僕は吸血鬼になれない

 僕の一族は代々吸血鬼だった。

 吸血鬼、とは名前の通り血を吸って生きている。ニンニクが嫌いで十字架も嫌い。夜が好きで太陽が嫌い。それが吸血鬼の一般的な属性だと思う。

 けれど僕は普通に学校に行くことが出来る。朝起きて、普通に暮らすことが出来る。十字架やニンニクには時折嫌悪感を抱くこともあるけれど、乗り切れないことはない。しいて言うなら毎朝トマトジュースを飲む程度かな。

 だから、僕はどちらかといえば吸血鬼じゃない。先祖に吸血鬼を持つ、ただの人間。

 一応言っておくけれどどこかのハードカバー本のように無駄に生命力が高いわけでもない。むしろそんな特殊能力があるのならさっさと寄越してくれと僕は切に願う。

 この街には吸血鬼の伝説がある。

 地水市という街には高台がある。その高台には鬱蒼と生い茂った森が広がっており、その中には洋館がある。その洋館にはかつて吸血鬼が住み着いており、この街を救ったともいわれている。もともと地水市の『地水』は『血吸い』からきているらしいし。

「よう、おはよう!」

 そう言って僕の肩を叩いたのはクラスメイトの日向だった。明朗な性格の彼女は常に笑顔だ。僕に声をかけるときももちろん笑顔の彼女は男女問わず愛されている。彼女にとどくラブレターが男女問わず毎日下駄箱に詰まっていると聞くから、相当愛されているのだろう。まあ、僕にとっては別段気にすることではないのだけれど。

「どうした、そんな暗い顔をして。暗い月曜日でも聞いたかい?」

「それを言うなら暗い日曜日じゃないですか? そもそもそれを聞いていたらとっくに自殺していますよ、たぶん」

「ああ、そうだったか。日曜日だったか。……まあ、いい。そんなことより考え直してくれたかい?」

「考え直して……ああ、部活動のことだったか?」

「そう。吸血鬼を探す部活動。探偵部として、これは我々の責務だよ。君は頭がいいからね、ぜひともメンバーに入れておきたいわけだ!」

 日向はそう言って笑みを浮かべる。ここ数日日向は僕に対して探偵部に入ってほしいと言い続けてきている。僕は普通に考えれば入っても別に構わないと思っている。

 問題は、彼女の目的だ。

 ――今は地水市に居ない、絶滅してしまった、吸血鬼を探すこと。

 吸血鬼を探すこと。その目的が僕にとって探偵部に入る障害となっている。だって目の前に居る僕が吸血鬼の末裔なのだから。吸血鬼の力は残っていないから、ほんとうに吸血鬼かと言われると危ういところだけれど。

「吸血鬼ってほんとうにいるのかい? 僕は見たことがないけれど」

 吸血鬼の末裔たる僕が言うのは一番のブーメランになるけれど――まあそれは言わない約束だ。言ってしまったらこのやり取りがすべて無駄になる。

「見たことがないけれど伝承はある。だから私たちは探しに行くのよ。ほんとうにこの街に吸血鬼はいるのか、ということについて」

「吸血鬼を見つけて、どうするつもりなんだ? 吸血鬼ってやっぱり危険なんじゃないか?」

「何を言っているのよ。この街は地水市よ。かつて吸血鬼が住んでいたからそう呼ばれている。あの高台の洋館……吸血鬼の館には伝説が残っているといわれているからね。まずはそこを探索したいところだけれど。まずは体験入部からでもいいよ? 本入部はそのあと考えていても構わない」

 体験入部、そう来たか。

 けれど僕はやはり入ろうとは思わない。

 それは単純に、部活動に入りたくないから――と思う僕の心があるからかもしれない。

 そして最終的に結論が出ないまま校門をくぐる僕と日向。

 僕と日向は同じクラスだから、結局今日もその話題について逃げることはできないわけなのだが、授業中は少なくとも声をかけてこないので勧誘の頻度は下がる。一先ず解放された気分といえるだろう。まあ、もう二週間もそれが続けばもはや日常茶飯事と言えるので致し方ないことだ。無視することは良心の呵責を感じるので、無視だけはしない。話すことは話すが肝心の内容は流す。これが一番だと、二週間という時間をかけて編み出した方法だ。

 教室に辿り着き、ようやく僕と日向は分かれる。ここまで来てやっと僕の心が安らぐ時間がやってくるというわけだ。

「よう、シュウ。お前、今日も日向サンと一緒に来たのか?」

 席に座ると前に座っていた叶木が声をかけてきた。いつものことなので流すように僕は答える。

「いいや、そんなことはないよ。今日も部活に入れとしつこく説いていただけだ。まったく、キリスト教を布教しに来た戦国時代の宣教師みたいだ」

「はは、笑える。そうかもしれないな。……それにしても、どうして日向はお前のことをずっと入部させようとしているのだろうな? 理由だってあるんじゃないか?」

「理由……ねえ。いや、あまり聞いたことはないな。しいて言うなら、頭がいいから、としか言っていなかった気がする」

「頭がいい……か。確かにお前は頭がいいよな。別におべっかでも何でも無くてよ。ほんと、入部すればいいのに。別に勉強する時間が確保できないから、ってわけでもないのだろう?」

「まあ、そうだけれどさ……。でも、時間はないというのは事実かな。部活に入る意義が見つからない、と言ってもいいかもしれない」

 ほんとうはもっと理由があるのだけれど。

 叶木には、吸血鬼の末裔だから、って理由を言ってもいいかもしれない。けれど、いつどこから情報が漏れだすか解らない。僕が叶木に言ったことによって、日向に知れ渡ってしまえばどうして探偵部に入部したがらないか、その理由が判明するはずだ。

