豊田商事事件

 事件や事故が映像で伝えられることは、ネットが普及した現在では、さほど珍しいことではない。ISなどのテロ組織、中南米麻薬カルテルによる残虐な殺人映像など枚挙に暇がない。
 だが、同様のショッキングな映像がテレビで流されたらどうだろう。
 豊田商事事件として知られる巨額の詐欺事件、その「主犯」とされる同商事会長永野一男が昭和60年6月18日マスコミの取材を受けている最中、二人組の男により刺殺され、血塗れで助けを求める姿、そして血刀を手にした犯人の姿が流されたのである。
 同事件はこの凄惨な殺人事件とその後の捜査・裁判により「終結」した、というのが一般的な認識だ。しかし、実のところは「終わりの始まり」だったのである。
 豊田商事事件は「現物まがい商法」「ペーパー商法」と呼ばれるもので、金地金取引を装いながら、実態は単なる詐欺であった。高齢者を中心に徹底した電話連絡、そして訪問を繰り返し次々に金を巻き上げていった。男性には女性を、女性には男性を、桃色勧誘の手法を交えながら。被害者によっては預貯金のみならず自宅を担保に借金をするなど、悲惨な結果を迎えたケースも珍しくない。
 しかも、同商事は他にもゴルフ会員権商法をまじえた「鹿島商事」、市場価値のないクズダイヤをネタにしたマルチ商法「ベルギーダイヤモンド」などの詐欺会社も平行運営していた。豊田商事グループという壮大な詐欺グループを形成していたのである。正確な被害額は不明だが、二千億円以上と言われ、当時としては前代未聞の巨額詐欺事件であった。
 この以前で巨額の被害を出したといえば「ネズミ講」であった。最大規模と言われた天下一家の会は千九百億円と豊田商事規模の被害を発生させている。ここまで被害が拡大した原因は、法律にある。同会が摘発されたのは、昭和55年。そして、ネズミ講が禁止されたのは驚くなかれ昭和53年なのだ。
 単純で初期投資も少なくて済む「ネズミ講」が違法となったことで生まれたのが「ペーパー商法」であり、それを大規模に組織的に徹底して行ったのが豊田商事という流れなのである。
 単なる紙切れを金に換える詐欺のまさに端緒となった豊田商事事件は、永野が殺されたことにより不明になった点が多い。犯人は「社会正義の為」とうそぶいているが、それをまともに信じる人は少ないだろう。口封じ、と感じた人も多いはずだ。テレビカメラの前、という意味ではオウム真理教事件の村井刺殺事件を想起するかも知れない。
 永野会長は宗教法人に寄付をしており(一億三千万円、浄土真宗親鸞会。後、破産管財人に返還)、また、自らも宗教法人設立を考え三億三千万近くのをかけて工事まで行っている。
 ここで思い出して欲しいのは、この後、日本はバブル期を迎えたことだ。そこでは激しい地上げも行われていき、後にバブルが弾け暴対法が施行されていくことだ。暴力団の隠れ蓑としては、似非右翼や似非同和が知られていたが、そこに宗教法人が加わっていくのである。永野がどのような発想で宗教法人へと至ったのかは不分明ではあるが、豊田商事関連で世間との軋轢やマスコミ報道が増えていく中、「巨大な闇財布」として宗教法人を思い浮かべるのはあり得る話だし、そうした、裏の手口を一番熟知しているのが暴力団等の裏社会の住人であることは周知の事実でもある。単純に断じるつもりはまったくないが、「テキシアジャパンホールディングス事件」に暴力団が関わっていたことからも見えるのは、あぶく銭の匂いに暴力団が敏感であり、また、詐欺集団にとっても防御力としての利用価値があるということだ。
 活動期間は三年程度(前身の大阪豊田商事設立を含めても四年弱)だった豊田商事だが、昭和の終わりまで約10年と考えると、日本の景気は上昇傾向にあり金が余っていた時代であった。昨今の詐欺事件がローンなど「金を持っていなくても狙う」「老後不安や低金利不安を煽る」手口とは違い、「より良い金利」を求める手法だった。実際、日本はバブルまであと少しの時期だった。
 トヨタ自動車関連会社と混同させる狙いで付けられた社名もまた、抵当証券乱発事件でナショナルなど有名企業名を名乗った会社が多かったことにもよく似ている(街金も同様の手法を使った)。デート商法にも似た勧誘手口を使ったのも早い。
 金という国際価値が決まっている商材をネタとして相手を安心させながら、現物を渡さず「証券」を渡す。これは、後の和牛商法などにも同様の手法が見られる。
