4月6日:単身赴任の思い出
8-9年くらい前に描いた「一年桜」という漫画をリメイクしています。
関西出向の漫画「関西Days~サラリーマン単身赴任借金返済」を描き始める直前にブログに掲載したものです。
来週中にはお披露目できるんじゃないかな
僕は37歳から38歳までの一年間(今からほんの11年前ですね)、兵庫県に単身赴任をしていました。
その時子供はまだ3歳。保育園に入ったばかり、団地も抽選で入居できたばかり。関西支社には一人で行く以外の選択肢はありませんでした。
泣く泣く(本当に泣きながら)出向に行きましたが、あれはつらい日々でした。
それまで子供とは毎日同じ布団で寝ていたので、いつもそこにあるぬくもりや会話がなくなる生活は本当に本当に淋しい。
普段あるものがない。どこにもない。
地球の重力で育った僕らが宇宙(そら)に出たらこんな感じかもしれない、なんて思ったものです。
僕が昨年までいたその会社では、単身赴任の淋しさに耐えられず辞めてしまったり心折れてしまう管理職というのが何人かいて、僕もその一人だったかもしれません。
そもそも37歳の時 関西への出向話がでたときも拒絶し続けていました。
全国チェーンの会社に勤めていながら身勝手な考え方とは思います。
でも当時は なんで自分が行くのか意味が分からず、いやだいやだと言ってきました。
断り切れず関西に旅立ったわけですが…
やはり寂しさに耐えきれず、狂ってしまいそうでした。
関西に向かう日、だますように子供を置いて家を出ました。
高速道路では声をあげて泣きながら運転。途中のサービスエリアで何度引き返そうと考えた事か。
長い人生において一年間家族と離れるなど、なんてことないイベントなのかも知れません。
それが嫌ならチェーン店に勤めちゃいけない。
そう思ったので、48歳のとき再び長期出向の話が出た時、僕は会社を辞めました。
もう子供は15歳になっているけど、僕にはもうとても単身赴任は無理だと思った。
25年勤めた管理職の無責任な行動に会社は激怒。
他社員への見せしめに使われ、それはそれは惨めな最後を迎えたのですが、でもやっぱり僕にはもう単身赴任は無理でした。
辞めた後、同僚の管理職には迷惑かけただろうな。
部下を無理やり出向に行かせないと運営が成り立たない会社でしたが、
「いやあの人断りましたやん」とかスタッフに言われてるかもしれないな。
そうなっていたらごめんなさい
次は絶対に転勤のない仕事に就こう。
できれば夜勤もない仕事。
さらにできれば土日休み。
さらにさらに出来ることなら8時ー17時みたいな人間らしい勤務時間の仕事。
結局5か月もかかってしまいましたが上記を満たした地元の工場に滑り込むことができました。
今は楽しいですよ。将来への不安も含めて人生を楽しんでいる実感があります。
今のところ仕事にやりがいはあまり感じませんが、でもこれからまた誇りや自信ややりがいを見出していくのだと思う。
無力さや喜びを味わっていくのだと思う。
もしかしたらあの時 長期出向を受けていても、仕事にやりがいを見出していたかもしれません。今回は単身赴任を楽しいと思っていたのかも。
でもそんなの誰にもわからないことですよね。
嫁さんが仕事でケガをして一ヶ月ほど家事ができないので、なんと毎日3食を僕が用意し、それから会社に向かっています。
4時ころ起きて、皿洗って米洗って味噌汁作って、カレーと麻婆豆腐を同時に作り、春休みの子供が起きる前にパンと目玉焼きとスープを用意する。
会社から帰ったら一日分の皿を洗って、翌朝またご飯の準備。
エライと思う。エライ
一日終わるとドッと疲れます。
まあでも、もし前の会社にいて単身赴任を引き受けてたらこんなことはできないわけで。
あれを断ったのだから、ご飯作るくらいはしないとね。
と前向き?なことも書いておこう。
日記ってのは前向きに書いておけばいいのだ。書いたらそれが「事実」として残るのだよ。
今は人生が楽しい。そう書いておけばいいのさね。
漫画描きあがったら読んでね。
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