 それからどうなってしまうのか、できることならば考えたくない。考える必要もない。

「……ま、お前が入りたくないのなら、それも尊重すべきかと思うけれど。だって、入りたくないのだろ。だったら、入りたくないってはっきり言えばいいじゃないか。実際問題、そう言っているのか?」

「言っているよ、何度も、何度も」

「ならいいけどさ。……それにしても、ほんとうにしつこいよなあ。探偵部って、それほど部員に困っていたかな」

「部員は困っていないと思う。だって、仮入部からでもいいとは言っていたし」

 正確には体験入部と言う触れ込みだったが、別にどちらを言っても構わないだろう。意味的には間違っていないのだし。

「だったら仮入部すればいいじゃないか。そして、そこでそりが合わないならば、そこで改めて言えばいい。そして合うようだったら引き続き入部していけばいい。それでいいじゃないか。まずは一回、ってやつだ。お試しプランってのがあるのは、そういう自分が合うかどうかを試すためにあるわけだし」

「……うーん、確かにな……」

 そういわれてみればそうかもしれない。一度だけ、一回だけ、日向のワガママに付き合えば彼女も諦めてくれるかもしれない。彼女も納得してくれるかもしれない。

 そう思った僕は、叶木の言葉に頷いて、そのまま授業の準備をし始めた。時計の針がもうすぐ九時を指していたからだ。ええと、今日の一時間目は国語だったかな。

 ……そして、昼休み。僕は体験入部の件について了承した。それを聞いたとき日向はとても喜んでいたけれど僕にとってそれはどうでもよかった。彼女のワガママを一度だけ聞いてあげるために、面倒な約束を了承した。ただそうとしか思っていなかったからだ。

 もちろん、その時は僕と日向に襲い掛かるある出来事について、何も知らなかったのだけれど。

 九月十九日。

 シルバーウィーク初日の今日、僕は地水駅の前に立っていた。とはいえ地水駅は地下鉄の駅なので目の前にあるのは地下へ降りる階段と雨除けの屋根のみとなっている。出入り口だけを見ればとても質素になっているけれどその周りにはビルや高層マンション、食べ物屋にオフィスビルが立ち並んでいるので、ここが一番の都会となっている。

「……遅いな、日向のヤツ」

 僕は待ち合わせ時間の午前十一時の十分前、即ち十時五十分からここで待機していることになるのだが、現在時刻十一時二十七分になってもまだ日向の姿が現れないところを見ると、僕はここで三十分以上待たされているということになる。

「やあ、待たせてしまったね。遅くなってしまって失礼。……ところでもうすぐ昼時だし、食事をしながら今回のことについて話さないかい? もう一人のメンバーもそこで待機していることだし」

「もう一人? 探偵部は二人しかいないのか?」

「そうなのよね……。恥ずかしいことだけれど、探偵ってあんまり賛同してくれないのよ。……まあ、話は長くなるから、一先ず食事にしよう。美味いカレーうどん屋を知っているんだ。そこで食事と洒落込もうじゃないか」

 確かに、言われてみればお腹が空いていた。ずっと待っていたから全然気づかなかったけれど、朝食を食べてからもう四時間から五時間は経過していることだし、そろそろ食事を食べてもいい塩梅だ。

「それじゃ、行こうじゃないか。すぐそばなんだ。歩いて五分くらいかな。そこで彼と落ち合うことになっている。クラスメイトの、冨坂クンとはね」

 そう言って日向は歩き出す。

 僕はそれを見て小さく溜息を吐いたが――、結局空腹には勝てず、彼女についていくのだった。

 ◇◇◇

 そのカレーうどん屋は夜には焼肉屋をやっているらしい。ランチタイムだけカレーうどんを販売しており、ボリュームがあってなおかつリーズナブルなのだという。僕は聞いたことがなかったけれど、このあたりでは有名らしい。

 中に入るとカウンター席があったがカウンター席は疎らに埋まっていた。気さくなおばさんが日向の前にやってきて、問いかける。

「いらっしゃい、今カウンターは埋まっているから、奥のテーブル席でいいかな?」

「奥に、人を待たせているはずなんです」

「ああ、そうかい! だったら、案内するよ。奥のテーブルにはまだ、一人しかいないからね」

「ああ、解りました。ありがとうございます」

 そして僕と日向は奥のテーブル席へと向かった。

 奥のテーブル席には、物悲しげに時計を見つめる男が座っていた。

「お待たせ、でいいかな? 冨坂クン」

 日向の声を聴いて冨坂と呼ばれた男は時計をポケットに仕舞った。

「ああ、長かったね。だいぶ待ったよ。とはいえこのお店が開いたのは十一時半だから、実際は数分くらいしか待っていないことになるけれどね」

「まあ、待っていないのならばいいわ。食事にしましょう。すいません、注文いいですか」

 早々に腰かけて、水と手ぬぐいを置いたおばさんに声をかける日向。おばさんは元気よく返事をして、紙を取り出した。

「ええと、メンチカツで、ごはんで、麺は冷たいやつで。あなたも同じでいいわよね?」

「え、あ、……ああ。いいよ」

「じゃあ、メンチ二つ。冨坂クンは?」

「僕は揚げ餅で。あとは一緒で構わないよ」

「じゃあ揚げ餅、冷たい麺、ごはんで」

「はい、了解です。少々お待ちくださいね」

 注文を終えて、おばさんは厨房へ歩いて行った。

 それを見送った日向は僕と冨坂のほうを向いて話を始めた。

「それじゃ、話を始めるね。今日の活動について。何をするか、ということを。今日は吸血鬼伝説を調べるために、図書館に向かうわ。市の図書館、あなたも知っているでしょう? そこに向かって情報を収集する。そして整理して……改めて私たちはあの吸血鬼の館へと向かう」

