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追悼

注意書き コスト削減につき敬称略しています。予めご了承下さい。また、個人的な感想や意見を含みますので、あくまでも考察の一つとしてお読みください。

 米津玄師のリリースした5thアルバムには「ひまわり」という曲が入っている。意外にもあまり知られていない曲だけど、ツアー変身で「今は亡き親友のために歌っていいですか」と前置きを据えて力強く歌っていたのを、わたしはいまだに鮮明に憶えている。先日、ヒトリエのボーカルであったwowakaの歌詞集が発売され、その帯の寄稿文を米津玄師が飾った。「wowakaさんと出会えてよかったです。」表紙にはその一文のみ。だけど、とても重みのある一文である。

なぜ「ひまわり」なのか

 そもそもの話、楽曲のタイトルモチーフが「ひまわり」なのは何故なのだろうか?わたしの意見としては、米津玄師から見たwowakaの姿そのものなのだと思う。
 話に深入りする前に知っておきたいのが、米津玄師とwowakaはどちらもボカロPで同時期に活躍していたアーティストだということである。彼らの親交については米津玄師のダイアリー「野暮」にて細かく書かれている。ここでも一部を抜粋するが、ご自身の目で見に行ってもらいたい。

wowakaさんと出会ったのは10年くらい前のニコニコ動画だった。…即売会のイベントで実際に顔を合わせてからは、お互いシャイだからそう言葉数は多くなかったけれど、ああでもないこうでもないと音楽の話をしていたのを憶えている。

米津玄師diary「野暮」

 ダイアリーが投稿されて5年ほど経っているので、今からおよそ15年前くらいに米津はwowakaを認知したと思われる。ただこの時点では米津が一方的に知っていた止まりであり、実際に彼らが会ったのはもう暫く後の話。この頃に二人は意気投合したようで、そこからお互いメジャーデビューしてからも親交を深めていたようだ。

年を重ねるごとに飲みに行く頻度が加速していき、最近は週二、三で飲んだりしてて、結局同じ話の繰り返しでもう喋ることもないのに静かにお酒を飲んだ。LAMP IN TERRENの大ちゃんと3人でそれをチルモードと呼んで楽しんでいた。

米津玄師diary「野暮」

 wowakaが急逝する直近でも、米津とは飲みの場で会っていたらしく、米津にとって気の置けない存在であったことは確かだ。引用を見てもらえれば分かる通り、彼らに加えて「LAMP IN TERRENの大ちゃん」も含めて飲んでいたらしい(「大ちゃん」とは、松本大氏をさす)。彼もまた、2人と腹を割って話せる関係にあり、何より松本は「ひまわり」のギターを担当している。
10年ほどの付き合いがあったwowakaのことを、米津は「親友」であり「お兄ちゃん」であり最大の「ライバル」と呼んだ。彼に憧れ、尊敬の念を抱き、大切な親友であったことが伝わってくる。
 ひまわりは漢字で「向日葵」と書く。wowakaの情熱的な音楽に対する姿勢が、米津の目にはひまわりのように映ったのだろう。
 米津のボカロP名は「ハチ」であり、ハチとひまわりの関係性が色濃く表れたタイトルなのである。

歌詞の随所に現れるリスペクト

 ここからはひまわりの歌詞から、米津玄師が込めたメッセージを紐解いていきたい。
 力強いロックサウンドのイントロからも、wowakaという人間の逞しさを感じるし、wowakaの生み出すボカロサウンド要素を感じる。

悲しくって 蹴飛ばした 地面を強く
跳ね返る 光に指を立てて
愛したくて 噛みついた 喉笛深く
その様が あんまりに美しくてさあ

米津玄師「ひまわり」

 ここでヒントとなるのは最後の一節、「その様が あんまりに美しくて」というところ。間違いなく米津がwowakaに対する敬意の表れである。とすれば、そこまでの一連の表現は、wowakaの人間性や生き方を描いていると考えられる。ここで一度米津のダイアリーを見ると、彼はwowakaのことを「彼はその音楽性と同じように、他の人間より何倍も速いスピードで生きている人だった。基本的な人生のBPMが違う感じがした」と語っている。wowakaが自身の美学や音楽に対する姿勢に悩みながら、直向きに生きてきた軌跡が米津視点で描かれている。

舌を打って 曠野の中 風に抗い
夜もすがら 嗄れた産声で歌う
遠く遠く見据えていた 凍て星の先まで
痣だらけの心 輝かせて

米津玄師「ひまわり」

 米津がダイアリーの中で他とは違うBPMで生きていたとあるように、周囲の環境、評価、音楽のメジャートレンドに懐疑的なスタンスで己を貫いていたwowakaが描かれる。単語に注目すると、「夜もすがら」「産声」というキーワードからは、ヒトリエの「イヴステッパー」「リトルクライベイビー」を彷彿とさせる。また「凍て星」という言葉はwowakaの生前の最新曲「ポラリス(=北極星)」を思わせる。wowakaの抱いていた未来へのビジョンを、米津は飲み交わしながら聞いていたのかもしれない。

その姿をいつだって 僕は追いかけていたんだ
転がるように線を貫いて 突き刺していく切っ先を
日陰に咲いたひまわりが 今も夏を待っている
人いきれを裂いて笑ってくれ 僕の奥でもう一度

米津玄師「ひまわり」

一番サビ。米津が憧れの対象としてwowakaの背中を追いかけていた描写が、かなり直接的に描かれている。「線を貫いて」という表現からは、wowakaが強い信念を持っていたことが読み取れる。
「日陰に咲いたひまわり」は、米津が自身とwowakaを対比させているように感じる。月が太陽に照らされてその姿を映すように、太陽の輝きを好むひまわり(wowakaという憧憬)に対して、日陰に立つ自分を表しているのではないだろうか。
 最後の一節からは、大切な親友を亡くした喪失感と、それでもまだ湧かない実感に咽ぶ心情が思い起こされる。

消し飛べ 散弾銃をぶち抜け 明日へ
吐き出せ 北極星へ舵取れ その手で

米津玄師「ひまわり」

アップテンポなサウンドと散弾銃の表現には、何度も言うようにwowakaが他人よりも速いスピードで生きている生き様が込められていると考える。wowakaのボカロ曲「アンハッピーリフレイン」の中に散弾銃が出てくることも念頭に留めておきたい。

 今思い返してみると、「STRAY SHEEP」というアルバムはかなり米津にとって苦しさを抱えたり、その中でも些細な幸せ、大切なものを追い求めた作品が多いように思う。「まちがいさがし」も然り、米津の生活軸の中で生まれた、特定の人に届けたいメッセージが多いのもこのアルバムの特徴だと思った。リリースされて早くも4年が経とうとしているが、もう一度ゆっくり聴き直していくのもいいな、なんて思ったりした。

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