幸せと地獄は紙一重
死ぬ地獄を回避した後は、生きる幸せを感じる。
そのあとは、生きる地獄を感じる。
何回絶望してきたんだろうか。
どんなに有名で愛されてる人でも孤独と戦っていない人はいない。
「~さえあれば」
「家族さえいれば」「彼女さえいれば」「お金さえあれば」「病気さえなければ」「可愛ければ」「痩せてれば」「家さえあれば」「大学さえいければ」「友達さえいれば」
完璧なんて存在しない。
完璧に見える一瞬があるだけで。
仲間がいるように見える人も皆孤独と戦い続けてる。
死ぬ最後まで絶望と孤独と戦い続けることになる。
がんばっていない人なんかいない。
みんな必死に生きようと努力し続けている。
普遍的で変わらない人も、親も芸能人もアイドルも国も地球も何もないのに。
はるか昔、地球は丸いなんてだれも気付かなかった。
自分が日常生活してそんなの気づくはずがない。
ひとは脳が大きすぎるがゆえに繫栄し、大きすぎるがゆえに物事を時間軸も本音も建前も含めて立体的に把握できない。
脳が見せている造影に過ぎない。
ゲームの中の人が外に出てこれないのと同じように私たちもその中にいる。
ビジネスとなればビジネスの事しか見えなくなるし、
子育てとなれば母親としての目線でいっぱいになる。
「客観的に~」と言う人がいるが、どこまで行っても「主観的な世界」でしかない。
苦悩しているその瞬間がいかに幸せなことなのか気づくよしもない。
点と点が繋がるその一瞬を幸せと呼ぶのかもしれない。
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