「改めて、ってことは……前も行ったことがあるということか?」

 僕の言葉に日向は頷いた。

「前も吸血鬼の館に行ったのだけれどね、ただの廃屋に過ぎなかったよ。何もなかった。だが神秘的な力があるようにも見えた。さすがはかつて地水市に住んでいた力ある一族、というわけだ。まあ、何かはあるだろうと思っているのだが……噂によると、力の解放には夜を示す何かが必要らしい。それを調べるために今から図書館に向かうというわけだが」

「図書館にそんなことが記述されている本があるのか?」

「あるんだろう。あの図書館は古くからの本がたくさん置かれている。だからまずは確認してみるしかない。そうしか方法がないと言ってもいい」

 日向のその言葉と同時に、おばさんがカレーうどんを持ってきた。お盆に置かれていたカレーうどんとごはん、それに皿にのせられていたキャベツとメンチカツ。

 正直、最高の組み合わせ、だと思う。だってカレーうどんに揚げ物のメンチカツ、それにライスまでついてきているのだから。それだけを見て喜ばない人間がいるわけがない。

「美味しそうでしょう? このお店、このあたりの会社で働いている兄さんから教えてもらってね。まあ、その兄さんも先輩から聞いたらしいのだけれど。なんでもこのあたりのサラリーマンには有名らしいよ。まあ、これほど美味しいカレーうどんがリーズナブルに提供されるのならば、誰だって通うだろうけれど、ね」

 そう言って日向は少し遅れてやってきた同じメニューと対面し、手を合わせ、頭を下げる。いわゆる『いただきます』の合図である。そういえば僕もしておかないといけないな。たとえ忙しくても感謝の気持ちは忘れてはならない。まあ、今は特に忙しいことはないけれど。

 割り箸を奇麗に割り、カレーの海からうどんを数本救い出す。そしてそのまま息を吹きかけて口の中へと入れていく。日向のそれを見ていると、どうも美味そうに見えてきたので、僕もそれに従った。

 口の中にいれた途端、すぐに口の中にスパイスの香りが広がった。次いで、辛さが広がり、最後には芳醇なうまみが広がった。何とも言えないコクと、香り。そして熱すぎない程度の麺……成る程、最初に日向が「冷たい麺」と言っていたのはこれが理由だったか。

「美味しいでしょう? ここのカレーうどん、けっこうオススメなのよ」

 そう言って日向はメンチカツを頬張る。

 僕もそれを見て、つられる形でメンチカツに箸を伸ばした。

 メンチカツに箸を入れると、サクサクという衣の音が響き渡る。それが聞こえるということはこのメンチカツが揚げたてということを意味しており、即ちメンチカツの中でも一番おいしい時間を指している、ということになる。

 一口大に切り分けたメンチカツを口の中に入れる。すぐに肉汁と肉本来の味――どうやら肉の中にスパイスを混ぜ込んでいるらしい――、さらには塩コショウの味が口の中で混ざり合った。僕としては、ソースをかけるかかけないか悩んだのだが、隣に座っている日向がかけていないところを見てかけるのをやめた。ほんとうはかけたかったんだ。ほんとうは。そう言い訳がましく言っておく。

 カレーうどんを食べ終え、水を飲み干す日向。そのタイミングで僕もちょうど水を飲み干したところだった。

 ちなみに日向が食べ終わる前よりもはやく、冨坂は完食していた。麺が冷たくなっているとはいえ、カレールー自体がそれなりに熱くなっているというのに。もしかして猫舌ではないのだろうか? まあ、そういわれてみれば僕だって猫舌の部類には、どちらかといえば入らないほうになるのだろうけれど。

「さて。それじゃ、向かうわよ。急いでこの遅刻した三十分を取り戻さないと!」

 主に遅刻したのは、その原因を作ったのは日向なのだが、それは敢えて言わなかった。もちろん遅刻したから私が払う的なそんなペナルティめいたこともなく、僕はメンチカツカレーうどん八百二十円をちょうど支払って外に出た。

 地水駅から地下鉄桜線に乗り一駅、垂下駅の出入り口に着いたとき、時刻は午後一時を回ったあたりだった。

 地水市の図書館は垂下駅の目の前にある、石造りの古い建造物だった。あまりに古くからあるため、文化遺産に任命されるほどだという。

「さあ、探すわよ!」

 そう張り切っている日向が先陣を切って、図書館の中へと入っていった。できることならば、図書館の時くらいああいうテンションは抑えてほしいものだが、きっと彼女にそれを言っても無駄なのだろう。というよりも、守ってくれるとは思えない。元気なのはいいことなのかもしれないが元気すぎるのもよろしくない。それはどこかの人が言っていたような気がするが、日向のことを見ると、成る程、確かにそうかもしれない。

 図書館の一階、歴史書などが置かれているコーナーにやってきた僕たちはまずリーダーである日向の指示を仰ぐこととなった。別に自分ひとりで動けないことはないが、あくまでも探偵部のリーダーは日向だそうなので、日向の指示に従っておいたほうが安全という結論に至ったためだ。ちなみにもう一人の、探偵部唯一の正規部員である冨坂は「僕も普段そういう手法をとっていますよ」と笑顔で答えていた。……成る程、鉄板ネタだったか。

「それじゃこの棚から右をお願いするわね!」

 そう言って日向が指さしたのは、その棚からずっと右に伸びる棚まで、およそ五列分だった。そこにハードカバーの蔵書がぎゅうぎゅうに詰められているだけでも眩暈がするというのに、

