冬のままごと『花の記憶 第三回』
長袖をひっぱりだした頃に、野ばらの実が赤く色付きます。すすきの穂は白くほわほわと広がり、夕陽に光ります。
あー秋だなぁと感じていたら、間も無くお洋服を着込むようになり、瞬く間に大晦日が来てしまいました。
冬、故郷でどこでも当たり前のように聞こえていた、焚火の爆ぜる音。火のつきはじめのすっとたつ煙。ゆらゆら揺れる炎。想像するだけで、ほっとして温かい気持ちになります。
庭先で落ち葉を掃き集める姿は、高知に住んでいた頃よりも、上京してからよく目にするようになりましたが、火をたくことはできなくなっています。
幼い私は、わりと慣れた手つきで大きめの石を組み、かまどを真似て作っていました。
枯れ草や落ち葉を盛り、火種をつけ、枝に火をうつしていくと、すっと煙が立ち、そのうちぼわぼわっと温かい色の炎。安定してくるとそのうち火花が出て、ばちっぱちっと聞こえてきます。
順々に、乾いた枝の太いものをいれていきす。
冬のままごとは、寒い空の下。
裏庭の使われていない井戸の横にあた、水色のタイルでできた小さな手洗い場が台所です。
キュッキュッと蛇口をひねり、壊れたポットに水をいれます。
まずは、火をおこしてあるかまどで朽ちかけている鍋にお湯を沸かし、白い湯気が立ち上ると、「きたきた、良し」と思います。
枯れ草ばかりに感じる冬とはいえ、一月七日には七草がゆを食べるように、植物たちはひそかに芽吹き、春を待っています。よく見ればそこらじゅうに、緑の草が隠れています。
草を摘み、裏庭から濃い藍色のリュウノヒゲの実、赤い南天の実、黄色いつわぶきを少しとり、鍋で煮はじめます。
古びたお玉でかき混ぜ、木の枝はお箸です。
それからは火を絶やさないように、何度も枯れ木集めに繰り出しては戻り、火にくべる。
その繰り返しなのに、ただただ愉しくて夢中でした。
遠い記憶の中から鮮やかに蘇るイメージ・・・
野ざらしのまま朽ちていくポットや鍋の質感。
枯れ草が服に擦れる音。
顔についた煤色の指跡。口に入る灰の味。
寒さの中で目をひく鮮やかな実たちの可愛いらしさ。
玄関に飾る南天の実から思い出した、冬のままごと。
改めて、季節と暮らしていたんだなぁと思う年の瀬でした。
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