人に成る病・試読版

 彼女と出会ったのは、ある秋口の寒い日のことだった。待合室には暖房を入れていたが、いつも以上に混み合っていることもあるからか少し熱気がきつい。正直暖房を切った方が省エネに繋がるかもしれなかったが、この病院はわざわざ遠くからやってきてくれる人が多く、その人のために寒い部屋を用意するわけにもいかない。だから私たちのようにずっとここにいる人間にとってみれば地獄のような時間ともいえた。
 夕方、隣の診察室(正確にはカウンセリング室。最近は患者の人権にも配慮してそう呼ばなくなった)の時田という医師からショートメッセージが飛んできた。

『次の患者さんのカウンセリング内容を共有ファイルにまとめておいたので、ご確認ください。 時田』

 律儀に署名まで入れてくるのが彼らしい。とはいえ、送信者と受信者がはっきりしている院内ネットワークで署名をつけるのはあまり効果がないことだけれど。せいぜい送信ミスに気づいた誰かが送り返すぐらいか。たまに受付の広畑さんがやらかしてしまって、雰囲気を和ませてくれるのだけれど。
 さて、独りごちている暇があるのなら、カウンセリング結果を見なくてはなるまい。
 そう思った私は、カウンセリング内容の書かれたテキストファイルを開く。
 カウンセリング対象者は十九歳の学生。県内でもそこそこの偏差値を誇る大学の、情報学科に所属しているようだ。『ようだ』というのは、彼女がここ一年休学していることに由来している。
 彼女は今までに二度、病院を変更している。
 それが本人由来のものであるのか、家族由来のものであるのかは、わからない。
 だが、それをどうにか和らげてあげるのが我々の仕事だ。
 彼女の経歴を見る。ごく普通の一般家庭に育ち、サラリーマンの父親と専業主婦の母親の間に育ったらしい。兄弟姉妹はいない。おおよそ親の愛情を一身に受けて育ったのだろう。そういう子供は、ストレスに弱い傾向にある。ストレスに弱いとはどういうことか。簡単なことだ。言葉、態度、行動による攻撃を受けるとすぐに自分の殻に閉じこもってしまう。あるいは、親が助けてくれると思いたがる。いつかは人は自立しなくてはならないのに、親が子供を可愛がれば可愛がるほど、そのゴールは遠のいていく。だからいつかは子供も親離れをしなくてはならないし、親も子離れをしなくてはならない。人生とは、そういう非情なものだ。
 カウンセリングの内容をつらづらと眺めていく。無気力、食欲減退、睡眠不足……これだけみればよくある鬱の症状だ。だが、たった一言、その一言が滑りかけていた私の目を止めた。

「……二十歳になると死ぬ病気にかかっている、と思い込んでいる?」


 彼女が入ってきたのは、それから十五分後のことだった。夕方になってきたので小腹も空いてきたからゼリー飲料を飲み干し、残りの患者の対応に当たろうと一息入れたタイミングのことだった。
 がらがら、と引き戸が開けられ、彼女が入ってくる。
 最初に彼女を見た感想は——とても儚いものだった。まるで風が吹いたらそのまま吹き飛ばされてしまいそうな、そんな感じだ。

「席におかけください」

 声をかけると、小さく頭を垂れて、そのまま席に腰掛けた。
 儚くも切なく、それでいて愛おしい雰囲気を持つ彼女は、確かに何かの病にかかっているといっても誰も信じて疑わないだろう。
 しかして、それをきちんと診断するのが医者の仕事だ。
 きちんと職務を果たさなくては、患者からお金を頂いている立場として、不甲斐ない。

「今日は、どうなされましたか」

 カウンセリングのファイルは確認しているが、やはり今一度本人から話を聞かないと詳しい診断ができない。だったら一回でカウンセリングを済ませればいいではないか、という話も浮かんでくるかもしれないが、やはり一人ですべてを決めてしまうと誤診になりかねない。そういう判断をするためにも、二人以上の目があるほうが確実だ。
 彼女はおどおどした様子で落ち着きも無いように見える。まあ、こういうところに来る人間とはそういった人間だらけ——と言ってしまうと語弊があるのだが、案外そういったものである。たくさんの人間を見てきたけれど、結構特徴は似ている。普遍的では無いけれど、相似的である。それが、この病院に来る患者の特徴だ。