「いい? 事細かに見るのよ。そして、吸血鬼に関する記述を見つけたらその記述の要点をまとめてメモに記すこと。いいわね?」

 そんな余計な条件までつけられたものだから、当然ながら普通に本を読んでその部分を探すだけでは不可能だ。それの数倍の時間がかかると言っても過言ではない。

 それに地水市は古くから吸血鬼の伝承が絶えない街だ。歴史書に吸血鬼の伝承が書かれていないことなんてほとんどありえない。『地水市の歴史書といえば吸血鬼』と言われるくらい、歴史書には吸血鬼の記述が絶えない。

それの要点をメモしてまとめておけ? そんなこと、当然ながら二日や三日で終わるとは思えない。

 まさかシルバーウィークすべてをこれで潰すつもりなのだろうか? 僕は何か嫌な予感がしたがそこでは日向に質問することはできなかった。したくなかった、と言えば間違いではないかもしれないが、いずれにせよ、したくなかったのが正解だ。

 だってそんなこと、できるはずがない。

「それじゃ、頼むわね」

 そう言って日向は別の棚へと向かっていった。彼女は彼女でやるべきことがあるのだろう。……たぶん、冨坂も同量の内容をこなせと命令されているはずだ。僕だけじゃないはず。そしておそらく、日向自身にも。

「やるしかない、か……」

 決心をつけるしか、これを乗り切る方法がない。そう思った僕は一番上の列の左端にある蔵書を手に取った。

 ◇◇◇

 初日はそれから図書館の閉館時間である午後五時まで居たが、吸血鬼の記述をメモしただけで、肝心の館についてはまったくたどり着けなかった。

「そんな一日では辿り着けるものではない、とは解っていたけれどまさかここまで大変とは思わなかったわ……。というわけで、明日も午前十時にここ集合! いいわね!」

 そう結論付けて、日向は垂下駅の出入り口へと通じる階段を降りていった。

 僕は垂下駅が最寄り駅なので電車に乗る必要はない。即ちここから歩けば家まで辿り着く、ということだ。便利ではあるが、このままではシルバーウィークすべてを拘束されることになると思うと、気が重い。こんなことなら普通に拒否し続ければよかったと、僕はそう思っていた。

「あれ、あなたもここが最寄り駅なのですか」

 残されたのは僕だけじゃないことを、冨坂の言葉を聞いて思い出した。

 僕の隣に立っていた冨坂は僕がそちらを振り向くとニッコリと微笑んでいた。正直そっちの気は無いので、男の微笑みを見ても何の感情も抱かない、というのが正直な感想だった。

 銀色に輝く懐中時計を見つめながら、冨坂は言った。

 なんというか、不思議な時計だ。中には三日月が描かれている……ように見えたのだが、よく見ると金属の図形を組み合わせて月の満ち欠けを再現できるようにしているらしい。

 なんだか見ていてとても吸い込まれるような……とても不思議な感じだった。

「……どうしました?」

 冨坂の言葉を聞いて、僕は我に返った。そうだった、僕は冨坂と一緒に帰ろう、という話になったのだ。まあ、まだ時間は遅いわけでもないし、ゆっくりと帰宅することにしよう。別に門限とかあるわけではないし。門限があると非常に厄介なのかもしれないけれど。

 取り敢えずここで長々と時間を潰す必要も無いので、僕はさっさと帰ることにする。僕が無言で帰ろうとすると冨坂も勝手についてきた。まあ、一緒に帰ろうといったから仕方ないことなのかもしれないけれど。でもできることなら一人で帰りたかった。いつボロが出るか、解ったものではない。

「さて、帰るとするか……」

 腹も減ったことだし、さっさと家に帰ることにしよう。あとは明日以降、また考えればいいだけの話なのだから。

 ◇◇◇

 家に帰ると妹が僕に問いかけてきた。

「お兄ちゃん、あの人はまだ吸血鬼のことを調べているの?」

 僕の腰より少し高い位置くらいの妹は、小学二年生だ。もちろん彼女も吸血鬼の末裔であることには変わりないのだが、僕と同じように少々敏感すぎるのかもしれない。

 取り敢えず僕は妹の話に答えてやることにした。そうでないと妹の様子は不機嫌になる一方だからだ。実際問題、それで怒られてしまうのは長男であり長兄である僕だからだ。仮に妹が粗相を起こしたとしても、怒られてしまうのは兄弟の法則というとてもシンプルかつ合理的な方法に従って、僕が怒られる羽目になってしまうからだ。

「……そうだよ、残念ながら。まだ探しているようだ。このままだと結論に辿り着いてしまうかもしれない。そうなったらどうなるだろう? もし僕が吸血鬼の末裔だと知られたら……」

「嫌なの?」

「むしろ、マリ。お前はいいのか?」

 僕は妹――マリに訊ねる。

「私はいいよ、別に。まあ、特に話すこともないと思っているけれど。実際、話題に上がることは少ないし」

 スカートを翻しながら、マリは答えた。

 そうなのだろうか。

 そうなのかもしれない。

 吸血鬼なんて、今の時代必要とされていないのは確実だ。

 科学文明が発達してしまった今、『怪異』あるいは『悪魔』の一つと言われる吸血鬼が活躍するようなことなんてない。

 だから、僕もそれについて考える必要はないのかもしれない。

 しいて言うなら、ただのエゴ。

 しいて言うなら、まさにエゴ。

 僕の自己的考えが、この袋小路に自らを追い込んでいるのであれば、それはひどいエゴイズムだと思う。むしろこのままだと何も進歩しないし何も生み出せない。

 そう解っているのなら。

 そう知っているのなら。

 僕はどうして吸血鬼に拘っているのだろう。

 きっと、それは。

 僕が吸血鬼の末裔だからかもしれない。吸血鬼の末裔ということを周りは知らないから、周りは知る由もないから、だから、僕は、周りがその真実を知ってしまって状況が崩壊してしまうのを恐れているのかもしれない。

