武士道入門35 武士が笑うときとは?
新渡戸稲造『武士道』の「克己」の章では、「武士たちは感情を抑えた」という話を扱っています。
そしてこの慣習は、「日本人が欧米人と比べ感情を人前で発露しない」ことの要因になっているわけです。
そこで、新渡戸稲造さんは、武士たちの「笑い」について、このように言います。
「厳しい試練にさらされ、人間本来の弱さがさらけ出されたとき、日本人は、笑うことでそれに対処してきたのです」
そう、武士は面白いから、楽しいから「笑う」のではありません。
辛いとき、苦しいときこそ、「武士たちは笑った」んですね。
おそらくは「武士道」を皮肉ったユーモアから生まれたのでしょうが、有名な言葉があります。
「武士は食わねど高楊枝」
貧しくて十分に物が食えなくて、空腹感を抱えている。
そんなときだから武士は、楊枝を口にして、いかにも「あー食った、食った!」という顔をしている......。
武士たちの笑いも、これと同じなんですね。
「武士」と「笑い」を結び付けた、ヒット小説があります。
『哄う合戦屋』(北沢秋著、双葉文庫)というものですね。
哄(わらう)=大声で笑うこと......ですが、本書の主人公は、とても「笑う」 ような人間ではありません。
石堂一徹という「軍師」で、話す言葉はつねに論理的、まるでロボットの よう。
類い稀なる強さを持っているのですが、「自分には人を惹き付ける魅力 がない」と認識している。
だからどこかの城主につき、主君に天下を取らせることだけを大きな野望にして生きています。
そんな人物が、周りを列強国に囲まれる小さな城の、人のいい領主さんに仕えることになるのです。
そして最後、己の野望を捨て去り、義に徹していこうとする......。
それ以上は小説を読んでもらいたいのですが、そんなときこそ、彼は「哄う」わけでです。
これが「武士」なんですね。
辛いとき、落ち込んでいても状況は変わりません。
だったら笑ってしまう。嘘でも明るく、問題に立ち向かっていこう......。
その考え方は、とても重要でしょう。