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いつか別れる。でもそれは今日じゃない

美しい文体、秀逸な感情表現、明快でときに辛辣な言葉。

そんな文章に出会うと嬉しさ反面、この言葉が自分の言葉として誕生しなかったことに悔しさを覚える。

本書は、作者「F」が綴る恋愛観や人生観を語ったエッセイだ。女性を中心に圧倒的支持を得ていると聞くが、私はむしろ男性こそ読むべきではないかなと思った。特に、恋愛について語られる章では、女性視点での恋愛における男性の見られ方が語られる。胸を抉られると言うか、恥ずかしいと言うか…。今まで付き合って頂いた女性に皆さん、全員ごめんなさいって気持ちになる。このままでは圧倒されっぱなしなので、作者に対抗して私もエッセイを書くことにした。本書の内容には触れない。あくまで、本書を読んだ私が、私の感情を書く。それだけである。



傷つくことは後の人生に生きるかもしれないが、どうか傷つきすぎないで欲しいと、自分にも他人にも思う。言葉は凶器で、心は黒ひげ危機一髪。刺し続けた先にあるのは、遅かれ早かれ心の破滅。そんなことを考えていた時期があった。嫌われる勇気を持て、と本のタイトルは言った。自分に言い聞かせて防波堤を張った。その壁は薄さ1mmにも満たない壁で、簡単に壊れてしまう。その繰り返し。

高校時代、1番と言って良いほど仲が良い友達がいた。そいつはいつもクシャクシャの笑顔で笑う奴で、「〇〇スマイル」と名前と笑顔がセットになった呼称が生まれるくらい、底なしのポジティブ野郎だった。警察官に小学生からなりたくて、その夢は一度もブレたことがなくて、歩くときに手と足が一緒に前に出るような運動神経の悪さを気にすることなく、夢を叶えた。最年少で刑事になり、車を買い、結婚し、娘が生まれ、マイホームを建てた。「幸福」と呼ばれるための条件を次々と獲得していく姿を見て、早死にしないか心配にもなりながら、その全てを持ち合わせていない自分の身を何度も何度も憂いた。

「どうしたらお前みたいになれるんだ」
私は言った。
「俺は君じゃないからわからん」
友人は言った。そりゃそうか。

結局、最終的に自分を助けてあげられるのは自分だけだと思う。親切なアドバイスも助けも、それを純粋に受け取ることができなければ意味がない。申し訳なさとかを余計に感じて、好意を突っぱねてしまうことがよくあった。それで随分自分を苦しめた。自分を助ける為に必要な事は何かは自覚しておいた方が良い。そして、自分の想像を超えて手を差し伸べてくれる人は死ぬほど大切にした方が良い。ちなみに、私にとって自分を助ける為に必要なことは、甘いチョコレートと自信。自信というのは、やりたいことをやって人から一定の評価をもらう事で生まれるものだと花屋になって知った。

爪を噛む癖があった。指先の皮を剥く癖があった。生きている実感がなくて虚無の時間が長ければ長いほど私の指先は荒れていった。人生のどん底にいたとき、無意識にホームで目の前を過ぎる電車を見続けていたとき、人が自分を殺めるのはどんな時かを知った。今も左手の人差し指だけはボロボロだ。現実に自分を戻す為に傷つけてるのかもしれない。いつか、100%自分はこの世界を生きれます、という自信が湧いた時、私の指は綺麗になるのだろう。

「大人の唯一の義務はご機嫌に暮らすことだと聞いた事がある。誰かのせいにしたりせず、とはいえ自分のせいにしたりしなかったりして上手く甘える生き方だと私は解釈した。」

ご機嫌に暮らす為にはどうしたら良いのだろうか?とりあえず、私は人生で初めて髪を染めた。金のハイライトにシルバーを少し乗せた。「とりあえずヨーロッパの人みたいに」そんな雑なオーダーに、いつもお世話になっている美容師さんは応えてくれた。

鏡を見ると「うわー、チャラいなー、こんな見た目のやつとは友達になれないだろうなー」とかぶつぶつ言いながら、内心ちょっと面白くて楽しい。昨日は「お兄さん、渋谷で夜遊んでそう」って言われた。「調子乗り出したな」とかも言われた。髪を染めただけで見られ方が変わる、そうすると、自分の気持ちも少し陽気に変わる。間違いなく言えるのは、今日も私はご機嫌だってこと。悩みが尽きなかったあの頃、つべこべ言わずに髪を染めれば良かったのかな。

確かにハーゲンダッツは世界を救うかもしれない。喧嘩するほど仲が良い、は半分嘘だと思う。険悪な雰囲気に遭遇したら懐からハーゲンダッツを差し出せる人間でありたい。あ、それじゃ溶けちゃうか、訂正。コンビニに走ろうと思う。

今度友達に会ったら、
「もうお前なんか羨ましくねえから」って言い放つつもりだ。得意の100点満点スマイルで「急に何言ってんだよ」って返されると思うけど。

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