 まず、少なくとも日常は一変してしまうことだろう。僕は一気に興味の対象にさせられる。当然だ、今まで吸血鬼は姿を見せなかった。その末裔が姿を現したというのなら、興味を示さない人間がいないわけがない。

 そうして僕を見る目が変わっていく。

 それは避けたかった。それは嫌だった。

 もっと普通に、普通に接してほしかった。

 もっというなら、吸血鬼の末裔なんてステイタス、無くなってしまえばいいのに、と思った。

 きっとマリみたいに何も考えなければいいのかもしれない。何も考えなければ、きっと、苦しむ必要はないのだろう。

 けれど、僕は違う。

 僕と彼女は、違う。

 それはきっと永遠に変わらないことだろうし、僕と彼女を位置づける重要なポイントになると思うのだろうけれど、少なくともそれは彼女には理解できないことなのかもしれない。

「ご飯よー」

 階下から声が聞こえる。母さんの声だ。

 そういえばもうそんな時間だったか。僕が帰ったのが午後五時半を回ったあたりだったからそれから一時間あまり経過したことになる。妹は一目散に階段を降りていった。僕も急いで降りて行こうかな、そう思った。

 話は変わるが妹の部屋には姿見がある。なぜ妹の部屋の姿見の話をするのかと言えば、それは妹の部屋の扉が開放されていたから。本当なら僕は本人に言うところだけれど、本人が今居ないのだから致し方ない。

「まったく、マリは相変わらずそそっかしいんだから。まあ、小学二年生だしそれは仕方ないか……」

 そう独りごちり、僕は妹の部屋の扉を閉めようとして――ふと視界に姿見が入った。

 そこで僕は目の当たりにしてしまった。

 普通ならばありえない。普通であればありえないことに。

「……どういうことだよ?」

 思わず妹の部屋だということを忘れて姿見に近づいてしまう。それほどに、ありえないことだった。

 そこに映し出されていたのは妹の部屋。そして扉は開放してあるから、僕の部屋の扉まで映し出されている。

 でも、それならオカシイ。

 だって姿見の目の前には、僕が立っているのだから。

 僕の姿は、透けていた。

 姿見に映し出されていた僕の姿は、半透明になっていた。

 思わず僕は自分の手を見た。うん、普通に実体化されている。壁に触れてみてもそれは変わらない。

 ならばいったいどうして?

 吸血鬼は鏡には映らない。

 そんな伝承を聞いたことはあるだろうか。

 けれど、僕はそれの対象外だ。だって今まで普通に鏡に姿は映っていた。もちろん半透明とかぼやけた姿とかじゃなくて、きちんと普通の人間と同じように。

 ならば、どうして?

 僕は――吸血鬼になろうとしているのか?

 僕は再び階下から聞こえる母さんの声にも耳を貸さず、ただ鏡の前で現実を受け入れられずにいた。

 受け入れられるはずが、無かった。

 次の日。

 また僕は探偵部の面々とともに吸血鬼の伝承探しへと向かった。

 僕は昨日の出来事が気になってしょうがないのだけれど、一先ず胸に仕舞っておくこととした。一応親には話しておいたのだけれど、父さんいわく「なぜいまさら吸血鬼の力が開放されようとしているのかはわからない。私たちはもう人間そのものとなっているのだから」と言っていた。

 結局のところ、何も解らない。

 結局のところ、誰も解らない。

 だから、僕は一人で勝手に追加課題を自らに課した。

 それは、普通の人間に戻る方法。

 吸血鬼が力を取り戻す方法があるというのなら、吸血鬼の力を封じる方法もあるはずだ。

 もちろん、死なないで生きていく方法だが。

「やあ、頑張っているようだねえ」

 そう言ってやってきたのは日向だった。おい、お前がやろうと言い出したんだろうが。いったいどうしてお前はここに居るんだ? 休憩としても、わざわざ休憩している姿を見せつけに来たのか? まったく、性格の悪さだけはピカイチと言われても何も言い返せないぞ。

「いやいやそういうわけじゃないよ、進捗をちょっと確認しておきたくてね。うんうん……成る程、結構進んでいるようだね。まあ、私ほどじゃないけれど。冨坂クンが一番遅れているようだから、もし終わったら彼のほうも手伝っておくれよ。私はこの休憩が終わったら彼のほうを手伝うつもりだ。何かあったらレストスペースに居るからそこで話をしようじゃないか。それじゃ」

 言いたいことだけ言って立ち去っていく日向。まったく、あいつはいったい何がしたかったんだ?

「頑張っていますね、シュウさん」

 再び声をかけられたので今度は誰かと思っていたが――案の定、その相手は冨坂だった。というかこんなところで油を売っていていいのか? と僕は思ったが別に彼の判断によるものだから特に問題はないのだろう。そう判断しているのだから、僕が何か言う必要も無い。そういうものだ。

「まあ、そりゃあな。あいつから頼まれたことだし、一応はこなしていかないと」

「仲がいいのですね、二人とも」

 そう言って微笑む冨坂。

「茶化すためだけに来たのなら、さっさと戻れ。まだ自分のノルマも終わっていない、と日向から聞いたぞ。あいつの面倒くささは異常だからな。さっさと終わらせてしまったほうが吉だぞ」

「へえ、詳しいのですね?」

「……幼馴染に似たようなヤツがいたんだよ、まあ、そいつはもう地水市から離れてしまったけれど。あいつもあいつで面倒な相手だった。だから、そういう考えで臨んでいったわけだ」

