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じいちゃんが海賊と戦った話

はいどうもこんにちはなつきです
前回のゲイバーに行った時の話から結構時間経っちゃいましたが
今回は、どーーーーん!

じいちゃんが海賊と戦った話

を書こうと思います

海賊と戦った話って嘘くさいですよね
今80歳代のじいちゃんが中学生くらいの時、
今から60-70年ほど前の話なので真相はわからないっす
ただじいちゃんは嘘つく人じゃないんでそこは本当だと思います
ということでどういう経緯でそうなったのか、書いていきます。

第二次世界大戦後の話

第二次世界大戦後、県内で薬莢を集めて売る人から薬莢を買い取り、
それを船で香港に運んで売る、簡単に言ったら転売みたいな仕事があり、
船に乗るためには3ヶ月ほど講習に合格しないといけなかったらしいです。
じいちゃんのお父さんは戦争で亡くなり、
お母さんは再婚して子供はほったらかしの状態で
中学生くらいから自分で生きていかないといけない状況に。
講習は水泳、万が一異国の地で遭難して言葉がわからなくてもスキルを活かして生き残れるように大工、左官、建築、習ったそうです。
最後の講習では
東村の大浦湾の山の中、1人でマッチ1個と鎌1本だけ渡されて過ごすというもの。
食べ物は主に、
川のえび、かに、魚、ふーちばー(よもぎ)、苦菜、桑の葉、などで、
時には人のお家から芋を盗んだりして食べていたそうです。

1日1回、太陽が自分の真上に来る頃に生存確認で車で見回りにきて
じいちゃんは最終的に5,6日過ごして一番長かったそうです。
講習の初めには30人余りいた人も講習終わりには5.6人に。

海賊

船員は戸籍を消されて
(捕まってもどこの誰かわからないのでどうすることもできない状態にするため)
呼び名は山、月、星、川などで腕にその刺青を掘られたそうです。
船は今のマグロ漁船みたいな感じな船に6人乗ってじいちゃんは炊事係、
雨が降ったら火が起こせなくなり、ご飯が作れなくなるので
朝のうちに1日分の食事を作って急な事態に備えていたそうです。
ルートは糸満→宮古島→八重山→西表島→尖閣列島→香港
みたいな感じで途中島に上陸して水と食料を調達しながら
尖閣列島あたりについた頃、海賊に出くわしたそうです。
船には女性、子供からぶた、やぎなどの家畜もいて
その船の上で生活しているようでした。
1隻かと思ったら4.5隻が1列に並んでて近くまで来て一気に包囲されました。
相手は旧日本軍の銃、こっちも旧日本軍の銃と機関銃を持っていて撃ち合いに。
その撃ち合いで銃弾がじいちゃんのお腹のすぐ横を通って後ろの人に当たって後ろの人は即死。
じいちゃんのお腹は火傷してたそうです。
煙幕を張って銃を打ちながらうまく逃げて無事香港へ
香港に着いたら英語が話せる船員を頼りに薬莢を売って食料、小麦粉を購入して
食料、小麦粉をまた沖縄で売るみたいな感じだったそうです。
軍で働いてる人の給料は1ヶ月300円(今でいう20万ほど?)の時代で
船員の給料は下っ端で1日300円だったみたいなので相当もらってますね。
じいちゃんは数ヶ月この船に乗っていたそうですが
他の船員も親がいない、1人で生きていかないといけない人が多かったそうです。
大変な時代ですね。
僕は小さい頃からずっとじいちゃんの家に住んでて根っからのじいちゃん子で
じいちゃん謎に溶接も木材の加工も建築も免許持ってないくせに船の運転もできるのなんでだろうなーって思ってましたがこの話を聞いて18年の謎が解けました。
ということで、おわり!
バイバーイ!

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