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奢り、奢られる関係

やほ!先ほど、2年ほど勤めた某居酒屋チェーン店をやめました。

働く本質とは何か、接客とは何か、色々学べたことがあるので、またそれも記事にしようかな。
(記事にしたいことだけが溜まっていく)

最近の奢り、奢られ事情(笑)

先日帰省した際に、
(いずれも愛知県出身で自分自身、1年浪人してるから年は一緒なんだけれども笑)
アイセック南山の先輩にランチをおごってもらい、
アイセック滋賀大の先輩に夕食の割り勘を多めに出してもらったりしました。

で、今日は渋谷でのランチで、同じ大学の後輩と海外からのきた友人に対して、自分がおごったり。

言うてしまえば、サマーインターンのアフターも会社からの”奢り”であるわけで。
(そのせいで、今週は若干飲み過ぎと不摂生がたたってるわけですが…泣)

あ、ちなみに同期と食事するときは基本割り勘か、多少多めに払って、カード支払いにしてポイントで相殺する(か若干得する)形にしてます笑

奢り方も考え方によっては全然違ったものになる

自分は正直、この変な文化、根絶したほうがいいんじゃねえかって思ったのはあります笑
割と負担になったりするので…汗
特に学生時代なんかはお金もないし、おごった分だけバイトも稼がないといけない、つまり自分の時間を返さないといけないわけで。

自分自身、時間と金にはうるさい方で、
一時期同期に対してお金でケチなことしたこともあったかと思いますw

だけども、ホリエモンの多動力読んで、
「ああ、こう言う考え方もあるのか」とおもったと同時に、
「これって今まで自分が考えてたものと若干似てるかも」って言う感情にもなりました。

本の中身は話さないとして、
考え方の変え方としては、
ただの食事でももちろん楽しいけれど、

自分がおごらされる立場なら、
「相手にとって奢られるだけの話をしなきゃ」
「相手の投資に見合った話をしなきゃ」

逆に奢る場合、
「自分はこの人から何かを学び取ろう」
「奢るからこそ、自分はそれ以上の何かを得よう」

っていうマインドに変えました。

(自分にも相手にも)その時間に見合った”値段的”価値はあるのか。
逆に価値は提供できているのか、
振り返って価値がなかった/提供できなかったら何がいけなかったのか。

1分がただの1分=60s=16円(東京都の最低賃金の分給)じゃなくって、
1分17円以上、濃密な60分を作れるかどうかを考えるようになりました。食事の場でも。

なので、今度から飲みに行く方、(嫌らしいかもだけど)こういう考えなので、変な質問するかもしれないですが悪しからず。

はなも(ん)



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