「成る程……。そういう相手の扱いには馴れている、と」

「まあ、そういうことになるな。一応言っておくが、日向には内緒にしておけよ。怒られる人数が一人増えちまうからな。オーケイ?」

「まあ、そうでしょうね」

 何がそうでしょうね、だ。流すんじゃないぞ、話を。僕はあくまでもアドバイスをしているだけなのだ。まあ、そのアドバイスをどう生かすかは、冨坂自身だが。いずれにせよ最後はアドバイスではなく強制になるがね。これを実際に行動してもらわないと、僕が怒られかねない。面倒なことはなるべく避けていきたいし、冨坂にはこれだけは守ってもらわねばならない。

 そう思いつつ僕は再び蔵書とにらめっこする作業に戻る。冨坂は僕の隣に懐中時計をしきりに確認する作業へと……それは果たして作業なのか? まあ、きっと作業なのだろう。この状況を日向に見られたら、きっと日向は激昂することだろう。それは僕の知ったことではない。冨坂が自分でやっていることなのだから。日向は怒るだけ怒ればいいだけの話。僕は忠告したからな。これ以上何を言われようとも、僕は忠告したからと押し通していく。

「ところで、シュウさん。ほんとうに吸血鬼っているのでしょうかね?」

 唐突に。

 冨坂はそう言った。

「どうした、急に。まるでこのことを根幹から覆すような発言をして」

「いや、だってそうとは思えませんか? 実際問題、吸血鬼の伝承はありますが、ある時を最後に吸血鬼の話は消滅しています。これって普通に考えれば吸血鬼という存在なんてどこにもいない――そう考えるのが普通ではありませんか?」

 そう考えるのも道理だ。

 一応僕は吸血鬼の末裔ではあるけれど、その力はない。だから人間と同じように生きているし、人間と同じように活動できる。

 でも冨坂に言わせれば、それは間違っているということなのだろうか。

 まあ、間違っていると思うのも致し方ないことなのかもしれない。実際問題、吸血鬼という存在はこの街に実しやかに伝承として語られているだけに過ぎない。いずれ冨坂のような人間が増えていけば、この街の本来の由来を知っている人間も少なくなっていくだろうしこの街に吸血鬼の伝承があったことも記憶の中から薄れていくことだろう。

 別にそれについて気にしていないと言えば間違いになるが、とはいえ、現状吸血鬼でも何でも無い、ただの人間である僕がそれについて熱が入って言及すると怪しまれるので言わないでおいた。そういうものだ、人間というのは。自分の益になることしか語らない。他人の益になり自分の益にならないことを語るなんて、余程のお人よしじゃないと無理なことだ。

「吸血鬼、ねえ……。まあ、本当にいるかどうか解らないよな。やっぱり実際に目で見ないと、解らない。この目に吸血鬼という存在が見えてくれば、この視界に吸血鬼が入ってくれば、さすがに信じるしかないけれど」

 吸血鬼の末裔たる僕がその発言をするのは、とてもシニカルなことになるのだけれど、それについては何も言いようがない。きっととある戯言遣いだって戯言とは言えないだろう。そういうものだ。人生は面白きことを面白く、とは言ったものだけれどこれはちょっと面白いとは言えない。皮肉な笑い、とでも言えばいいのだろうか。

 まあ、僕が吸血鬼のことを言及することについては別に問題ない。僕という存在が、僕という存在の本当の意味に、誰も気づかなければいいだけの話。僕が永遠に欺き続ければいいだけの話。

 そこに良心の呵責はない。

 そこに詐欺の認識はない。

 そこに時宜の常識はない。

「……なに、二人で話をしているのよ」

 そこで登場したのは、おなじみ日向だった。

 改めて言おう。

 そこに情状酌量の余地は、無い。

 結局その日のうちに蔵書の検索は終了した。あとは蔵書から手書きでコピーした大量の紙片から情報を整理して一つのレポートにする。それを基に吸血鬼の館へと向かう寸法らしい。それは別に構わないが、吸血鬼の館と聞くと何だか変な違和感を覚える。そこには吸血鬼がもう住んでいないわけであって、それを吸血鬼があたかもいまだに住んでいるように扱うのはどうかと思う。まあ、別に気にしないのかもしれないが。

 日向はウキウキ気分で僕と冨坂に言った。

「明日も今日と同じ時間ね。それじゃ!」

 そう言って鼻歌を歌いながら帰っていった日向。相変わらず自分勝手である。

 それにしてもこれでシルバーウィークが三日潰れたことが確定になる。別にうちの家族がシルバーウィークに出かける予定があったかと言われると、別にあるわけではないが、とはいえ休みくらいゆっくりしたいものである。どうして休日にこんなことをしなければならないのか。ほんとうにあいつは自分勝手でワガママすぎる。やはり体験入部の件は今からでも遅くない。明日朝イチで言うべきだろうか、もう体験入部はお断りだ、と。

「あ、そうだ。今日も一緒に帰りましょうよ」

 そう言ったのはもちろん冨坂だった。僕はそれを聞いて頷いた。頷くことしかできなかった。頷くことしか、しなかった。

 帰り道。会話が弾むこともなく、僕と冨坂は歩いていた。

「吸血鬼。今日の昼ではあんなことを言いましたが、僕は実在していると思っているのですよ」

 唐突に、そんなことを言い出した。

 何を言っているのだ、コイツは? とか思ったが話を流さず、一応最後まで聞くことにした。

「吸血鬼は崇高な存在です。だって、夜の覇王ですよ、吸血鬼は。人の生き血を吸うことはありますが、魔力を帯びた存在では最強と言っても過言ではありません。特にこの世界は魔力について詳しい人間は少なくありませんが、それであっても純粋な悪魔は少ない。居ないと言ってもいい。そんな悪魔を、崇高なものだと考えられないほうがおかしい。むしろ、なぜ批判するのか? なぜ非難するのか? そうは思いませんか」

 嫌な予感がしだしたので、僕は少しだけスピードを上げる。

 けれど、それに追いつくようにスピードを合わせる冨坂。

 気持ち悪いやつとは思っていたが、ここまで気持ち悪いとは思わなかったぞ!