「私は、特に悪いところは無いんです。けれど、お母さんがどうしてもここに行け、って」
「ってことは、家族は誰も来ていないの?」

 こくり。
 彼女は小さく頷いた。艶のある黒い髪に、白磁のような肌はまるでモデルだ。顔のパーツもすべて整っており、こんな病院に行かなければ引く手あまただろう——そう思うくらいだ。
 そう、こんな病院。
 自らそう皮肉を入れてしまうくらい、この病院に通院するということは、あまり世間的にはいい評判を抱かない。哀れみの目線を送られるか、或いは感染病の患者のごとく目線を送られるかのいずれかだ。
 私自身そのイメージを払拭したい気持ちはあるのだけれど、しかしながら、たった一人の運動でそれが変わるとは到底思えない。もっと大きな力が——例えば国会議員が国会で騒ぎ立てるとか——すればいいのだけれど、国会はいつも与党の話題に野党がいかにケチをつけるかの争いしかしておらず、はっきり言って期待すらできない。選挙の時だけ一票の格差と騒ぎ立てるくせに普段はこんな醜い争いをするのか。ほんとうにこの国の将来が不安でしかない。

「……二十歳までに死ぬ、と聞いたけれど。それはどこかで診断を受けたの?」

 カルテ——とはいえカルテは電子カルテだが——を眺めながら私は診察を開始する。
 彼女は私の問いに否定し、

「いいえ。いつからか……私はそう思うようになったの。誰にも診断を受けず、誰にも治療を受けることは無かった。不治の病、なのかもしれない」
「診察を受けていないのに、不治の病と判断したの? 素人目線で?」
「自分の体は自分が一番よく知っているはずよ。そう思うけれど」
「そう思っている人間は多いし、人間は意外と欠陥が多い『製品』よ。だから私たちのような科の医者がいるのだから」
「でも、私は病気にかかっている感覚は無いの。でも、いつかは死ぬの」
「……人はいつか、必ず死ぬわ。でもそれを恐れることは無いの。いつかやってくる死のために、人は一生懸命その日々を生きるのだから」
「でも。私は……」

 彼女は不安を抱えているように見えた。
 だからこそ、その考えに至っているのだろう。カルテを見ると十年以上、彼女はその症状に苛まれているという。しかしながら、実際に口に出すようになったのはここ一年ぐらい。彼女が十九歳の誕生日を迎えてから——らしい。
 だったらそんな病気なんて完治しているか、或いはもともとそんな病気なんてかかっていないかのいずれかじゃないか、と思うのだけれど、職業が職業なだけにそう簡単に決めつけることはできない。日々新しい病気は生まれているし、それは人間の認知の速度を追い越すか追い越さないかの絶妙な速度を保っている。

「取敢えず、気分を落ち着けるための薬を出しましょう。それで様子を見て貰えるかしら」

 私はそう言って、キーボードを叩いた。
 彼女はわかりました、とだけ言って立ち上がるとそのまま部屋を出て行った。
 大方、別の病院でも最初はそういう感じだったのだろう。
 しかしそれは仕方の無いことだ。私だってもう少し踏み入ったところを治療していきたいが、最初は薬が合うかどうかを判断するところまで。インターネットでは投薬ガチャなんて揶揄されているけれど、どの薬が合うかなんて誰にもわからないし、それは投薬してみないとわからない。だから基本的に複数種類の薬を組み合わせて投薬していき、その組み合わせを変えていくことで、どの組み合わせがその人間に合っているかを判断していく。
 私たちは、そういう医者だ。
 そして私たちは、そうして別れた。あくまで、医者と患者の関係だった。


続きは今月発表予定のWeb雑誌をお待ちください。

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