The world without me
この世界は常に、私以外で成り立っている。
何千年も前から、何億年先まで。時間という絶対的な概念のもと、ただその流れに身を任せるように、生まれて死んでを繰り返す。生産性だとかそんな話を誰かがよくしてるけど、え、あんたが言う?って。
何者かになろうと、何かを掴もうと、四方八方に手を伸ばすと、待ってましたとでもいうように、その反動を利用してそれらは逆方向へと向かっていく。慣性運動の法則はここにも存在するようで、そいつらは一周まわるまで戻ってこない——もしくは球体の上でなければ、永遠に戻ってこない。
どうもおかしい、わたしはきっと真っ当に生きているはずだった。それなのになぜその心地が見当たらないのだろう。
気持ちの悪いニュース、平気で人を殺す賢かった人間、女をモノのように扱う単語の存在、金持ちと貧乏の混在。
美しい顔立ちのあの子は、後ろ姿も美しい。センスのいい絵を描くイラストラーターの部屋にある観葉植物。人を魅了する声を持つ彼らに向けられた歓声と拍手の振動。オシャレでかっこいい、みんなの人気者が持つ、特別な瞳。
この世界のどこに私はいるのだろう。
こんなにも複雑な世界にいつからなってしまったのだろう。生きることが目的であった。子孫を残し、そのDNAを、生命を紡いでいくこと。
誰かを愛し、愛される幸せを噛み締めること。
息を吸い、静かに吐くその吐息の白さに冬の訪れを感じること。
「あなたはなにをしているの」
と聞かれる。
「生きている、あなたと同じよ」
と答える。
そうして私はここにいるのだとただ感じたい。
この世界に私がいることを、その世界の果てすら知らない私が理解するにはあとどれだけの時間がかかるのか。生きている間にはわからないのかもしれない。
この問いを持ち続けることが、最後まで私が何者にもなれない理由であった。
↓いつの日かの個展で書いた言葉
夏凪 memo
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