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100歳の誕生日

  いつからだろう、お願いごとが思い浮かばなくなったのは。しゃらしゃらと笹の葉が風になびく音と、お願いごとが風に舞う音がきこえる。短冊の数だけ人の煩悩が笹にのしかかり、この細い腕でよくもまあ耐えているなと感心する。織姫と彦星のように「大切な人に会いたい」など(書いたかどうかはわからないが)心の温かくなるものを書きたいと、短冊に書くためのお願いごとを考えた。

  幼い頃は、もっと素直に迷いなくお願いごとを書いた。お花屋さんになりたい。ケーキ屋さんになりたい。人のお願いごとには、これまで生きてきた世界が凝縮される。コンテクストと言ってしまえば、それまで。もうここ何年かお願いごとを書けなくなったのは、年を経るごとに選択肢が増えて、と同時に時代が変わり、テクノロジーが進化し、未来が変わってしまうことを知ったからかもしれない。そんな変わり続ける毎日で、変わらずに愛され続けることは凄く難しい。
 

 7月7日の七夕に、100歳の誕生日を迎えたカルピス。私の青春ど真ん中にも、カルピスはいた。真夏の暑いグラウンドで、運動会の練習を終えた後、冷たいカルピスをよく飲んだ。同じものを顔を向き合わせて飲んでいたあの時間は、いつまでもきらきらしていて懐かしい。あの頃は、会うことを、手の触れられる距離でことばを伝え合うことを大事にしていた。だから、いつまで経っても美しくて、愛せる思い出なのかもしれない。気づけば、親指で完結する世の中になっている。大切な人に、私の声でことばで、顔を向き合わせて伝えているのだろうか。少し自信がなくなった。

書き上げた短冊を目の前にして、3年前の七夕に書いたお願いごとを思い出した。

大切な人が幸せでいられますように。



  見える人の数が増えて、幸せになってほしい人が増えた。手の届く距離にいる人が、少し増えた。大切な人が増えて、みんなになった。手を繋いで優しさと温かさを交換こする人ができた。それだけで、もしかしたら幸せなのかもしれない。その誰かに、大切な人に、心の真ん中にある想いを言葉にして伝えられたら、もっと幸せなのかも。そんな七夕の日は素敵だと思った。

だいすきは、伝えなきゃ。

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