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思い返すと、言語化が習慣になってたなって話。

やほ!
昨日投稿した、日記について、
より深く自分の中で考えてみたので、
その言語化です。

「収集グセ」から言語化のスタート?

思い返してみると、
かなり昔から、今でいう言語化の習慣は身についていたのかなと感じます。

遡ること中学時代からにはなるのですが、
そもそも言語化を始めたきっかけは、「収集グセ」でした。

自分の生きてた証を残したい、
何かしらの記録に残したい、
そんな収集グセが、日々の積み重ねで単に言葉になったのかなと思います。

中高時代から、何かと文章に残し続けていた。

中学生、高校生くらいの時、
上地雄輔さんや辻希美さんなどのアメブロ全盛期、
またSNSのmixi全盛期でした。

何かと自分の中で大きな出来事があれば、
ブログやmixiに書き残してました。

高校野球の最後の大会前日も、ブログに書いてました。

また、高校の時には、スケジュール手帳も買っていて、
年間のスケジュールや試験範囲なんかも記録していました。

この時点で、普段から言語化する土壌は出来上がっていたのかもしれないと感じてます。

とはいえ、たまに参考程度に当時のアメブロを見にいきますが、
やっぱり恥ずかしいですね笑

大学の先輩の声かけで、思いが再燃した。

浪人を経て、大学に入学するわけですが、
最初はこれまで通り、スケジュール手帳を買って、
その中にいろいろ書き込んでいました。
が、大きなイベントがあっても記録する、とかはありませんでした。

1年生の秋に、先輩に
「学生団体(大学内)で記事を書いてみない?」と誘われたのをきっかけに、
思いが再燃します。

そこから、溜まりに溜まっていた言語化欲が爆発し、
メンバーからもかなり好評をいただけました。

1年生の冬に、「記事での影響範囲をもっと大きくしよう」と思い、
自分の大学内だけではなく、団体を統括している日本の事務局での記事執筆を行うことに。

さらに、2年の夏からは、インナーブランディングの一環として、
当時の事務局長たちと一緒に、社内報を毎週1本全体メールに投稿していました。

さらに、自分の大学内でも、
自分の状況や内省とかも言語化する習慣が染み付けられましたし、
夏に参加した海外インターンに行っても、
1時間はパソコンと向き合ってポチポチ打ち込み続けてました。
(細かい感情も全部ぶつけてるので、その時の情景を思い出せる)

3年夏で学生団体を引退し、言語化機会がなくなってしまったため、
テキトーにnoteを開始し、今に至っています。

社会人になってからも引き続き。

1番懸念していたのは、
ライフステージが大きく変換するタイミングで、
noteの更新が止まってしまうことでした。

しかし、コロナの影響もあり、
自宅にいる時間も長くなって、(いい意味での)暇つぶしにもなりましたし、
日々感じることを書き留める習慣がついていたので、
ここまで続けられています。

実は、団体入ってからもちょこっと言語化していたのですが、
どちらか「やらされる」ものでした。
それがいつしか、「やる」に変わり、内発的になったのも、
ここまで続けられている要因なのかなと思ってます。

会社での日報が出せない時があるのですが、
それはまだ「やらされる」のほう比重が大きいからなのかもしれません。
(すみません)

「やる」に切り替えるためにも、自分の日記を片手に。

先日書いた通り、
日々の出来事を日記に書いて、
個人のふりかえりを習慣化しようと思ってます。

この日記については、仕事のことが中心にはなるので、
徐々に内発的なものに切り替わってくれるのかなと期待しています。

とはいえ、肩肘張らずに、まずはちょこっとずつ、
頑張っていきます。


はなも(ん)







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