 永野が新しく開発した手法、とは言い過ぎになるが、豊田商事にはあらゆる詐欺手法が取り入れられ、その狙いは相手から金を引き出すためならば何でもしろだった。そのためには、イベントを主催、テレビCM、スポーツ団体への出資(有名なところでは、第一次UWF、協栄ジム)などを利用している。また、社名で混同させる手法は豊田商事だけではなく、鹿島商事は鹿島建設、ベルギーダイヤモンドはベルギーという国名を利用している。海外のマルチ商法が行うイベント主催、商工ローン系が行ったテレビCM。今から見れば、ここにはすべてがある。
 つまり豊田商事は詐欺の百貨店だったのである。
 平成時代に世間を騒がせた詐欺の多くは、こうした手法を利用しており、芸能人が数多くこうした詐欺または詐欺的商法の広告塔になっていることは、たびたび指摘されている。史上最悪といわれた和牛商法「安愚楽牧場事件」では、現在国会議員である人物までもが宣伝の一翼を担っていた(当時は著名な経済評論家)。出資者の不安を払拭させるために有名人を利用するのは、詐欺のみならず、金融業でも同じ事で、サラ金が盛んにテレビCMを流していたころ、そこには、人気のタレントや芸能人が出演していた(銀行系列に吸収された現在もまったく同じ事が行われていることを忘れてはいけない)。
 前述した天下一家の会は摘発されたが、そこから生まれたのが「国利民福の会」(代表は元天下一家の会)であったように、豊田商事から生まれた詐欺もある。
 有名なところでは「高島易断総本部事件」がある。水子供養などを利用した悪質な霊感商法で被害は六億円以上にのぼる。この事件を起こしたのが元豊田商事社員である。詐欺で味をしめた人間はまた詐欺を行う、というのが定説であり、それを証明している。元社員のなかには原野商法事件で逮捕された人間もいる(ちなみに高島易断を名乗る団体は多数存在するが、この事件となった団体以外も、高島嘉右衛門とは無関係であり、危険な面を持っていることも覚えておきたい)。投資顧問会社「東京プリンシパル・セキュリティーズ・ホールディングス」もまた豊田商事の残党が運営しているとされている(弁護士解任を手法とする)
 類は友を呼ぶという点でいえば、これまた大きな話題となった「投資ジャーナル」の中江滋樹と永野には面識・交流があったと言われている(永野刺殺の翌日に中江は逮捕されたという奇妙な符合もある)。
 豊田商事の基本はペーパー商法であり、前述したようの、その流れを受けて預託商法が発生しているし、デート商法や独居高齢者を狙う昨今の特殊詐欺もまたいわば「豊田商事の子供たち」なのである。
 元号が変わったこともあり、昭和は遠い時代になったのか、最近では「あの頃は良かった」「昭和に帰りたい」といった物言いを見かけることもあるが、昭和の高度成長期(昭和29年から48年)以降、ネズミ講や詐欺が蔓延したこともまた事実なのである。人々の暮らしが豊かになり余裕が生まれると、その金をだまし取ってやろうという人間が出てくる。その典型例が「天下一家の会」であり「豊田商事」だったということだ。
 そして平成に起きた特殊詐欺にしても、振り込め詐欺は別として、投資勧誘や権利付与(温泉付老人ホームの利用権、上場予定の株式取得など)などの実態は、つまるところペーパー商法の亜流である。
 豊田商事以上の被害を生み出した「八葉物流事件」にしても、疑似マルチ商法(マルチ商法自体は残念ながら日本では合法=アムウエイなど)と手法こそ違えど、結局のところは豊田商事が生み出した「現物ではなく幻想を与えよ」という理念は同じだ。
 紙数が尽きてきた。豊田商事事件でもうひとつ言われるのが、巨額の金はいったいどこに行ったのか、である。破産管財人らの努力により百億以上が回収・接収されているものの、総額に比べれば一割にも満たない。
 裏社会でよく言われる噂は、山口組若頭であった宅見勝にも流れたというものだが、その真偽は、宅見死去(暗殺)により、文字通り闇の中。もっとも、彼が生きていたとしても、それこそ「墓の中まで持って行く話」だったろう。闇金・五菱会事件の時もそうだが、詐欺や悪質金融で集められた金の行方は、その多くが不明であることが多い。最大の消費者被害である安愚楽牧場事件でもまた、数千億円が行方不明となっている。
 昭和から平成へかけて起きたバブルという異常な経済状態の直前、豊田商事は今日にまで続く巨額な詐欺事件を引き起こした。そして、残念なことに、彼らの遺伝子を引き継いだ詐欺師たちは暗躍し、その被害額は年々増えているのが現状だ。豊田商事事件は、その源流の一つ。大きな源流の一つなのである。 

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