「この街は吸血鬼の館がある。吸血鬼が住んでいたという伝承がある! 素晴らしい、素晴らしい街とは思いませんか? そして、僕の目の前に……吸血鬼の末裔が立っている」

 ぴくり、と僕はそれを聞いて立ち止まった。

 同時に冨坂も立ち止まり、ニコニコと僕のほうを見て笑っていた。

「……いつから気づいていた?」

「僕が持っている懐中時計ですよ。これ、実は『吸血鬼の力が封印されている時計』でしてね? 月の満ち欠けに応じて力の封印が変わる。そして今日は――」

 冨坂が空を指さす。

 空には、まんまるとした満月が浮かんでいた。

「――満月。一番魔力が高い日であり、この日は吸血鬼の力を呼び覚ますには、一番好機のある日なのですよ!!」

 そして僕の視界は、漆黒に染まった。

「行方不明になった?」

 彼の妹――名前はマリと言ったか、小学二年生なのにとても礼儀正しい子だ――から彼が行方不明になった旨の電話があったのは、私が帰宅して食事をして、シャワーを浴びたあとのことだった。

 ジャージ姿でバスタオルを頭にかぶせていた私だったが、それを聞いて思わずバスタオルを床に落としてしまった。

 マリの話は続く。

『そう。いつもなら夕ご飯の前には帰ってくるのだけれど、今日は連絡も無くて、それに遅いし……。だから、もしかしたら日向サンの家に寄っているんじゃないか、って』

「確かに今日は私と冨坂と一緒に行動していたが……だからといって私の家には寄っていないぞ。そもそも今日も市立図書館に一日こもりっきりで終わり次第解散したからな」

『そうですか……。ところで、冨坂サンの電話番号って知っていますか?』

「ん、まあ知っているよ。一応部員だからな」

『じゃあ、連絡してもらえませんか? 連絡網に載っていなくて』

「……何だと?」

 クラスメイトが全員載っているはずの連絡網に載っていない、だって?

 そんな馬鹿な、と思いながら私はスマートフォンのアドレス帳を開く。……スクロールしながら私は目を丸くする。

 ない。

 そこに、有るはずの、冨坂の連絡先がないのだ。

「……どういうことだ……!?」

『お兄ちゃんの携帯にも繋がらなくて……。ねえ、日向サン。一度、高台の館に行ってもらえないですか?』

「高台の館……吸血鬼の館、か? どうして?」

『なぜかは解らないけれど……うん、ちょっと嫌な予感がして。ほら、この街って吸血鬼の伝説があるでしょう?』

 そういわれてみればそうだ。

 だが、吸血鬼が人を攫うだろうか?

 ……いや、それよりも先に解決せねばならないことがある。冨坂についてだ。

 彼は、彼の連絡先が、急に消えたのはなぜだ?

 もしかして私たちは『彼の連絡先があると認識させられていただけ』なのではないか? 欺かれていただけなのではないか?

 そういう結論に導けることは、とても簡単なことだ。

 だったら、だとすれば。

 簡単に一つの結論に導くことが出来る。

 ――彼が行方不明になった一因に、冨坂が関わっている。

 そう考えたらいてもたってもいられなくなった。

 私は財布とスマートフォンをポケットに仕舞い込み、外へ飛び出した。まだ親は起きている時間だが私にあまり関心を抱いていないので別にこの辺りはどうでもいいだろう。

 自転車に乗り込み、ペダルを踏んだ。

 目的地は高台の上、吸血鬼の館だ。

 吸血鬼の館にやってきたとき、時刻は午後九時を回ったあたりだった。さすがにこの辺りまで来ると人通りが少ない。というかほぼゼロになる。理由は単純明快、館の周りにある鬱蒼と生い茂った森のせいだ。昼間でも日光を遮るため薄暗くなっているというのに、夜になればさらに暗闇になる。人が住んでいないから電信柱も設置されていないし、おかげで今、スマートフォンのカメラ機能を使って明かりを確保しているというわけなのだけれど。

 まあ急速充電器がまだ使えるようでよかったよ。ここで急速充電器のバッテリーが使えませんでした、だったら話にならないからね。

 鬱蒼と生い茂った森を抜け、洋館が姿を見せてきた。この洋館は古くからある。バロック建築というのかな、よく解らないから取り敢えず知っているワードだけ挙げておくことにしよう。あとで何か言われるかもしれない、って? 何を言い出すかと思えばという話になるかもしれないが、ここに居るのは私だけだ。よって、私の独り言なんて聞いている人はいるわけがない、ってこと。

 しいて言うなら、吸血鬼が聞いているってことになるのかもしれないけれどね。

 音が聞こえた。

 ギイ、と何かを開けるような音。

 その『何か』は扉かな。普通に考えればその発想に至るけれど、私は違う。

 きっと、それは――棺を開ける音じゃないか、って。

 瞬間、私の背後に何かが立っていた。

 マントをつけてタキシードを着ている……のかな? 影で何となくそれを感じることが出来る。あ、一応言っておくと館には蝋燭があって火が点いていた。それだけでも何となく『誰かいる』ってことの認識になる。

「あなたは……もしかして、」

 ――吸血鬼。

 ヴァンパイア、ドラキュラ。

 人の生き血を吸って生きると言われている、悪魔に分類される存在。

 それが今、私の背後に立っている。

 動けなかった。振り向けなかった。

 生きようという意志はあっても、逃げようという意志はあっても。

 そこから実際に動くことが出来なかった。身体が追い付かなかった。

 そしてゆっくりと近づいてくる吸血鬼。

 ああ、私はこのまま血を吸われるのだろう。

 ところで血を吸われた後の人間はどうなるのだろうか?

