はなも(ん)の東京オリンピック物語 #3
やほ。
年を跨ぐ前に書きたいnoteを大急ぎで書いてます。
東京オリンピック物語です。
第1弾では、2020年の延期を迎える前、
第2弾では、2020の卒業旅行から延期決定を迎えて以降の年末までの動きを書き綴りました。
第3弾では、21年、つまり今年を迎え、
開幕するまでの心境や出来事などを綴ります。
1~3月:不安。
年明け早々いきなり待ち受けていたのは、
何度目かの緊急事態宣言でした。
勤めてる会社の部署も、定期的にリモートワークになり、
前年秋のようにGoToトラベルで活気付いていた頃とは全く違っていました。
この状況下でオリンピックをやること自体にも正直不安を覚えていました。
そんな中、根底を覆すような(個人的には)一大事件が起こります。
憤り、そして憤り
若干時系列の時間が空きますが、
上が腐りすぎてんだろ、と正直に思いましたし、
こんなことやるんだったら、
もうオリンピックやらなくていいじゃんってよぎりました。
大会ビジョンの1つである、
「多様性と調和」の考え方を、完全にぶっ壊された感覚がして、
悲しさ通り越して憤りを覚えました。
さらに。
緊急事態宣言が引き続き出ている状態で仕方なかったとはいえ、
この決定が出た瞬間に、
「TOKYO2020は死んだ」と感じました。
国際大会ではあるものの、
海外からのボランティアも参加できない、観客も入場できない、
この状態で、どうオリンピックの熱気を世界に発信するの?
4年に一度、世界が1つになる特別な大会から、
自分の中ではありきたりな国際大会に毛が生えたものに成り下がった瞬間でした。
この頃から、
「オリンピックは本当に誰のものなのか?」と考えるようになります。
わずかな望みに可能性を求める
4~6月に入り、緊急事態宣言が解除され、
徐々に徐々に緩和されつつありました。
5月末に高尾山に登りに行くと、
展示開始されたばかりのオリンピックマークを見ることができたり、
6月には仕事も安定してきて、
そろそろオリンピックのスケジュールも考えながら仕事しないといけないなと思っていた矢先、雲行きが急に怪しくなります。
7月、ついに本音が。
これまで上で記載してきた内容をギュッと凝縮したのが、
この2つのツイートです。
この時点で、無観客の議論が巻き起こっていましたが、
あえてその情報を入れないようにしていました。
というか、考えたくもなかったです。
が、現実は突きつけられました。
7月8日:東京五輪ほぼ全試合無観客開催決定
最後の砦が崩れました。
実は友人から鹿島開催のサッカー準決勝のチケットを譲り受ける予定でした。
記載の通り、「1都3県のみ無観客」とのことだったので、
本当の本当に最後のチャンスを臨んでいましたが、
結局その鹿島も無観客になり、自国でオリンピックを観戦する夢は儚く散りました。
ちなみに、当たったチケットは、
-バスケ3×3
-男子サッカー3位決定戦@さいたまスタジアム2002
でした。
男子サッカーは、
ほぼ確実にこの順位に来るだろうと読んで申し込んで当たったチケットだったので、マジで悔しいです…
上層部の腐り方に、もう我慢の限界
ここまで腐るものかと、
少なくともオリンピックがアスリートのものではなく、
腐った大人のためなのかとすら感じました。
もうここまで来ると、反対とまでは行かずとも、
本当にクリーンなままで終わってくれと切に願うだけでしたね。
とはいえ、個人的にムードを高めに行ってました笑
開会式に合わせて、祝日が集約したこともあり、
世の中が「オリンピック休暇」になりました。
せっかくなので、
日本橋周辺で開催されていた「オリンピック・アゴラ展」に足を運びました。
コエド室町の壁面に、
過去のオリンピックのポスターが展示されていた光景には、
正直泣きそうになりました。
街並みを変える力が、オリンピックにはある。
だけどその感動や体験を味わえるのはごく一握りの人間だけ。
嬉しいやら悲しいやら、そんな複雑な心境で帰宅し、
サッカーの初戦を迎えたのちに、翌日開会式にかじりつきます。
はなも(ん)
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