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家がないということ。

家がないということ。
それは、観葉植物屋の店員さんの販促意欲を喪失させるということ。

家がないということ。
それは、真冬のベランダのプレハブで寝たり、敷布団を2つ折にして厚みを出す工夫をしたり、夜中に魔女の宅急便を見て、明け方まで喋り明かしたりすること。

家がないということ。
それは、愉快で優しい人と出会えるということ。


先日、知人が務める観葉植物屋に足を運んだ。
武蔵小杉の商店街から少し外れた場所に位置する「トランシップ」というお店。店内の空間に敷き詰められた観葉植物と、その魅力を最大限に活かす鉄製の展示器具が光る、古風さと目新しさが混ざりあった魅力的なお店だった。

私は切り花を主な販売商品とする花屋なので観葉植物の知識は疎いが、同じ植物を扱うこのお店に入ったとき、親近感と「こんな植物初めて見た!」と心が跳ねるような新鮮さを覚えた。あれも可愛い、これも可愛いと連呼する私の姿はまるで思春期の女子高生。サボテンがゆるキャラに見えてきたのは、気のせいでは無かったのかもしれない。すると、私の元に一人の店員さんがやってきて、観葉植物を勧めてくれた。基本的に私は、店員さんから話かけられたら断る術もなく商品を購入してしまう性格だ。相手が可愛くて美人な人なら尚更。しかし、私は植物を飼うには致命的な欠点を抱えていた。

「家があったらなあ、、、」

ほっそりと呟いた心の声。
ふと、店員さんを見ると、

「こいつにだけはどんな手を使っても観葉植物は売れねえ」

と確信した、諦めの表情をしていた。

事実、本当にそう思っていたようだった。
一般的な客は商品を勧められたとき、「家が狭いからなあ」とか「まずは部屋の片付けからだなあ」とか言ってお茶を濁すらしい。だが、「家がない」と言った客はどうやら私が初めてだったようで、不名誉にも店の歴史に名を残してしまった。

「あ、、、LEONっていう映画の主人公が観葉植物を持ち歩いて生活してるから、、、そんな感じはどうですか、、、?」

と、苦し紛れに最後の営業トークを切り出した店員さん。

「あ、、、でも、、移動中は両手が塞がっちゃうし、、、実家に送ればいいのかな、、?でも、親の誕生日はまだ先だし、、、、」

と、苦し紛れに購入理由を探しつつも見つからない私。

次に観葉植物屋さんに行くのは、自分の家ができてからにしよう。


さて、私は文字通り「家がない」身分である。
自分の名義で借りている賃貸物件がない。持ち家を所有しているわけでもない。東京で約半年間、知人の家を渡り歩きながら生活をしてきた。故に、私物は段ボール二個分くらいしか所有しておらず、家電や布団は家主のものを使わせてもらって存分に寄生虫っぷりを発揮。ミニマリズムとかシェアリングエコノミーと言った思想が最近はやっているけど、「我こそが体現者なり!」と叫んでも許されるのではないか、と思うような生活をしている。嫌いな言葉は「敷金・礼金」。友人が結婚、出産、マイホームを実現させつつある中で、「自分は何をやっているんだ」とか「いい加減ちゃんとしなきゃな」とか思うことは多々ある。一方で、ここ10年くらいずっと同じ悩み方をしているので、「まあ、こんな生き方も面白いし良いか!」と開き直ってもいる。せめて20代の間だけは許してほしい。

元々、3.5畳しかない風呂なし物件に住んでいた私は、ひょんなことで銭湯で知り合った同い年の起業家の友人の家に去年の9月から転がり込んだ。隣の部屋のポルトガル人が夜な夜な逢瀬を交す声に悩まされていた当時の私にとって、願ってもない好機だった。1LDKのアパート、家賃と光熱費は折半して計3万5000円。東京23区内でこの値段は破格中の破格だった。ただ、今年の1月に彼の仕事の都合で家を解約することが決まり、慎ましくも賑やかな毎日が終わった。「君が女だったら結婚したい」「君と家族になりたいから妹と結婚する」と8割くらいプロポーズかな?と思う台詞を頂き、嬉しくも困惑。私との生活が楽しかったなら何よりである。