 伝承だと、確か吸血鬼になるんだったか。

 まあ、吸血鬼を追い求めていた人間が吸血鬼になる。悪くない話だ。まるで『木乃伊取りが木乃伊になる』を地で行く感じだ。いや、まんまそうなのだけれど。

 ……おや?

 いつまで経ってもやってこない。

 どうしてだろう?

 私は恐る恐る、後ろを振り返る。

 そこに立っていたのは、吸血鬼だった。タキシード姿でマスクを羽織っている。そして犬歯は血を吸いやすくするためか、尖っていてほかの歯より伸びている。

 だが、その顔は私も見たことのある人間だった。

「……君は」

 そう、彼だった。

 マリの兄の、彼だった。

 そして私はその姿を見て、すべての合点がうまくはまった。

 妹が言っていた『もしかしたら』はほんとにもしかしたら、だったかもしれない。

 だが、彼が吸血鬼かあるいはそれに関連する人間だったならば、妹のマリもそうであるはずだ。だから、吸血鬼に関連する場所に行ってしまった可能性がある――そう考えるのは自然だということだ。

 そして、私の家を第一に言ったのは、きっと私が吸血鬼について調べていることを家族に話したためだろう。自らの保身のためだったのかもしれない。

「……日向? な、なぜ……ここに?」

「……それはこっちのセリフだ、馬鹿者」

 そう言って私は彼をそっと抱きしめた。

 それくらいしか、できることがなかった。

 かける言葉も無かったからだ。

「どういうことだ」

 その声は震えていた。

 振り返ると、冨坂が廊下に立っていた。

 冨坂は何かの本と懐中時計を持っていた。

「どうして吸血鬼にならないんだ! 理論は間違っていないはず。考えは間違っていないはずだ!」

「うん、そうだろうね。確かに理論は間違っていなかったと思うよ」

 すっかりと冷静を取り戻した彼は、一歩冨坂に近づく。

 彼の話は続く。

「けれど、君は誤算をした。それは僕の思いだ。僕の感情。僕は、どういう気分で思っているか、知っているかい? 吸血鬼の末裔は吸血鬼の力を持たない、ただの人間だ」

「ああ、そうだ。ただの人間だ! だから、吸血鬼になりたいんだろう!」

 冨坂の言葉を聞いて溜息を吐く彼。

「違う、違うんだよ、冨坂。僕は吸血鬼になれない。それはそうだ。力を持たないのだから。一度は吸血鬼になってみるのもアリかと思った。でも、変身……とでも言えばいいのかな? これをして、思ったよ。僕は吸血鬼になれない、ということじゃない」

 踵を返し、彼は私のほうを向いて言った。

「僕はもう、吸血鬼にはならない」

 そして彼はそのまま私に手を添えて――。

 私の唇を奪った。

 ここからはエピローグ。

 というよりもただの後日談。

 どうやら吸血鬼になると内側で隠れていた気持ちが外に噴き出すらしい。……即ち、いつの間にか僕は日向に恋をしていた、ということになるのかもしれない。僕はいまだにそれを真実とは受け入れられないが、周りからすれば『むしろなぜ今まで気づかなかった』という一言に尽きる、とのことだった。

 冨坂はあの後姿を消した。吸血鬼にならないと宣言した僕に価値がないと思ったのだろう。懐中時計と資料はそのまま僕のものになった。彼曰く、そんなものいくらでもあると言っていた。彼は何を目的にそんなことをしたのだろうか――まあ、今はそんなことを考える必要なんてないのかもしれないけれど。

「ちょっと、どこ余所見しているのよ?」

 探偵部の部室は文芸部のそれを間借りしている。だから、部室を利用できるのは文芸部がお休みの火曜日だけ。今日は週一回の部室でのミーティング、というわけだ。

 冨坂が学校を出て行ってから、探偵部の存続が危ぶまれた。当然だ、部員一名の部活なんて部活じゃない。先生の言葉も尤もだった。

 だからというわけじゃないが、僕はこうして部員になった。二人目の探偵部員。うん、響きとしては上々。

「さて、それじゃ今日のミーティング始めるわね。今日は……うーん、まあ、特になし!」

「ええっ? 特になし?」

 日向から聞いた言葉を、僕は思わず反芻してしまった。耳を疑ったからだ。

 対して日向は笑みを浮かべながら頷く。

「ええ、何もなし。だから、帰りにアイスクリームでも食べましょう? 美味しいアイスクリームショップを見つけたのよ。もちろん、あんたの奢りね」

「えー、そりゃないよ」

「嘘つけ、顔は笑っているぞ」

 ばれたか。

 ……というわけでとても幸せな日常を送っているわけであって。クラスメイトの叶木からは「どうせくっつくと思っていた」とか言っていたので、どうやら既定路線だと思っていたらしい。

 まあ、それもいいだろう。

 テンプレート通りのハッピーエンドも、たまには悪くない。

 きっと僕は、吸血鬼になれない。

 彼女の笑顔を見ると、そういう結論に僕は至るしかない。僕はそう思った。

終わり

――
初出:2015年冬コミ頒布「変身・変態アンソロジー」

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