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武士道入門20 日本人の礼儀の正しさの秘密

新渡戸稲造の『武士道』、「仁」の次は「礼=礼儀」についての話ですが、日本人はよく「礼儀正しい民族」 と言われます。
武士も幕末のころは、西欧の人々に「礼儀正しい人々」と思われていたのですが、一体それは、どうしてだったのか?
新渡戸稲造さんは『武士道』で、小笠原流の作法や茶道のしきたりなどを紹 介しているのですが、じつはあまり「礼」に重きを置いていません。その本質は、次のようなところにあります。

「礼は、他人を思いやる優しい感情によって実践されるので、常に相手への共感を示す優美な表現となります」

つまり「形式」よりも、そこにこめた「思い」を重視しているわけです。
象徴的なのが「日傘」の話でしょう。 日傘を持った人が、持ってない知人とばったり遭う。
「こんにちは!」と挨 拶をして、しばらく立ち話をしているのですが、炎天下のなか、日傘はずっと 相手に合わせて閉じられているわけです。
なるほど「相手を不快にさせないように」と感じてしまう。非常に日本人っぽい考え方なのかもしれませんね。

歴史をさかのぼると、幕末に欧米人がこぞって日本に来る前、ヨーロッパではじめて「武士というのは、なんと礼儀正しい存在なのだろう」と印象づけた人々がいます。
それは「天正遣欧使節団」という、13〜14歳の武士の少年たち。ときは16世紀末になりますが、九州のキリシタン大名 たちから、ヨーロッパに派遣された4人です。

彼らはスペインやイタリアで、一大センセーションを引き起こしました。
その理由は、異国情緒とか、貴族のマダムから「可愛い!」なんて思われたこともあったのですが、何より子供ながら「礼儀ができている」というのが、大称賛されたのです。
あまり知られていませんが、ヨーロッパの見本になった初の日本人かもしれませんね。

その礼儀正しさには、もちろん立ち居振る舞いの見事さもありました。
でも、それだけではありません。
あるイタリア人は、こんなところを評価しています。

1.社交界でダンスを求められとき、リーダーの許可をまずは確認した
2.それで踊り方がわからないにも関わらず、貴婦人に恥をかかせてはいけないと、懸命になってダンスをしていた

なるほど、
・団体の和を乱さない規律正しさ
・相手に迷惑をかけないように気を遣う優しさ
これが「国際評価」につながったんですね。

ちなみに日本に戻ると時代が変わり、キリスト教の禁止令によって、使節団 の少年たちは過酷な運命をたどりました。
これは日本史における悲劇と言える でしょう。

いまでも「日本人の礼儀正しさ」は、ときどき話題になります。
でも、最近の日本人を見れば、礼儀の消失を少し感るのも事実。 新渡戸さんがいま見たら、一体どう思うでしょう?

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