次に知人が営むシェアハウスに行った。新宿から一駅のマンションの最上階ワンフロアの部屋で、起業家や料理人、音楽家や旅人、とにかく愉快な人たちが暮らしていた。部屋が余っていないかと聞くと、ベランダのプレハブなら空いていると提案してくれた。基本的に壁と屋根があれば人は生活できると思っているので、提案を快諾。ただ、真冬の2月のプレハブは本当に寒かった。起きたら冷気を吸いすぎて肺が痛い。一番びっくりしたのは、歯ブラシが凍っていたこと。歯に当てた瞬間、複数の冷たい棒状の何かが折れる感覚を味わい、同時に心も折れかけた。暖房器具が発達する前、人類はどうやって冬を越してきたのか、それとも現代人の体が貧弱になったのか。冷たい風を頬に浴びながら光り輝く都会のビルを眺めて、人類について考えた。

新宿の夜景は綺麗でした。

花の仕事は濡れ仕事だ。水に濡れて冷え切った体の労わるにはプレハブは少し過酷だった。そんな私に手を差し伸べてくれたのは大学時代からの友人。大学生活でも、東京生活でも、困った時には助けてくれる、ドラえもん的存在。1Rの狭い男一人暮らしの家によく泊めてくれるなと内心思いながら、存分に好意に甘えた。薄い敷布団で寝ると体が痛くなるので、二つ折りにして厚みを増す工夫をする。寝返りを打つと固い床で寝ることになるので、脇を締めて出来るだけ真っ直ぐに姿勢を保つようにした。その後も、他の友達の家に行ったり、親戚の家に行ったり、時には元恋人の家に泊まったり。我ながらとんでもねえ奴だなと思いつつ、自分で自分を面白がっているから救いがない。「俺の人生、波瀾万丈やなあ」。

東京生活のラスト2週間は、料理人とコピーライターのカップルの家に転がり込んだ。私が旅する花屋をするために近々東京を出るつもりだと言うと、「まずは東京でやりなよ」と仕事をする機会をくれた。彼らは料理、私は花、一緒に事前準備をするために家に招かれると、あまりにも居心地が良くて長居してしまった。間接照明が照らすのは、こだわりの観葉植物と古道具たち。プロジェクターが映し出すのは魔女の宅急便。毎晩美味しいご飯を食べさせてくれた。3人で川の字になって布団に入り、語り合いながら寝落ちを待つ。そんな毎日。私の仕事は食器洗いとゴミ出しとたまに洗濯。食器と古道具を割った。いつも家に忘れ物をした。本当にドジでごめんなさい。

ご飯が美味しかった

家がない。
そう言うだけで、人は笑い、「どういうこと?」と笑いながら聞いてくれる。なかなかインパクトが強い言葉らしい。
これは自慢だが、住まわせてくれた人たちは皆口を揃えて「お前がいると面白い」と言ってくれた。いや、あなた方も負けずと面白いですよ?と本気で思っているのだが、相互に愉快だからこそ、生活が楽しいのかもしれない。

大好きな歌手YUIはとある曲でこのフレーズを歌った。

何かを手放して、そして手に入れる。そんな繰り返しかな?

YUI「TOKYO」

この曲のタイトルは「TOKYO」。
彼女は何を手放し、何を手に入れたのか。
私は家を手放したことで、愉快な人たちとの出会いを、ここ東京で手に入れた。

そして、私は東京を出た。
旅をしながら、人と出会い、花を束ねるために。
これから訪れる出来事に心が躍りっぱなしだ。


家がないということ。
それは、愉快で優しい人と出会えるということ。




旅先で泊めてください!笑

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『旅と花束』
旅をしながら、人と出会い、旅をする。
日本各地を転々としながら、出会った人たちと作り上げる、
店舗を持たない花屋です。
活動はインスタグラムにて発信中!ご閲覧よろしくお願いします。


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