美しく映るような気がします。

あたかも、その日が相手の誕生日であり、かけがえのない唯一無二の存在として、丸ごと包み込むような愛情溢れる眼差しや言葉で、相手と接していくことを心がけてみてはどうでしょうか。

読んでくださってありがとうございました。

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